参拾捌)人と、ヒトと猫の縁の事6

 私は、重い扉を開け、家に入る。

 鍵はかかっていなかった。

 マタさんが開けたのかな。


「よし、来たな」


 彼は、入り口のところで待っていた。

 洋風の家に黒猫がたたずんでいる。

 その様子は、どこか海外のホラー映画のような光景だった。

 エントランスと呼ぶべきその場所には、不思議な彫刻や西洋の甲冑が置かれ、ここが日本ではないような雰囲気になっている。左手には幅の広い階段があり、吹き抜けとなった2階を一周し、3階へと続いている。階段の上にある壁面には、美しい絵画がまだそのまま飾られており、吹き抜けを一周する足場が絵画のギャラリーとなっているようだ。

 まるで日本人がイメージする洋館そのもの。

 

「何、これ……」

「どれだけ拘ったんだかね」

 

 階段にも、エントランスにも毛足の長い絨毯が敷かれている。

 これは、本当に私の町にある家なのか。

 

「マタさん、女王さんはどこに?」

「1階の奥じゃないかな。気配がそこに3つある」

「3つ? 女王とホルストさん――もう一つはなんだろ?」

「詳しくは知らないよ。でも、何かヤバいモノなのは確かだろうね」

 

 恐る恐る、先に進む。

 奥へと通じる廊下を辿っていく。

 その廊下すら、うちの2倍はあるんじゃないかという広さなんだけれど。

 なんだろこの家は、広すぎる。

 しばらく、行くとリビングへと出た。

 床面積は、バレーボールのコートくらい。

 もともといろいろな荷物が置かれていたようだが、今は床の上を大きな装置がかなりの面積を占めている。人が中で眠るカプセル。訳の分からない機械や、大きなボンベが3つ後ろに取り付けられている。

 中の人は、首に大きな傷を持つ男だった。

 微かに胸が動いているが、本当に生きているのかは分からない。

 彼の眠るカプセルは、周りに霜が付くほど冷え切っていた。


「来たか」


 吸血鬼は足を組み、ソファに座っていた。

 床には縛られたホルストが転がっている。肩から足首まで、何重にも巻かれたロープのせいで、それは大きな芋虫のようであった。

 口には猿轡さるぐつわがはまっていて、声も出せないようだ。

 

「ホルストさん、大丈夫?」

「見れば、分かろうに。生きている。何もしてはおらん。そこで蟲のごとく、もぞもぞともがいているであろう。とても、とても醜い」

「なんて言い方をするんですか?」

「人と言うのは、醜いモノだろう?

「儚い命とつまらない生き方、くだらない文化、気味の悪い命の営み……羽虫のごとく煩わしい。そんな者は滅べばいい。

「だが、そんな者たちに、ここまで追い込まれたのも事実

「それは認めよう

「だが、お前を殺し、この町から世界を滅ぼすことなど造作もない。さあ、すべてを滅ぼし、私は――この人と共に生きるのだ。永遠に、私たちは生き続ける」

「?」

 私たち?

 

「おい、女王よ」

 マタさんが口を開く。

 

「お前の望みは、そういうことか?」

「何のことだ。我は、我の望みを貴様らに言った覚えはないが。何を、ふざけたことを言う」

「オマエが俺に出会ったとき、何かを跨がせたが……それはそこにいる男だろ。ただ、この戦争の結末は、関係ないはずだろ?いつの間にか、オマエの中で問題がすり替わっているだけだ」

「何をいうか」

 

 女王は立ち上がる。

 威圧感に足がすくむ。

 部屋の中が凍りつくほどに寒くなる。

 能力ではない、純粋な殺気。

 本当に体がバラバラになったかのような気さえした。

 

「簡単なことだろ。何で気付かない」

「私がしたことに、間違いなどない!」

「間違いじゃない。お前は――」


 マタさんが叫ぶ。

 彼女は、マタさんの首を掴んでいた。

 見えなかった。ただ風が吹いただけ。

 

「――……お前は、彼を生き返らせたかっただけなんだろ?」

「……」

「え……?」

 私は、耳を疑う。


 何を言っているんだろうか。

 

「この戦争に、国も、人も、吸血鬼も関係ない。お前とそこにいる男が、再び生きることが望みなんだろ?」

 

 マタさんは、諭すように告げる。

 女王の手が、ゆっくり開かれ、くるりと上手く着地した。

 

「お前は、ただそれだけを望んだはずだ

「だから、お前はこんな戦争を起こして、俺を狙った

「つまりは、ヤツの復活さえ叶えば、お前は国に帰るんだろう?

