参拾漆)人と、ヒトと猫の縁の事5
「そろそろだね」
「もう、見えるからね……」
私は目的の家の前まで辿りついた。
元町長の家の周りには広大な森、という名の私有地が広がっている。
この森も含めて、町長さんの家の土地というのだから、どうやらスゴイ家らしい。初めて来るんだけどね。この家には。しかし、やっと着いた。
一緒に走ってきた人たちからも、深い溜息が聞こえる。
かなり気を張っていたのだと思う。
この15人は、高杉晋作が率いた奇兵隊の隊員の生まれ変わりらしい。その誰もが、昂作の家の近所に住む、小父さんやお兄さんたちだった。これも、縁の力というものだろうか。そんなことを考える。
「京香、元気がないね」
「だって、モミジたちは……」
「大丈夫だって、彼らも生まれ変わりなんだから。ボクが一番に武器を渡しに行ったのは、2人なんだよ。大きな力になってくれると思ったからね」
「だったら、言ってよ。マタさん」
「言わなくても、分かってるかと思っててさ」
「……」
そう言われれば……
モミジの怪力も。
あの廃工場で吸血鬼に襲われた時も。
2人はまったく別人のようになって、戦っていた。
それはある意味、片鱗と呼べるものだったのかもと思う。
今思えばではあるけど。
「まあ、でも、大丈夫だよ。2人が必死に戦ってるのを感じる。近藤も、土方も。小舟も、ブラムも。大丈夫だよ。最後まで頑張ろう」
「マタさん……」
その言葉を糧に足をもっと速める。
でも、私たちの前に立ちはだかってきたのは、
4体の強敵。
4人の元偉人たち。
まだ1体いるのか。
「もう1人って、どういう人なんだっけ?」
「ああ、ラスプーチンだな。まあ、軍師兼護衛隊長というところだね」
「軍師で護衛隊長……。それって大丈夫なの?」
「まあ、実力は未知数だからね」
「ん?どういうこと?」
「いや、それはそうだよ。吸血鬼相手の戦争で、ここまで善戦する方があり得ないんだから。女王の御膝元まで辿りつくなんて、普通はあり得ないことなんだって」
あれ?
私たちってそんな大変なことをしてたのか。
今になって、とんでもないことだったのだと怖くなってくる。
「えっと、大丈夫なのかな、私たち?」
「さあ」
のん気すぎるよね。
そう口にしようとした時だった。
私たちは少し「目的地まで辿りついた」ことに浮かれていたのかもしれない。
その影に気付くのが、遅れてしまった。
周りを取り囲んだ、21体の吸血鬼に。
「女王さまの兵もお借りします」
門の真ん前にいた男が声を発する。
サン・ジェルマン以上に明瞭な日本語だった。
そして、誰よりも異様な風貌。
黒い髪は肩まであり、髭も胸までもじゃもじゃと伸びている。服装も夏だと言うのに、黒の分厚いロングコートを羽織って首元までボタンをしっかりと止めている。日中に道でばったり出くわしたら、全力で逃げるくらいの不気味な風体だった。
「その猫、渡してもらえますか?」
「ヤだね」とマタさんがバッサリ。
「ちょっとマタさん!」
「こんな状態で、よくそんな言葉が吐けますね。いいでしょう……」
彼がゆっくりと手を上げた。
周りを囲んでいた街の人たちに、吸血鬼が1体ずつ襲いかかる。その速度は、今までとは比べものにならないほど異常だ。ここまで見てきた吸血鬼のどれよりも速く、まるで訓練されたような見事な連携を見せた。15人の人間を後ろから羽交い絞めにし、残り5人が私の周りを取り囲む。
動きが、とても洗練されている。
「止めて!」
「止める? そんなことするものか。これらには、見せしめとしてエサになってもらう。そうでなければ、お前が自分から猫を捕まえ、手渡すのだ。ならば、街の者には手を出さない」
「――」
私は、マタさんを抱きかかえる。
もう、どうしようもない。
マタさんを渡したところで、事が解決しないのは分かっている。でも、周りにいる人や私たちが通ってきた道すがら、戦っていた人のことを考える。数えられないほどの恩と命が私の肩に乗っている。
