第52話 覚えておきたくて
オレが千聖に夢中だからと油断していたのだろう。彼女はオレに自分の表情を見られたと感じたのか、すぐにいつもの真顔に戻っていた。
「田中英二さんかぁ……」
「いきなりどうしたの、オレの名前なんか呼んでさ」
「ただ呼んでみただけです。お兄さんの名前、覚えておきたくて」
「そっか、嬉しいな」
千聖のその言葉に偽りはないようで、心の底から言っているようだ。
千聖の作った唐揚げは単純に言って美味しく、油が程よくきいており絶妙だった。それに野菜炒めもかなりのもので、千聖は本当に料理ができるんだなと思う。杏里の方も同じ様に思っているようで、彼女の箸も止まることなく動いている。
「お兄さんの口に合ってよかったです」
千聖はオレたちと同じ学校に通っているが、オレは妹の教室には行かないため、千聖の事を知らない。妹から聞いた話では成績優秀、容姿端麗、そして性格もよくて学校ではモテモテらしい。
「私のこと、結構好きになれました?」
オレの横で千聖が目をぱちくりとさせながら、見つめてくる。
「あ、ああ。そうだな、かなり好きな部類に入るかな」
「ふーん、そうなんですか」
(結婚したい、とは言ってくれませんか)
少し残念そうに千聖は返事をする。オレは千聖を嫌いじゃないし、むしろ気に入っていると言ってもいいかもしれない。千聖はそれでも足りないようであり、強欲な女の子だ。
「それじゃ、もっと仲良くなりましょうね」
千聖はオレに微笑みかけ、小首を傾げる。その可愛らしさはオレに向けられており、男であれば誰でもイチコロであろう。オレもそんな彼女にやられてしまい、彼女の可愛さに当てられて頬を染めてしまったのをごまかすようにご飯を口に放り込む。
杏里と千聖はこう見えてかなり仲が良く、一緒に買い物に行ったりしているらしい。今日も午後から買い物に行く予定である。
(お兄様とお買い物、ふひひ、デート気分で楽しみたいですね)
(杏里ちゃんとの買い物も好きだけど、お兄さんとの初めてのお買い物……とっても充実した一日になりそうです)
二人の美少女はそれぞれが滲ませている我欲を己が内で張り巡らせており、そこからできる蜘蛛の巣に、オレは包囲されそうになっていた。
「はい、これどうぞ」
「ありがとうございます」
昼食後、食後のデザートとして出されたのは巨大なチョコレートパフェである。
「これはオレの為に作ってもらったのか?」
「それもそうですが、私も食べたかったんですよね」
(私の告白、受け取ってください!)
「千聖が自分で作りたいと言って作ったんだよ。彼女って意外とチャレンジャーなんだ」
パフェの頂上にはハート型のクッキーが刺さっており、彼女の心の語り曰く、隠れたプロポーズのつもりである。
意味を知るとダイナミックなアプローチに、心の内を読めるオレは彼女の小手先の戦略を見透かせるのが裏目に出てしまい、彼女の秘めたる大きな恋心を等身大のまま受け止めることになった。
杏里に助けを求めようと、ちらっと目を向けるが彼女は何も言わず、ずっとその場に佇んでいる。その表情からはどんな感情を持っているのかを読み取ることができない。思考すら読めないくらい、彼女は何も考えていなかった。
「さて、食べましょうか……」
「いただきます!」
「えっ?」
しばらく静止していた妹が千聖の合図を皮切りに再起動し、颯のような早さでパフェの上に陣取っているハート型のクッキーを掠め取っては、半分くらいを噛みちぎった。砕けたハートを見せびらかす杏里に、千聖は友達に向けてはいけない鋭く暗い目付きを繰り出し、彼女を威嚇する。
「この泥棒猫が……」
「へへーんだ、私が先だよ」
「ぐぬぬ……」
「うへへー」
「……あっ、お兄さんは気にしないでください。ちょっとした喧嘩みたいなものですから」
あまりの怒りで、千聖の本性が器の端っこからはみ出て、こぼれ落ちている。それを自覚した彼女は必死に先程の失言をフォローするわけだが、心の内を見透かせる能力を持つオレからすればそんな小細工はそよ風にすらならなかった。
オレを巡り、昼ドラ並みのどろどろな愛憎劇が妹とその友人の間で繰り広げられ、オレは心の中で嘆息していた。
「お兄さんは私と杏里ちゃんどっちが見た目的に好きだとかあるんですか?」
「ん? どうした急に」
「いえ、ただ何となく聞いてみただけです」
ぐいぐい来るアクティブな杏里と落ち着きがあり、大人っぽい千聖。どちらかを選ぶと言われれば甲乙つけ難く、どちらも魅力的でなおさらに優劣をつけにくい。
「選べないんだけど」
千聖はやんわりと好みを聞いてくるが、これはどちらがオレにより好かれているのかを判定しようとしている。杏里は興味無さそうにしているものの、実は体を若干寄せており、バレない程度に必死になって聞き耳を立てている。
オレが明確にどちらかを選んでしまうと、選ばれなかった方が癇癪を起こし、最終闘争が始まるのは火を見るより明らかだ。
当然、こういった問いに対する穏便な回答は先延ばしにするようなものしか無い。
「……そうですか」
(ストレートに聞き過ぎましたかね。事を急くと、やはり碌なことにはなりませんか)
「優柔不断な兄貴らしい答えじゃん」
(ここははっきり、杏里とお呼びして欲しかったです……いえ、あたしごときがお兄様の方から好きだと言ってもらうのは烏滸がましいにも程がありますね)
「確かにそうだが、もう少しオブラートに包んで欲しいものだな」
妹は一瞬目から光が消えると、にやにやと不気味な笑みを浮かべながらオレの隣にまで歩いて来た。
「千聖っておちょくるのが好きだからさ、さっきのはあまり気にしないのが吉だと思うよ」
妹がへらへらとオレの肩を叩きながら調子の良いことを言っている傍らで、千聖は冗談じゃないと言わんばかりに、無表情でオレを睨んでいた。
「おちょくってなんか……」
彼女は自分のツインテールにした髪を指で巻き、弄び始めた。
(全く、私とお兄さんの仲を引き裂こうとしているんじゃありませんよ!)
二人の水面下での攻防は、オレの心の中でだけ繰り広げられる。
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