愛人体質をやめたい。
ちわみろく
第1話 雑巾水
現在の職場も、親戚のコネを頼ってどうにか勤めさせてもらえるようになった。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ただいまお茶をお持ちします。」
にっこりと営業スマイルで愛想を振りまき、応接室を後にする。コーヒーを淹れて持ってこなくてはならないからだ。取引先のお客様は大切だ。お客様は神様で、大切である。どう大切なのかは知らないが、上司が大切だと言っているのだから大切なのだろう、ちょっとお高めのコーヒー豆を使ってやろうと思う。
廊下に出て給湯室へ向かう途中で、呼び止められた。
「
「これは、・・・、
たった今応接室に案内したばかりのお客が、何故か自分を追いかけてきて廊下に出てきた。何かあったのだろうかと思って、足を止めた。
「どうかなさいましたか?」
尋ねると、取引先の客はその薄毛になりつつある頭を左右に振って周囲を見回し、他人がいないことを確認した。それから、さっと奈々に近寄りこそりと耳元に話しかける。
「岸塔さん、一ヶ月につき10万円で、どう?」
やに下がった顔で嬉しそうに言うではないか。
「・・・・・・はあ。」
「ね、いい話だと思うよ。お手当、10万円でさ、ね、俺とさ。」
この場合、どう答えるのが得策なのだろうか。
悪くない話ですね。
もっと出して下さい。
一昨日来いやぁ。
やっすぅ。有り得ない。
ぱっと思いついた言葉はこんなものだが。
一瞬だけ強張った表情筋を、集中力で動かした。再び営業スマイルを作る。
「ごめんなさい、具体的な金額交渉は部長の
慇懃無礼なほどに礼儀正しくそう言って、再び応接室のドアを開いた。
「え?駄目?じゃあ、12万円ならいい?」
食い下がる、髪が寂しげな後頭部に、野太い声がかかった。
「お待たせ致しました。竹中様。お話を伺いましょうか。」
部長の増茂が来たのだ。
安堵のため息をついて、奈々は会釈する。
バツの悪そうな顔をした客が、部長に促されて再び応接室へ入っていった。
けっと一言低く呟いて、廊下をつかつかと歩く。給湯室へ向かった。
やっぱりインスタントコーヒーにしよう、一番安い奴。
奈々の手は給湯室の食器棚へ伸びた。
何が10万円だ、バーカ。ふざけんな。ベタだけど、コーヒーに雑巾水入れたろうか、と悪態をつきながらお湯を沸かす。
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