何かを考えている余裕もない。
だから、私は、もう……こうするしか、ないじゃないか。
「うわっ」
マタさんの額に涙がこぼれた。
ここまで来ても、私には力がなかった。
「京香、泣くな」
「……」
「いいぞ。ボクを奴らに渡しても」
マタさんは、前を向いて言う。
「オマエら、そんなケチなことはしないで、ちゃんとそいつらも助けてやれよ」
「――ならば、こちらに来るのだな。わかった。こちらに来たら、解放することを約束しよう」
ここで最悪な取引が成立してしまった。
今までの苦労や父のケガも、小舟さんの腕も。
私はムダにしてしまうのかもしれない。
誰か、助けて。
「gggggyyyyaaaaaaaaaaa!」
どこかから悲鳴がした。
何度も聞いてきた、吸血鬼の甲高い悲鳴。
顔を上げても、何が起こったかを理解できなかった。
悲鳴は1つ、また1つと増えていく。
次第に、悲鳴の理由が見えてくる。
とんでもなく速い風。
蒼い、風。
それが今、3人目の吸血鬼を斬り裂く。
蒼い風――沖田さんは、4人、5人と敵を倒していく。
それがようやく見えてきた。
6人、7人と灰の塊を残して消えていった。
吸血鬼が次々と切られると、私の周りの見張りはうろたえながらも人質の確保へと向かう。
だが、それよりも先に沖田さんは吸血鬼の数を減らす。
沖田さんが、助けに来てくれた。
私の心は、それだけで歓喜できる。
強くあれる。
「マタさん、飛んでね」
「え?」
私は駆け出した。
ラスプーチンの隙をつき、横を擦り抜ける。
彼にも思いもよらなかったろう。私がその脇を抜けて、家の門まで走るなんて。
マタさんだけでも中に入れればいい。
彼が説得してくれればいい。
「えいっ!」
これが私のできること。
私の腕の上昇とともに、マタさんはその腕を蹴けって飛ぶ。
マタさんのジャンプが、いつも以上の高さになって――
「あれ?」
「うお?」
あれ……これって、どこかで?
どこかで、あった。
あのとき……そう「あの時」だ。
私は頭の中に一つの風景を思い出した。
木製の門が続く、街並み。
私は猫を抱いていた。
黒くて、でも足は白い。
そんな猫を、手に抱えている。
ここは、東京。まだ江戸と呼ばれていた街。
江戸の「私」は、千駄ヶ谷に住んでいた。
私の『そのとき』の父は、植木職人でよく植甚という植木屋に出入りし、私もよくそれに着いて行くことが多かった。父の仕事のついでではあったけど、とても面白い所だったように思う。
そこで私は、あの人に出会ったのだ。
病弱なあの人――沖田総司様に。
こっそり覗いていたのを、私は父にたっぷり叱られた。
肺の病気は、
そして治すこともできずに、死ぬ病。
だから、近づいてはいけないと。
でも、その人を死なせたくない。
ちゃんと会って、話がしたい。
そんな恋心に似た気持ちで、私は必死に猫を集めた。
あの人の病気を、猫の力で治すのだと。
手の中で、「ニャン」と猫が鳴く。
どうみてもマタさんだ。
「あの人を、治してね」
私は、抱いた猫を門の上から中に入れた。
放り投げて、沖田さんのいる離れの庭に運んでいた。
そう、何もかもを思い出す。
私は、
その生まれ変わりなんだと。
「私だった……」
「キョーカ、キミが……!」
マタさんが門の上で振り返る。
その顔は、微笑んでいる。
その顔が、やはり懐かしくて――。
「キミだったんだね。ボクはずっとキミに会いたくて」
「……」
頷く。私の頬を涙が流れる。
縁とは、本当だったのだと。
彼の本心からの言葉を、私は思い出す。
――大切な女の子に会うことなんだよ。
大切な女性に会いたいと言っていたマタさんの「想い」は、150年の時を経て叶えられた。もう会えないとさえ彼は思っていただろう。普通の人間の魂は、見分けがつかないと言っていたから。
「やっと会えたね」
