弐:猫又の、死にし彼女を目覚めさせし事2
白く染まった世界が、また暗くなった。
どこかのお花畑が見えたが、それは気のせいだろう。
そうだ、そんなものはない。
花の香りもだんだんと遠のいていく。羽の生えた人とか、頭の上に光る輪っかのある人なんているわけがない。ただの錯覚だ。そう思っていたら、見ていた世界は黒く、暗くなった。
あれは夢。
きっと、そうに違いない。
ここは自分の家のベッドの中で、心地よい夢を見ていたはずなんだから。
そうだ。先生は時間通りに授業を終えて、私は早く家に帰ると、ちゃんとご飯を作る。父は美味しいと言ってそれを食べ、談笑する。そうして眠っていた。もう朝だろうか、なのにまだ暗いみたい。
体が揺らされている。
声が聞こえる。
なんだろう? そう言えば、体も痛いような気がしてきた。特に頭が。
気のせいだ、気のせい。
このまま――起きればいいの?
「あの、大丈夫ですか?」
声が聞こえる。
男の人の声。透き通ったキレイな声。
「意識、ありますか?」
「……」
「痛いところとか」
目を開けると、私は男の人の腕に抱かれていた。どういう状況なんだっけ。
何も思い出せない。
周りは、ただの夜道。
ベッドで眠っていたわけではなかった。
こんな道の真ん中で、何をしていたんだろう。
その人と目が合う。私を抱き起こしてくれている。
あ、さっき走っていた人みたいだった。
顔は、けっこうカッコイイ部類だと思う……いや、ここにモミジがいれば騒いでいるくらい、かなりいい部類に入る。私は……私には、あまり興味のない部類だけど。
なんだろう、この状況は?
そんな人に抱かれて……。
抱かれて?!?!
自分でも、理解できない状況に体が反応する。
「へゃ!」
変な声を上げ、飛び起きる。
ここは道の真ん中、こんな所で、何をしていた?
????
頭がズキズキと痛む。ふと自分の後頭部に手を当ててみたが、触ってみても何も起こっていない。割れるように痛かった気がするんだけど……分からない。
どうしたんだろ。自分のことなのに記憶がない。
「急に起き上がると危険ですよ。ケガをしてるみたいですから」
「痛っ」
ズキンとした痛みが走る。
そういえば気を失っていた?
のかな……私は、転んで……。
思い出そうとしても何も分からない。
「ムリしないで下さい。よろしければ、家まで送っても構いませんか?」
彼は必死に介抱してくれたけど、どこか変だった。
そこまでしてくれるなんて。
一瞬危ない人ではないかとも思ったが、その顔には真剣さ以外のものを感じられなかった。
でも、自分の家を知られるのは、さすがに困ってしまう。
「大丈夫ですから」
「本当に?」
「ええ。本当に」
「……」
「どうかしました?」
「いえ、大丈夫なら、いいんです。心配だったものですから」
もしかして、何かを知ってる?
さっき見えたのが、彼なら。
「あの、すいません。私、どうしてたんでしょう?」
「えっ……、急に倒れられたみたいで。心配で、走って来たんです」
「そう、ですか?」
なんだか、様子が変だった。
何かを隠しているみたいに。
「ありがとうございます。助かりました」
「では、気をつけてくださいね」
そうして彼とは別れた。
少しだけ歩いて振り返ると、彼はまだそこに立ち、心配そうにこっちを見ているようだった。あれだけ心配してくれるとは、優しい人みたいだ。
危ない人なんて思ってごめんなさい。
夜道を少し速足で駆け、家路を急ぐ。
「それにしても不思議な人だったな」
空には、星空が広がっている。
星が落ちてきそうな満点の空。
落ちてきたのは、たぶん星の王子様だったんだろう。
なんてね。
フラフラと家に帰ると、何も食べず、まっすぐに部屋に向かった。
玄関を入るとき、そして階段を上がるとき、父親が何か声を掛けたようだったけど、それには答えることはなかった。嫌いだからっていう理由ではない。
本当に、本当に疲れていた。
父親の方は、最近何かとヨソヨソしいけれど。
私は布団に倒れ込む。「あ、制服のままだ」というのが過ぎっても、起き上がることはできなかった。体は石のように重くて、何か食べている余裕もなく私は夢の中に落ちていく。
明日は、土曜。
何も、することはない。
するすると温かいものに、沈んでいく。
そして――
「おーい」
声が聞こえた気がした。
薄く目を開けると、部屋のカーテンが開いていた。
日はすでに高く昇っていて、部屋の中には光が燦々と降り注いでいる。
昨日は眠くて。閉め忘れたようだ。
「眩しいよ……」
あれ? 誰の声だろ?
