第5話 誰だろう。

 デート言えるのかどうか、あやしい程度の付き合いだった。互いに好きだと告白していたわけではない。だからか、家に帰ろうとする奈々の手を取って、

「帰らなくていい日が、いつかくればいいのに。」

 優しく囁いた。

「え」

「ずっと一緒にいたいんだ。」

 それは、誘いの言葉だったのだろう。

 もしも奈々が川幡の事を好きだったのなら、きっとその誘いにときめいていただろうし、その誘いに乗ってしまっていたかも知れない。

 でも、その時の奈々の心に有ったのは、そろそろ家に帰らないと、母親が心配だという事だった。食事の介助や、排泄の手助けなどしてあげなくてはならない。夜遅くなると、介助ヘルパーは帰ってしまう。

「お母さんが待ってるから。次は、もっと早い時間に会えば長く一緒にいられると思います。」

 彼はなんとも言えない表情の後に、小さく笑った。

 そして、そっと優しく奈々を抱きしめて額にキスした。

「あの」

「もっと早い時間からつきあってくれるんだ。ありがとう。お休み、またね。」

 驚愕して硬直してしまった奈々はその場に立ちすくんだ。

 男子と付き合ったことなど一度もない彼女にとってその行為は、地面に足を縫い止めるほどの衝撃だったのだ。

 もしかして、川幡は自分の事を好きなのだろうか、と意識した。


 だが、川幡は日中ほとんど連絡が取れない。仕事をしているのだから当然だろうけれど、短大生の奈々としては、もしも好意が有るのならもっと頻繁に連絡をくれてもいいだろうと思ってしまう。それに、連絡がついて会うことになっても、二人の関係が進展することはなかった。介助が必要な母親を持つ奈々が、夜遅くまで川幡と一緒にいることは出来なかったからだ。

 これで付き合っていると言えるのだろうか、と疑問に思いはじめたある日のこと。

 学校から帰る途中で、見知らぬ女性に呼び止められた。

 バス停でバスを待っている奈々の後ろから、白いワンピースを来た女性が強張った表情で、

「岸塔奈々さんですね。」

と名指しで声を掛けてきたのだ。

 その緊張した面持ちを見ただけで、なんとなくただ事ではないことが察せられる。奈々もそこまで鈍い人間ではない。

「・・・だ、だれ」

 低く、呻くようにそう答えるだけで、精一杯だった。

 そのくらい、奈々も動揺していたから。



 

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