第36話 メリーゴーランド


 杏里に呼ばれ、千聖は駆け足で杏里の後を追う。杏里はどの馬がいいのか悩んでおり、なかなか決まらない。


「杏里ちゃん、私はお兄さんの隣に座りたいです」

「……それはダメ。兄貴の隣にいたら腐っちゃうよ」


 杏里は訳の分からない理由を挙げて、千聖がオレの隣に来ることを止める。そんなこと言ったらオレの周りはとっくの昔に腐敗している。それこそ妹なんて腐臭漂うゾンビになっていても不思議ではないだろう。

 腐るというのはハッタリだろう。杏里はオレのことを歪むまでに愛しているので、他の女性に近寄ってほしくないのだ。


「兄貴は白馬に乗ってね」

(あたしだけの白馬の王子様になって欲しいわ)

「お前は?」

「あたしはあんたの馬に繋がれたピンクの馬車に乗るから」


 杏里は千聖に聞こえないように小声で話してくる。


「あ、そうだ。せっかくだから写真も撮りましょ。これはあたしの思い出作りだから勘違いしないことね」


 妹はキッとオレを睨んだ後、スマホを操作し、自撮りの要領でオレを巻き込み、撮影を開始。


「はい、チーズ」

(兄貴とツーショットだ。ふっふっふ)


 オレの頬には妹の柔らかな唇が触れており、杏里はとても満足そうな顔をしていた。


「げっ、ポーズしたら兄貴の頬に唇が触れちゃったんだけど!」

(いひ、これでキスマークが付いたね)

「え? なんですか?」


 千聖は何が起きたか分からず、きょとんとしている。我に帰り、千聖は杏里にやんわりと問い詰めようとするも、彼女はこれをひらりとかわす。


「ただの事故よ。気にしないで」

(杏里ちゃん、ずるいなぁ。私もお兄さんにチューしたい)

「あ、あの! お兄さん、私とも一緒に写真を撮ってくれませんか?」


 千聖は自分のカバンからスマホを取り出し、オレに見せてくる。そこにはテーマパークのマスコットキャラと一緒に写っている千聖の姿があった。


「おぉ、可愛いじゃないか。もちろん良いぞ。杏里もいいだろ?」

「……別に、好きにすれば」

(自分が強行した手前、撮るななんて言えないもんね)


 杏里の口元が少し緩んでいるが、気のせいだろうか。その後、千聖の希望通り、オレたちは記念に一枚写真撮影を行った。

 写真を撮り、メリーゴーランドに乗る。絶叫系やお化け屋敷と比べると、このテーマパークにおいてはあまり人気の無い乗り物ではあるが、オレはこのゆったりした時間が好きだ。

 オレは白馬に乗り、彼女たちは馬に繋がれた馬車に乗る。オレが白馬の王子様となり、二人をエスコートするという設定らしい。

 杏里たちは馬車の窓からオレをじろじろと眺めている。そして、時折笑い声が漏れていた。


「兄貴、似合ってねー」

(似合っておりますよ、お兄様)

「いえいえ、お兄さん、すごく格好いいですよ」

「そ、そうか。ありがとう」

「兄貴さぁ、ちょっと恥ずかしがりすぎじゃない? もっと堂々としてよね」

「仕方ないだろ。こういう経験無いんだし」

「お兄さんの照れ顔、かわいいですね!」

「うるさい。ほら、出発するぞ」


 ゆっくりとメリーゴーランドが動き出し、徐々に回転速度が上がっていく。

杏里は両手を上げ、大喜びをしている。


「うわー、楽しい!」

「杏里、あまりはしゃぎすぎるなよ」

「分かってるって!」


 杏里は満面の笑みを浮かべながら、手をブンブンと振っている。千聖はそんな杏里を見て、とても嬉しそうだ。

 ヤンデレだけど、彼女たちは立派な少女であり、その笑顔は眩しいくらいに輝いている。


「王子様の駆る馬が運ぶ馬車に乗れて、お姫様は幸せです」

「それは良かった」


 千聖はにっこりと微笑み、オレから目を逸らさずにいる。オレ以外など視界に捉える価値すら無いくらいに、黒目は微動だにしていない。

 メリーゴーランドはゆっくりと進み、あちこちに張り巡らされた灯りが明滅する。この中は外から隔絶された異世界であり、光はオーブとなってオレの周りを淡く照らしている。


「お兄さんはどうですか? 私の事、好きですか?」


 異世界での旅の最中、千聖はオレに尋ねてくる。オレはファンシーな世界観に浸りながら川の流れに身を任せ、彼女に言葉を返す。


「あぁ、大好きだよ」

「さらっと言いましたね」

「人当たりが良いし、性格も良い。それにこんなオレにも優しくしてくれる。千聖の事が好きにならない方がおかしいと思うけどな」

「嬉しい事を言ってくれるんですね。私、お兄さんが大好きになりました」

 

 とりあえず千聖の精神状態を安定させ、強硬手段に出ないようにするのがオレの役割だ。彼女が暴走しないように、うまくコントロールしなければ……。


「王子様、私も好きです」


 メリーゴーランドを降りると、千聖はオレの腕を取り体を密着させる。彼女の胸の膨らみや体の柔らかさが腕を通して伝わってきた。杏里はそれを見て苛々を募らせている。これは後で杏里の相手もしないといけなさそうだな。


「千聖、当たっているんだけど」

「当ててるんですよ。こうすると男の人は喜ぶんでしょ?」

(あぁ、お兄さんの匂いだ)

「離れてくれないかい?」

「嫌です。だって、私はお兄さんが好きで、好きな人とはずっとくっついていたいと思っているんですよ。これくらい我慢してください」

「むぅ……」

「おい、マブダチが嫌がってるだろうが」


 勢いに乗ってきた千聖を止めたのは美咲であり、彼女は千聖の肩に手を当てて引き離そうとする。しかし、千聖は抵抗して離れようとしない。


「美咲先輩には関係ないでしょ?」

「関係あるね! 田中英二はあたしの大切なマブダチなんだ。マブダチとアタシの仲を引き離そうとする奴は、敵だ」


 美咲のオラオラ系らしいギラギラした目は、まるで獲物を狙う猛禽類のような目つきだった。彼女は獲物を掠め取ろうとする蛇を逃すまいと、苛立ちを振り撒いてプレッシャーをぶつけていく。


「邪魔をするなら容赦しませんよ」

「上等じゃねぇか。かかってこいや!」

「あのさ、二人とも落ち着いて」


 このままでは二人のバトルが始まりかねない。ここはオレが何とかしなければならない。


「はい、そこまで。二人共仲良くしようよ」

「別に喧嘩なんてしてないぞ」

「そうですよ、王子様。私たちはいつも通りですよ」

「それならいいんだけどさ」

(この二人、意外と相性が良いのか?)

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