参拾玖)人と猫の縁と、それからの事

 心霊手術に麻酔は必要がないらしい。

 腕を差しこまれた瞬間から意識がなくなり、覚醒までには数時間ほどかかるという。

 ただ普通の手術よりは負担は軽いだろうけれどと。

 だから、私は、マタさんの方の手術の様子をじっくりと見ることができた。

 私の両隣には、沖田さんとカーミラさんの旦那さんであるヴラド王。

 枕元には、マタさんが横になっていた。

 

「マタさん、大丈夫?」

「大丈夫だよ。心配すんな」

 

 その手を一度強く握って、声を掛け合った。

 すると、すぐにホルストさんがやって来た。真っ白な神父服が彼の仕事着らしい。それに着替えてきた彼を見て、やはりブラムさんの仲間なんだと思った。そんな服が似合うのは、西洋の神の使徒だけなんだから。

 

「そろそろ施術に取り掛かるよ」

「おう」

 

 彼の脇に座ったホルストさんの両手が青色に光る。

 それをゆっくりとマタさんの体に入れていく。

 何も引っかかりがなく入った瞬間、マタさんは目を瞑り眠っているようになった。普通の手術でいうところの麻酔が効いた状態なんだろう。意識がなくなって、ホルストさんの手が体に差し込まれている。とても奇妙な光景だ。

 やがて、ホルストさんの手が引き出された。

 手には、3つの玉が乗っている。

 さまざまな色に輝きを変え、シャボン玉のように脆そうで、砲丸のように堅そうな――そんな不思議な玉がそこにあった。

 

「これが、すべての生物が持つ魂だよ」

「不思議な玉ですね」

「見え方は、人によって違うんだ。魂をどう捉えているかによって、形や色が変わって見えてくる」

「ホルストさんには、どう見えるんですか?」

「私には、他の臓器と変わらなく見えるよ」


 ホルストさんは、それを私たちに入れた。

 目を覚ましたのは、翌日の昼のことだった。

 

 

 

「マタさん!」


 私の第一声は、そこから始まった。

 でも、まだ彼は目覚めてなかった。


「彼は魂を切除した分だけ、回復が遅いのかもしれないね」

 とホルストさんは、説明した。

「……」

「そんなに、心配しないで」

「いえ、それもそうなんですが」


 どこか熱があるような気がする。

 頬が火照ってしょうがない。

 

「体が熱くて、熱でもあるんでしょうか」

「たぶん、それは京香が今まで体温が気温と同じくらいだったからじゃないかな? まだそういう事例は少ないので、詳しい理由は分からないんだけど。軽く診察しようか」

 

 そのまま簡単な診察のようなものをうけることになった。

 顎や首を触診し、熱を測る程度だったけれど。

 診察中、あの後のことを聞いた。

 

「街は、大丈夫ですか?」

「大きな問題はないよ。何か壊れたりしてたら、うちの本部が直すって言ってあるし。物が壊れたという問題も思いの外、少なかった」

 

 昨夜の戦争は、今もなお傷跡となって、街の中に残っている。

 我が家の塀はボロボロ。

 その他にも大きな物損被害が数件報告されているらしい。でも、予想以下の被害状況ということにホッと胸を撫でおろす。

 

「ケガ人も程度が、軽くて良かったです。あっと、これはあなたに言うべき話ではなかったですね……」

「いえ、大丈夫です。父は体の頑丈さが取り柄みたいなものですし」


 死亡者なし。重傷者2人。軽傷者多数。

 街1つが巻き込まれたにしては、少ない方だろう。

 重傷者の1人、うちの父はまだ眠ったまま。

 父は、腹部に大きな傷を受けた。

 その傷は、近くの医師により応急処置を受けた後、ホルストさんによって手術された。

 そのため今はかなり回復している。

 数日のうちに傷もなかったことになるだろうと。

 けれど、問題なのは、小舟さんの方だ。

 左手は、動かないままだった。

 腕の傷は、奇しくも賢者の石の力で金からもとの肉体に戻り、傷口は完全に塞がっているという。まるで腕が切断された後に、正常な措置が行われたように。

 しかし、傷が塞がっている以上、どうすることもできなければ、動かない理由は不明のまま。

 もう二度と左手の自由を取り戻すことはできないのかもしれない。

 

「小舟さんの手、なんとかなりませんか?」

「しかし、僕は腕を繋げることはできても、腕を作るなんてことは……」

 

 そこにブラムさんが現れた。

 目の下に大きな隈。

 あの戦いの後で、徹夜でもしたのだろうか。

 

「いや、それがそうでもないかもしれないのだ」

「どういうことですか」

 