「ああ、こんなときじゃなきゃ、もう少し話をしているはずなのに」
「また後でだね」
その言葉を、マタさんの進みゆく背に呟く。
「先に行ってて」
「女!」
突如、大声がした。
「キサマ……」
後ろにはラスプーチンが立っていた。
その形相は、鬼よりも恐ろしい。
地獄の閻魔か官吏のような、人を傷付けることを厭わないモノの顔だ。この人は、私を殺す気なのだと感じた。この体が1度死んでいようとも、殺されると実感した。
「死ね」
「――」
突き出された拳が、瞬時に切り落とされた。
「沖田さん!」
「……」
彼は何も言葉を発さない。
しかし、彼は瞬時に門にかけられた錠前を斬った。
完全に本気モードの彼に、私も言葉を失う。
「行けと……言うんですね」
「……」
しかし、彼の目はただ敵を見据えている。
私は、門を越え、先に進む。
マタさんを追いかける。
〇
「おい」
目の前の男は、言う。
風体だけが異常な、大きな男のように思えた。
だが、流れる空気に、嫌な感じがする。
「なんで、先に行かせた。むざむざと死なせに?」
彼の言葉は、一応耳に届く。
が、それを理解するまでもない。
試し斬りの巻き藁が突っ立っているくらいのものだ。
藁の言葉を聞く必要などない。
「どうせ、ここでお前も死ぬのだから、問題はないな」
「……」
俺にできるのは、これだけだ。
「なんだ?」
構える。
早く、行かねば。
その為は、速さが必要だ。
今まで以上の速度で貫き、射抜くしかない。
「……」
大男は、コートを脱ぎ捨てる。
服の中にあったのは、鍛え上げられた肉体。
ただそれだけだ。
でも、奇妙な感覚に、背筋の毛が逆立つ。
頭を振り、考えを吹き飛ばす。
突く。
貫く。
それだけだ。
「!」
足がもつれ、転ぶ。
「俺は、今までの者とは違うぞ」
「何が……」
左足に手が絡みついていた。
赤黒い手が、地面から生えて、俺の足を掴んでいた。斬り落とした手は、すでに灰となっているはずだ。ならば、これは何だ。実体がないかのように、少しぼんやりと霞んで見える。
スッと手が消える。
敵が、今度は左手を天にかざす。
――――。
何かが集まって、大男の頭の上に大量の刃が現れる。
赤い刃物には見覚えがあった。
「血か」
「そう、俺は血を霧状にして操る」
つまり、血が流れれば流れるほど、敵は強くなるのだろう。
腕を切断したのは間違いだったか。
敵の頭上に作りだされている短剣は、もう100という規模を超え、星の数かと思えるほどになっていた。あれに一斉に攻撃されては、傷を負うどころか、ひき肉になるだろう。
「はっ!」
左手の振り下ろされるのに、合わせてナイフが降り注ぐ。
ヤツは俺が退くと思ったのだろう。俺の後ろにまで広範囲にナイフを飛ばす。
しかし、そのナイフが落ちた位置に、もう俺はいない。
全力。
全速力をかけ、射抜く。
逆に俺は敵の頭上に、前方に飛び上がった。
大男の頭上を飛びながら、突きを繰りだす。
三段の――いや、さらに速く、突く!
三連の三段突き――九段突き!
大男が気付いたのは、その顔面に鋭い突きが当たったときだっただろう。
「gaaaaaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAA」
野太い悲鳴に、町中が震えた。
ここに強敵である吸血鬼の幹部は、すべて消滅した。
あとは京香――君に任せたよ。
俺は、地面に落ち、倒れた。
「ぐぅう……」
足には無数の穴が開き、骨も腱もまともな部分は残ってないようです。
相手の上に跳んだ時に、当たってしまっていました。
グチャグチャに崩れた自分の足は、ゆっくりと治り始めています。
でも――
「少しだけ、休まないと」
ほんの少し休んだら、また歩けるでしょう。
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