第16話 残業ナシ?
加東の誘いの乗っていいのかどうか一瞬悩んだが、急いで帰りたいのは確かだ。今から片付けて退社し、駅まで走って帰途についても一時間はかかる。
だが、タクシーだったら30分足らずで家に帰れるのだ。奈々の自宅は、交通の便が少しばかり悪いため公共交通機関のほうが時間がかかる。
「大丈夫大丈夫、ガス代を請求したりしないよ。ちゃんと送り届けるし。」
爽やかに、白い歯を見せて笑って見せる。年齢の割には若く見えるので、様になっていた。
元はと言えば、この人に片思いするお局様に嫌がらせされた挙げ句、こんな遅くなってしまったのだ。間接的には、この男のせいでもあるような気がする。
「・・・じゃあ、お願いしてもいいですか?」
一応遠慮がちに頼んでみた。
「OK。後で住所教えてね。ナビで運転するから。」
加東が気軽く承諾したので、奈々はほっと息を着いた。
その後も椎野涼子の嫌がらせは頻繁に有ったが、残業で遅くなった折にはちょくちょく加東が自宅まで送ってくれるようになった。そういう意味では、お局様の嫌がらせはかえって裏目に出ていることになるが、彼女がその事に気付くまでには、三週間ほど要した。
「ちょっと岸塔さん。あなた、加東さんに自宅まで送らせているって本当なの?」
「そんなことは・・・。」
あるけれども、正直にその通りなどとはとても言えない。
そして、元はと言えば、彼女の嫌がらせが原因なのに、とも、言えなかった。
そもそもどうして自分に聞くのだろう?直接加東に聞けばいいのに。
「残業になった時に加東さんと一緒になることが多いだけですよ。」
当たり障りない返答として考えついた言い訳はこのくらいしかなかった。
厚いファンデーションが皺を強調するように、椎野の眉毛が寄る。随分とむっとしているようだ。返答の仕方を間違えたかとヒヤヒヤする奈々は、申し訳なさそうに俯くしか無かった。
窓口業務が終わった夕方、ちょっとだけ息の付けるスキマ時間に呼び止められて給湯室で詰問を受けている。いつもならば上長にお茶を入れて回っているはずの時間だ。奈々にとってはオジさんたちに媚を売る大事な時間だと言うのに、こんなことに時間を取られるのは勘弁して欲しかった。
「大した仕事もしてないくせに、残業なんかするから悪いんでしょ。」
馬鹿にするような上から目線でそういうと、お局様はようやく奈々を開放してくれた。頭を下げつつ彼女の後ろ姿を見送ると、奈々はやっと安堵して、やかんを火にかける。
すると、一人の若い女子行員が寄ってきて、奈々に耳打ちした。
「よかったね。今日からはもう残業させられないよ。」
奈々と同期だけれど、奈々には出来ない窓口業務を担当する
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