 ブラムさんの手には、紙の束が握られていた。

 

「サン・ジェルマンのもとから賢者の石の資料が見つかった。これを研究すれば、何かしらの治療方法が見つかるかもしれない」

「あれから、さらに徹夜したんですか?」

「ああ。だから、俺は一度眠る……」


 彼は、フラフラとどこかへ行ってしまう。

 

「でも、良かった。小舟さんの手、治るとイイですね」

「ああ」

 

 とてもいい顔で笑う。

 ホルストさんも晴れやかな顔だ。

 

「ところで、小舟さんは?」

「ああ、今は、あの2人と話をしているよ」

「あの2人?」

「女王と王とね」




 

 女王たちは、居間にいた。

 小舟さんは、片腕を着物の中に隠しながら、その2人と向き合っていた。

 2人――カーミラ女王とヴラド王。

 ヴラド王は、ブラムさんの服を借り、胡坐をかいて座っていた。

 女王はそんな王に体と長い髪を王に預けて、仲睦まじく寄り添う。私がそこに入って来ても、その体勢を変えようとしない。

 なんだか見ている方が恥ずかしい。

 

「貴方さま、彼女が京香ですよ」

「そなたが……」

 

 彼は、低く優しい声をしていた。

 串刺しツェペシュという悪名とは似つかわしくない。顔も肖像画のような怪物的な顔ではなく、まさに東欧の美男子の顔であった。

 

「我と妻を、助けてくださったとは。ありがとう。いくら礼を言ってもたりない」

「いえ、そんな――カーミラさんと約束しただけです」

「そうだ。今、彼とその話をしているのだが。そなたにもしっかりと約束しておこう。今後、このような大きな問題を起こすことはしない。ただ我々は血を求める生物。それだけはどうしようもないのだ」

 

「そこは献血という仕組みで代用いたします」

 と小舟さんは資料を提示する。

「新鮮な血液を定期的に届けるというように」

「献血とは、何だ? それは大丈夫なのか」

 

 知らないというのは、不安だろう。

 私もその説得に加わる。

 

「大丈夫ですよ。大きなケガで血が足りなくなった人に、血を分けるための仕組みなんですから。安全です。約束した以上、この人たちも簡単にあなた方を殺すとは思えません。ですよね?」

「はい、もちろんです」

 

 契約を交わし、2人は早々に故郷へと去った。

 太陽の照りつける昼間であったが、2人の愛に、弱点などなかったのだろう。

 

 

 

 

 わが家で眠っていた豊さんが目を覚ます。

 その隣には、先ほど姿を消したブラムさんが眠っていた。

 必死に戦って、徹夜したのだから無理もないけど。

 

「では、約束は守ったので、家に帰ります」

「そんな急に。今夜はお祝いをするって……」

「でも、勉強をしないといけないんでね。帰ります」


 彼は、参加を断って帰って行った。

 どこか自信に満ち溢あふれた顔で。

 ――彼は、今年の冬、日本トップの大学に合格することになるが、そんなことはまだお釈迦さましか知らない。





 沖田さんが目を覚ました。

 私と同じように熱っぽいと言っていたが、その暑さに、彼は飛び上がって喜んでいた。まるで子供のようにはしゃいでいたが、150年の望みが叶ったんだもの。

 生き返った。

 その喜びは一入ひとしおのはずだ。

 

「京香、ありがとう。俺は……こんなに嬉しいことは久しぶりです」

「良かったですね。私も、生き返ることができました」


 沖田さんの目に涙が光る。

 その雫がぽたりと、私の手に落ちた。

 

「温かい……」

 

 生きてるんだと思う。

 生きている。私の体が。

 そう思うと――目の前が涙に滲む。

 

「京香も――」


 私の手を、沖田さんが取る。

 そして、その手を頬に当てる。

 

「――温かいですよ。とても暖かい手です」

「沖田さん……だって……」

 

 私も、彼も、2人で泣いた。

 彼の大きな腕に包まれながら、2人は嬉し涙を流す。

 温かいって、幸せだと思う。

 

 

 

 

 

 

「マタさんが、目を覚ましたぞ」


 もう夕方のことだった。

 父が15時には目覚めて、私が生き返ったことを喜んでくれた。

 あまりに泣くものだから、私の涙が逆に引っ込んでしまうくらいに。

 でも、嬉しかった。

 そんなことがあってか、呼びに来た父の目はまだ赤い。


「マタさんが、目覚めたよ。でも……」

 

 そう言って、父は言葉を濁した。

 

 

 

 

 

 

「キミは、誰?」

 マタさんは、私のことが分からないようだ。

「ここは?」

 記憶が、なくなっている?

