肆拾)追いかけっこ~赤い灯りは、キセキを寫す~

 白い光や青い光が、地上の木々を覆う。

 しかし、天よりは違う色の光が注ぐ。

 赤い光。

 聖夜を彩るクリスマスの光の先、そのツリーは輝いていた。

 東京のランドマークとして、そびえ立つ二本のタワー。

 赤い塔と白い塔と。

 その古い方、東京タワーの元に私はいた。

 

 田舎育ちの私には、土地勘があったわけではない。

 だから、これがあるのは、もう少し都心から離れた、もっと静かな所だと思っていた。

「意外とビルの真ん中にあるんだね」。それが最初の感想だった。

 都の中央よりは、西寄りの、東京湾にも程近いところにそれはある。

 

 周りにはホテルや寺もあるが、観光客のせいか静かとは言い難い。

 何人も、私の横を通り過ぎていく。

 12月なのに。

 袖の短いシャツの海外の人の姿は、見ているだけで寒い。

 ふう……、吐く息が白く、染まる。

 こちらの冬のほうが、私には寒いように思う。

 冷たくて乾いた空気は、服の隙間から体を突き刺していく。

 家の方は、もう雪が積もっているはずだ。

 もう8カ月、私は家に帰ってなかった。

 

 自分の貯金を切り崩し、時間と雇ってくれる場所があればバイトをした。

 未成年だという自分の立場は、簡単に邪魔をして、貯金も底をつく寸前だった。

 私があの人を探しに出ると言って、家を出るのを決めたとき、否定しなかった父も今や「帰って来い」というのが口癖である。

 

 私だって帰りたい。

 でも、それは……


〝あの人のいる家〟に帰りたいという願望だ。

 

 あの人のいない家、それは何かが自分のなかで拒絶する。

 恋なんて、分かっていなかった3年前の日々。

 

 

 

 私のツマラナイ人生の中で、たった1粒の砂金のようにすら思える。

 あのような日々をもう1度取り返せるのなら……

 私はここで朽ち果てることすらもいとわない。

 それに、もはや今18歳から19歳の、輝かしい8カ月を賭けた今では早々に引き返せるものではない。

 

 

 輝かしい――なんて私に似つかわしくない言葉だろう。

 一度、死んだ私。

 殺されかけたこともある。

 そして、暗い人生を歩んだ私には、なんて滑稽な形容詞だろう。

 

 

 ただ1人、日本中を旅して歩いただけの私に何の価値がある?何の値打ちがある?

 たった1人の探し人さえ見つけられない私に、何の意味がある?

 

 

 先日、1人の友人に会った。

 高校のクラスメイトで、特別に親しかったわけでもなかった。

 彼女は、大学生活を楽しく送っているらしい。

 

 

 町ですれ違った彼女は、輝かしい笑みで私に「久しぶり」と言って、手を振った。

 着古したコートと傷だらけのキャリーバックを引き摺りながら歩いていた私に。

 久しくまともなホテルには泊まれず、ネットカフェなどを渡り歩いて生きていた私に。

 疲れ切った眼をして、ただ歩き続けるしかなかった私に。

 彼女の姿はあまりに眩しかった。

 眩しくて、見れなかった。

 

 こうなれたかもしれないという幻影は、ただ無様な私を傷付けた。

 なんで、こうなったんだろう。

 なんで、こうしているんだろう。

 とげが、心に引っかかったままだ。

 今も、ただズキズキと痛い。

 痛い。

 痛くて、痛くてしょうがない。

 

 

「なんで」

 私の口を、言葉が押し破る。

「どうして、私はこんなことをしてるんだろう」

 

 

 辛い



 ――今まで考えないようにしていた感情が、心に湧き始める。

 ああ……

 帰ってしまおうか。

 その方が、いいんじゃないだろうか。

 私の貯金の残高は、ちょうどそれくらいなら残っている。

 キャリーバッグを引く手に、向きを変えるように力を込めた。

 その時だった。

 

 

「諦めるのか?」

 

