第35話 無神経

 叔父がはからってくれたおかげで、どうやら奈々は自主退職に追い込まれつつも、どうにか次の就職先を斡旋してもらえたようだ。

 課長に呼び出された日の夜のこと。

 形だけでもと、退職届を書き、履歴書を用意する娘を見て、

「奈々、どうかしたの?そんなもの書いて。」

 車椅子を操作して母が傍らに寄ってくる。

 しまった、見られてしまった、と思いつつも、奈々は出来るだけ明るく言った。そもそもそんな重要なものをダイニングテーブルで書いているからだ。

「え、と、その、転職!!転職するの!!」

「まあ。本当に?」

「うん。その、もう次が決まってるから大丈夫!!」

「それならいいんだけど・・・。」

 さっと書類を隠しながら作り笑いをする娘を通り過ぎ、母はまた自分の部屋へ戻っていく。

 自室へ入った母は、机の上の携帯電話に手を伸ばした。

「もしもし?・・・八ツ木さん?岸塔奈々の母です。はい、大丈夫。どうやら義理の弟が出張ってくれたみたいで、ええ。ありがとう。あなたがわざわざ教えてくれたから、どうにか手を打てました。・・・よかったらまた、遊びに来てね。奈々がいるときでもいないときでも。」

 電話の向こうで安堵したような声の有咲が、喜んで、と呟いた。



 奈々が居心地が悪いまま現在の職場に居なくてはいけないのは二ヶ月間だった。

 事情を知らない他の行員はいいとして、上役の人たちは大体知っているから変な目で見られている気がしてならない。

 あれから加東はまったく素知らぬ振りで、普通に接してくる。

 こいつのせいで自分が退職に追い込まれたというのに、いい気なものだ。

 生涯タンスの角に小指を毎晩ぶつける呪いをかけてやりたい。

 心の底で呪いながらお茶を出すと、白い歯を見せてにっこりとこっちに笑いかけるこの男の、無神経さが許せない。しかし、これ以上関わりたくない奈々は、自分も軽く微笑んでさっと彼の机の傍から去ろうとすると、

「いつもありがとう、岸塔さん。辞めちゃうんだって?寂しいなぁ?」

 などと話しかけてくるではないか。いけしゃあしゃあと、よくも話しかけられたものだ。

 一体どういう神経をしているのだろうか。

 もはや怒りと呆れで、返答さえ出来なかった。

「でも凄いじゃない。もう再就職が、それも〇〇銀行に決まってるなんて。一体どんなコネを持ってるの。興味有るな。」




 

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