ベッドの向かいにはベランダに続く窓があり、頭のほうの壁にも窓がある。それが、どっちも開いていた。窓を閉めることも諦めたのがうっすらと記憶にある。
時計はすでに午前10時を回っていた。
ずいぶんと長く寝てしまった、みたい。
でも、あまりに一瞬のことで、眠った気がしない。
家の隣にある工場からは、機械の音が響いている。
工場の主である父親は、すでに働いているはずで、こんな時間に私を起こしに来たり、何かを言いに来るような人ではない。
誰だろうと、キョロキョロと部屋の中を見回した。
トントン――窓を叩く音。
ベランダに、1匹の猫がいるのが見えた。
窓を開けようと思っているのか。爪で引っ掻いたり、窓を叩いたりしている。少し普通の猫よりはサイズが大きいようにも見えるが、とても愛らしい。内側に鍵があるから、開くはずはないのに。
なのに、ちょいちょいと鍵のところを「ちょんちょん」と触っている。
「カワイイな~。なんだろ、この子」
布団から起き出して、鍵を開けてやろうと立ち上がった。
猫はまだカリカリと爪を立ている。
私が近づいても、この子は動じずに逃げていかない。
人に慣れているみたいだった。
私はドアを開けながら、猫に話しかける。
「それにしても。何してるの、キミ。うちのベランダで」
「話があったからな。来てやったんだ。早く開けてくれ」
一度後ろを振り返って、部屋のドアの方を確認する。
……誰もいない。
ん?
窓の隙間を潜るように、猫がするりと入って来る。
「おっと……」
にしても、何だろう、さっきの?
誰かが何か言ったみたいだったけど。
私は猫と目が合う。
「キミ?」
「……」
入ってきて、一歩目で立ち止まっている。
座りこんでは、「前足をどうしましょう?」と言わんばかりに私に差し出す。
「まさか、そんなことはないよね」
「そうだ」
「え?」
「だから、話をしに来たんだって」
しゃべった。
え、しゃべった……。
猫が?
?
「猫がしゃべった!!!!!!」
私は後ろに飛び退いて、叫び声を上げる。
目の前であり得ないことが起きていた。
頭がこんがらがって上手く状況が理解できない。
「猫なのに、しゃべってる……」
「猫だって、しゃべりたいときもあるんだろ。気にするな。お約束にもほどがあるぞ」
「へ?」
お約束って……。
ありきたりなリアクションだったか?
いやいや。そんなことじゃない。
「そもそも猫じゃない。 ボクは、猫又だ」
「猫又?」
「人間のくくりで言うなら、妖怪というヤツになる」
妖怪という言葉でも信じざるを得ない状況が、目の前で起きている。
猫又さんがとても冷静に話をしてくるせいで、だんだんと落ち着いてきた。でもなんだろう。この子との会話は、懐かしい感じさえする。
こんな不思議なことには、初めて会うのに。
「あの、一通り驚いたら、タオルか何かを貰えないかな。床を汚しかねない」
それで前足を。
「あ、気が利かなくてごめん。持ってくるね」
「そんなにきれいなのじゃなくてもいいから」
気を使える、いい猫さんのようだった。
猫又さんは、ベッドの上にちょこんと座った。
変わりに、私が床の上に座ることになったけど。
「ボクは、猫又だ。名前は――特にないから、好きに呼んでくれ」
「はあ……」
いや、いろいろ飲み込めてないんだけど、というのはあえて言わなかった。ツッコミをいれるにしても多すぎて追いつかない。すべてひっくるめて「訳が分からない」の一言に集約される。
「……」
猫又さんは、静かに待っている。
名前を付けろってことかな?