「お前の目的は、自分の夫であるヴラド王と共に生きることなんだから」

 

「ああ……」

 彼女は、その場にへたり込むと泣き出した。

「ああああああああぁぁぁぁぁ……」

 

 慟哭というほどの大声で、彼女は泣いた。

 その姿に、その泣き顔に、吸血鬼の女王たる威厳はなかった。

 ただ恋する女がそこにいただけだ。

 他には、何もいなかった。



     ☽



「我は、研究の末――1つの可能性に辿りついた」


 彼女は語る。

 長年の研究という紙の束を叩く。

 何百枚、何千枚という紙が置かれている。

 それは手書きの、多種多様な言語で書かれた研究の資料であった。

 

「多くは科学者として使っていたサン・ジェルマンの成果ではあるが……。それによれば起き上がりを引き起こす妖怪ならば、この半死の吸血鬼を蘇えさせることが可能なのではないかということであった」

 それゆえに、女王は日本へ来た。

 明治直後の蝦夷地へ、適当に着地して。

 そこに何があったかなんて、考えもせず。

 ただ猫又を探していた。

 私は、それをホルストさんの縄と猿轡を外しながら聞いていた。

 

「そこで猫の話。猫又の話を知り、私は彼を捕まえた」


 沖田さんと別れた後の1カ月のタイムラグ。

 その間に、「いろいろ」なことがあったと言っていた。

 これが最たることだったのだろう。吸血鬼の女王に拉致されて、海外へ行き、自分の能力の実験をされたのだろう。

 これではマタさんとして、人に聞かせられる話ではない。

 マタさんのプライドを考えれば、なおさら。

 

「猫がマタぐと起き上がるという伝説のことを知った我は、その猫を捉え、我が夫であることを隠して跨がせた。だが、すでに吸血鬼となっていた夫には効果がなく、猫には逃げられ――どうすることもできなかった。問題は、塩だとサン・ジェルマンは告げた」


 王ヴラドの首は、塩漬けにされた。

 首の塩を丁寧に抜くこと、140年。

 

「そして、私は直接命を復活させる秘術に辿りついた」

「それが、俺の技だったのか。いや、我が家・アウアー家の――というべきか」

 

 技?

 私たちの目は、急に声を上げたホルストに向けられる。

 

「僕の家に伝わる秘術を欲して、父を殺したのか」

「あの男は、首を縦に振らなかった。それどころか、夫と共に世界を滅ぼす災厄となり得ると言い張った。我が頭を垂れ、頼んだと言うのに。なのに――だから、私はあの男を殺し、そなたが成長する日を待っていたのだ」

「……お前は」

「決して許されることではないのは分かっている。自分のつまらない自尊心プライドから、戦争を……こんな、望んだわけでもないことを引き起こしてしまった。そなたの父も、この戦争も謝っても、どうしようもないのかもしれないが、どうか許してくれ」

「……」

 

「ホルスト・アウアー殿、我の望みを叶えて下さらぬか?」


 膝をつき、頭を地面に着けて請う。

 その姿に、威厳はまるでない。

 

「なら……取引だ。お前たちは、今後人の世と関わらず、生きることを約束しろ。お前の船や、住み家、あの紙すらも。財産という財産はすべて捨てること。それでも、夫を取るのか?」

「あの人が、戻って来るのなら」

「……わかった」

 

 ホルストさんは、低い真面目な声で答えた。

 だが――、そう言って吸血鬼に手をかざす。


「それには、もう一つ、この猫又の了解を得てからだ」

 

 

 

 

「この秘術について、しっかりと説明させてもらう。それを聞いて、猫又がムリだと判断すれば、この術を行うことはしない。それは女王カーミラも了承してほしい」

「わかった」

「うむ」

 