 ぎゅっと抱きしめた私のことを、きょとんとして目で見つめている。


「しかし、優しくしてくれるのならば、いくらでも愛でるがいいぞ」

「うん……、ありがとね」

 

 私は彼の頭を撫で、ホルストさんの方を見る。

 彼は困ったという顔で、頭を掻いた。

 別室に移動し、彼はマタさんにだけ説明したという副作用のことを話した。

 私が彼を一人残した時だろう。

 

「猫又には説明をしたんだ。9つあった魂を切り取ることで、好みなどが変質する可能性があると。だとしても、記憶が飛ぶまでのことがあるなんて……」

「そんな……、酷いですよ」

「私も、彼には言ったんだ。京香は悲しむのではないかと。でも、約束したって言い続けて。自分の身がどうなろうと、沖田と京香は助ける。その方法があったんだから、それに賭けると」

「マタさん……」

「……」

 

 

 私たちは居間に戻り、記憶を失くしてしまったマタさんを囲む。

 記憶がなくても、マタさんはマタさんだった。

 あんなに嫌っていた沖田さんも、

 

「ありがとう、マタ」


 と言って、その頭を撫でた。

 それからパーティーまで、ずっとマタさんと2人でいた。

 今までのことをずっと話し続け、何度「ありがとう」と言ったのか分からないくらい。彼は、途中で聞き飽きたように寝てしまったけれど。そんな自由なところも、またマタさんだと思った。

 そこから簡単なパーティーとなり、ちょっとした御馳走をみんなで囲んだ。

 モミジも昂作も呼んで。

 豊さんは、やっぱり来なかったけど。

 今回の戦のことを、みんなに感謝した。

 これも、縁の成せる技なのかも。

 この話は、いつかお母さんにも教えて上げよう。

 いつか、必ず。

 私の大切な人たちの話を。

 会が終わるとモミジたちが帰り、翌日には小舟さんたちも帰っていった。

 そこから普通の生活が始まるのだ。

 そう、思っていた。




 あの戦いから、1週間後のことだ。

 朝、自分の部屋で目を覚ますと、変な胸騒ぎが私を襲った。

 そして、ふと窓を開けた。



 そこに1枚の手紙。

 正面には、「近藤京香様」とある。

 拾い上げて裏を見ると「沖田総司」とあった。

 私は父を起こして、2人で手紙を読む。

 それには、こう書かれていた。

 

 

 

 

「何も言わず、旅立つことを許してください

「私は、このマタさんを連れ、いろいろなところを回ろうと思っています

「今回の事件を京香には感謝してもしきれない。でも、せめて今の悲しみだけは救いたいと思いました。だから、何も言わず、マタさんを連れていきます。いつかあなたの悲しみが和らいだころ、再びお目にかかりましょう

「俺は、マタさんに償い切れないほどの非礼と大恩があります。京香にも、言いきれないほどの感謝があります。それは絶対に忘れません。ですが、先に私がすべてを引き受け、少しでも彼に恩を返せたときに、また京香の前に現れます

「それでは、また逢う日まで」

 

 

 

 沖田さん――

 父の手が、私の肩を抱く。

 私は、居間から朝の空を見る。

 もうすっかり夏だった。




       □□□




 あれから2年と数カ月。

 別れの季節が、やって来た。

 まだ、沖田さんが帰ってきてはいない。

 私もモミジも昂作も、高校を卒業する。

 証書の筒を持った私たちは、校庭の隅の木の下に集まり、思い出話に花を咲かせる。

 高校生活最後の、瞬間だ。

 これから全員は、別々の道に巣立っていく。

 モミジも昂作も、地元の大学へと進むらしい。

 そして、私は――

 

 モミジは、少し寂しそうに聞いた。

「キョーカ、やっぱり行くの?」

「うん」

「寂しくなるな」

 

 昂作も、同じ顔だ。

 でも、私は知ってるよ?

 

「そうかな? ね、モミジ?」

 

 そう言うと、彼女は頬を染める。

 応援してるよ。

 

「ん? どういうこと?」

「まあ、いいんだよ。でも、昂作、モミジの話ちゃんと聞いてあげてね」

「お、おお」

「……」

 

 私は、進む。

 どんなことがあっても、進むんだ。

 

「じゃあ、行ってくるね」


 私は、沖田さんを追いかけることを決めた。

 もう私たちの時間が永遠ではないことを、あの人にも、マタさんにも分からせてやらないといけないのだから。2年だって、待ち望めば長い月日だってことを。


 あの長すぎた夏の日々より、

 人生はずっと短いってことを。

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