「じゃあ、『マタさん』とか?」
「うん。それでいい。呼びやすいように呼んでくれ」
「で、マタさんは、なんでここに?」
「んー、どうしたもんかな。いろいろ説明しないといけないことはあるんだけど……」
猫らしからず腕を組み、顎に手を当てる。
「……逆にひとつだけ聞くけど、昨日の夜のことをどれだけ覚えてる?」
「昨日?」
私は、首を傾げて考えた。
「私は、昨日、塾に行って……帰ってきた。で、帰り道に、男の人がいて……」
「なんか、混乱してる? しょうがないけど」
マタさんは、布団の上で「ふはあ」と欠伸をしながら、両手(いや、前足か)を突っ張って背中を伸ばしている。今度は布団の上に伏せて、話を続けた。
「昨日、ボクもあの現場にいた。話してやろう」
彼が言うところには、原因はマタさん自身にあるらしい。
だが、その原因を作った側の人間(じゃない、猫又か)だと言うのに態度は平然としている。というか、むしろ、ふてぶてしい。長い年月を生きて来たからこその思考なんだろうか、とても偉そうである。
上から目線どころの話ではない。
目線は、かなり下のくせに。
彼は、昨夜、ある男に追いかけられていたと言う。
かなりしつこい奴だと。
「妖怪ハンターとか、陰陽師みたいなやつってこと?」
「いや、普通の人間だな。昔は、いろいろヤンチャしていたようだが」
「ん? なんで、そんな普通の人に追いかけられてるの? 追いかけられるようなことでもしたの?」
「まあ、これでも妖怪だからな」
答えになっていない。
けれども、妖怪とは昔から人に害をなすものが少なからずいるのは確かだ。猫又という妖怪も害のあるほうに含まれるという。この時はまだ知らないことであったが、猫又は野山に住み、老人を喰らう妖怪だという。
「でも、妖怪ハンターとかそういう人じゃないなら、マタさんを追いかける原因があるってことだよね」
「まあ、そうだな」
「何したの?」
「……」
マタさんは体を起こし、耳の後ろを後ろ足で掻きながら言葉に詰まっていた。
その様子は、ただ愛らしいだけの猫だった。
ドン――
大きな音がして、マタさんはビクッと体を震わせる。
ベランダのほうだった。
私もそちらに体を向ける。
1人の男がベランダに立っていた。
どこから現れたのか。
白昼堂々と泥棒だろうか。
猫又が現れた上に泥棒とは、なかなかにハードな土曜日だ。だが、実害としては泥棒のほうが上ではある。インパクト的には負けるけど。
私も、それにマタさんも身構えた。
「あれ? 昨日の……人」
すぐにピンときた。
昨日と同じ服だが、手に長い物を持っている。野球部が良く持っているような「バット入れ」のようだ。昨日とは、雰囲気が違う。昨日は優しそうだったのに、今はとても怖い。
「猫又ぁ!」
男は、筒を開ける。
中から出てきたのは、日本刀だった。
鞘から抜き放ち、本物の白刃が光る。
真剣だろうか、初めて見た。
男がそれを構えると、冷たい空気が流れた。
部屋の中のすべてのものが、一瞬で死に絶えたような静けさが包む。
それを、殺気というんだろう。
鋭い目が、猫を睨んでいる。
「覚悟!」
家が壊れるかというミシリという音を残し、男が突っ込んでくる。
私のことなんて見えていない。
「まて。まて」
マタさんは小さな手を可愛くパタパタさせて、男を制止する。
その速さから見て、かなり必死のようだ。
「見ろ、これ」
「問答無用だ。死ね」
「昨日の娘だぞ。昨日は気にかけたくせに。てか、オマエにも責任があるはずだろ」
「知らぬ。俺は、キサマを……」
と言いながら、その男と私は目が合った。
昨日は暗い所だったせいか。
雰囲気がまた違う。
真白な肌と、吸い込まれそうな鋭い目。
顔かたちはあまりに整いすぎて、見ていると恥ずかしくなる。
私でも、引き込まれそうになるくらいキレイな人だ。
そんなに人に顔を覗きこまれると、ちょっとだけそわそわしてしまう。
恥ずかしいのですが……。
「あれ? 本当に昨日の……」
ようやく気付いた風だった。
マタさんの方は、呆れた風に言う。
「だから、言っただろうが。ほら、オマエからも話してやれ。ああ、セキニンはないんだっけか?」
「いや、それは言葉の綾というもので……」
彼はとても必死そうに説得する。私の目を見つめて。
そこにさっきまでの彼の姿はない。彼は本気で困っているみたいだ。
マタさんが隣にやって来て、私に小声で話す。
「コイツ、2重人格みたいなもんでさ」
「どういうこと?」
「戦いになると、人が変わるタイプってやつだよ」
確かに、さっきまでと感じが違う。
今は、昨日のような優しい口調に戻っている。しかし、先ほどマタさんに敵意を向いていたときは、まったくの別人だった。戦うことが最優先で、他のものが何も見えていないみたいに。
なんて、人だろう。
怖い人? それとも、優しい人だろうか?
「あの……」
「申し訳ありませんでした」
「どちら様ですか? というか、マタさんとお知り合いなんですか?」
それもおかしな質問か?
何を聞いたらいいんだろう……
男は床に膝をつき、刀を右に置く。
その所作は、とても美しく礼儀が感じられる。
「笑われるかもしれませんが、どうか気を悪くせずに聞いてください」
「何を、でしょう?」
「すべてを、です。真実だけを話します」
「はあ……。でも、気を悪くするだなんて」
そもそもここにしゃべる猫。
もとい妖怪猫又のマタさんがいるのだ。
大抵のことは信じられる。
「ならば、申し上げます。俺は、
「……」
「ご理解いただけましたか?」
「へ?」
「え?」
私と、沖田総司と名乗ったその男は、向かい合って互いに同じ方に首を傾けた。
訳が分からない。
「ありえないって!!」
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