 マタさんも、女王さんも頷いた。

 ホルストさんは治療役と聞いてはいたけれど、その姿は医師のようだった。

 医者が治療内容を説明するように、彼は話す。

 

「心霊手術の秘術中の秘術であるこの技は、魂を肉体から取り出して移植するというものなんだ。でも、これは――」

 

「魂を……」

 

 私の不安な顔を見てか、ホルストさんは訂正する。

 

「いや、魂という言い方をすると、すべての人格や記憶までも移植するかのような言い分だけど、基本的なデータは脳に入っているからね。どちらかと言えば、脳や心臓を動かすための、生命エネルギーと言ってもいい」

 

「……?」

「まあ、電池の入っていないオモチャに電池を入れるようなものだね」

「それは良い。先を進めろ」

 

 女王はイライラと先を促す。

 

「ちゃんと聞いてくれよ。ヴラド王は首を付け、体を噛んで復活させようとしたということだが。まだ意識が戻らず、首の傷も戻っていない。その点からサン・ジェルマンは、復活のためのエネルギーが足りなかったというのが判断した」

「つまり、それを足せれば――」

「復活が可能ということになる」

「良かった」

 

 吸血鬼の目から、また涙がこぼれた。

 彼女には、もう今までの恐ろしさが残っていないようだった。

 

「猫には、9つの魂がある。それを僕が心霊手術で取り出し、それを王の体に入れるという手術をする。これでいいね」


 みんなが静かに頷いた。

 

「それと京香」

「はい」

 

 ホルストさんの目は、私を見ていた。

 

「たぶん、同じようなエネルギー不足が君たちの体にも起きているんだと思う」

「えっ?」

「ぅええっ!!??」


 何故かマタさんも驚いて、私より大きなリアクションをする。

 

「この錬金術師の資料には、猫又のこともしっかりと調査されている。猫又の力がどういったものなのか。そして、起き上がりの時に、猫又と死体との間にどんなことが起きているかが……」

「どういうことだ?」

「猫には9つの魂がある。でも、それをすべて使って生きているわけではない。9個のうちの1つのエネルギーを使って生きているんだ。残ったエネルギーは使用せず保持しておくようなんだけど、起き上がりをさせるときの外部電源のようなものにもなっているらしい」

「外部電源?」

 私は、ちょっとついていけなくなっている。


「つまりは、猫の体の中にあるエネルギーを共有して使うことで、エネルギーがゼロになった身体でも動くことができているわけ。他から電力を貰って、動いている機械という感じかな?」

「で、結局どういうこと?」とマタさん。

「つまりは、魂を移植させれば、沖田も京香も生き返る可能性があるということさ」

「本当か!」

「ええ」

 

「!……」

 私にも嬉しさが、こみ上げる。

 でも、この気持ちをどうしていいか分からない。

 あまりにも急な感情に、体がついて行かない。

 でも……、

 私は、マタさんを見る。

 あとは、マタさんの心次第。

 

「キョーカ、俺は言っただろ?」

「ん?」

「望みが叶えば、俺は全力でお前と沖田を助けるって。魂くらい、やるよ」

「マタさん、本当に?私たちに魂をくれるの?」

「ああ、当たり前だろ。勿論カーミラのことも助けてやる。この街を救うためにな」

「すまぬ」

 

 カーミラさんが、また頭を下げる。

 

「お前のためじゃない、キョーカのためだからな」

「それでも、ありがたい……」

 

 彼女は、またさらに頭を下げた。

 床に涙の染みが落ちる。

 

 

      〇

 

 

「ならば、さっそく戦争を止めよう」とカーミラは外に出て行った。

「沖田さんを呼びに行ってくる」と京香も行ってしまう。

 でも、ボクは残った。

 

「ホルスト、なんか言ってないことがあるだろ?」

「……分かっちゃったか」

 

 ホルストは頭を掻く。

 喜ぶ京香の前では言えなかったことだろう。

 

 

「いい。言ってくれ」

「大きな副作用があるかもしれない。どんなことになるか不明だけど」

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