 いつか、聞いた声。

 私のよく知る、いっとう高貴な女性。

 3年も前に、必死で抗った女性ひとがそこに立っていた。

 美しい金色こんじきの髪と、死人のように白い肌。あかき宝石のような目。

 自由を大幅に制限されながらも、大切な夫とともに暮らしていると聞いていたのに。

 夜に生きる伝説の吸血鬼の女王が、そこに立っていた。


「なんで? なんで、カーミラさんがここに」

 

 私は驚くことしかできなかった。

 そして、その疑問を思考するよりも、彼女が東京にいることの不似合さを想った。


「一応定期的なガス抜きを許してもらっている」

「ガス抜き?」

「年に一度、場所も日本だけという制限はあるが、出掛けられないよりはマシだからな。まあ、夫と海外デートというやつさ」

「で、でも……」

「そんなときに懐かしい顔を見つけてな、小舟からちょっとだけ逃げてきた」

 

 それは大丈夫なんだろうか。

 小舟さんたち、絶対困ってると思うけど。

 にしても、相変わらず日本語がうまい。

 頭の良さも怪物並みだ。

 

「……そうですか」

「にしても」

 

 彼女は、私の顔を掴む。

 冷たい手。

 かつての私の手みたいに。


「つまらない女になったな。我らと戦った女とは思えない」

「そうですか。今までも――」

 

 彼女の手の力が、急に強まった。

 私の顎なんて、簡単に砕かれてしまうだろう。

 

「『今までもツマラナイ女だった』――そう言ってみろ」

 睨みつけられ、まっすぐな殺意を向けられる。

「顔が半分無くなるぞ」

 

 彼女の目は、真剣に私を睨む。

 殺意が、私の目を鋭く射抜いた。

 

「我は、そんなツマラナイ女に負けたとは思いたくない」

「……」

「近藤京香。そなたには力がある。人も、人でないモノもそこに集まる力が。『縁』――そんな力があるんだろうな」

「でも、もう8カ月も探しているのに」

「――運命の人というのを信じるか?」

「え?」

 

 彼女は、私の目をジッと見つめる。

 さっきまでの顔とは、まったく違っていた。

 

「運命の相手というのは、出会うときもドラマチックなものぞ?」

 

 彼女の顔は、恋をする女の顔になった。

 

 

 

 神々しい、金髪の女性。

 彼女のことを、通行人は何度も振り返った。

 隣に並ぶのが恥ずかしくなるほど、恐ろしく彼女は美しいのだ。

 彼女と私は、月とすっぽんだ。

 いや、すっぽんよりも劣った、水の中の虫だろう。

 

 風が吹く。

 彼女は、空を見上げた。

 白い、小さな光が落ちてくる。

 それは街の明かりで輝いて、聖夜を彩る。

 ホワイトクリスマスだ。

 

 

「さすがに寒い。何か食べないか?」

「良いですけど、大丈夫なんですか? 探されてたり……」


 ぎろり。

 めちゃくちゃ睨まれた。

 えー。

 

「おっ……、そこに面白い物があるな」

 

 え?

 彼女が指を指す先には一個の屋台。

 いつの間にかタワーを離れ、オフィス街へと足を踏み入れてしまっていたようだ。

 今でも何件かは、古式ゆかしい屋台が並ぶ。

 赤い提灯には、おでんと書いてある。

 

「日本の屋台と言うものに興味が合ってな」

 そういう彼女に従って、屋台へと近づいていく。

「いらっしゃい」

 

 若く優しい、良い声がした。

 暖簾を開ける。

 あっ……。

「そういえば、普通の料理って食べるんですか?」

 

 と聞いた声に、女王さまの声は帰って来なかった。

 隣には、誰もいない。

 あれ?

 しかし、声まで掛けられて帰るのは、忍びない。

 私は、そうして席に付いた。

 

「いらっしゃい――京香」

「え……」

 



 この世に縁の力はある。

 でも、自分だけの力では決して無い。

 

 それを理解して、私は少し大人になれる。

 猫又とはいえケモノと屋台を始めたこの人に、ちょっとした――8か月分の小言を言えるだけの大人に。

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