参)猫又の、死にし彼女を目覚めさせし事3

「ありえないって!」

 

 首を傾げに傾げてからの、私の第一声はそれだった。

 せめて、妖怪までは信じてもいいと思った。

 でも、それだけはない。ありえない。

 死んだ人間すら蘇る世界。

 不老不死なんていう、おとぎ話のようなフレーズ。

 蘇った沖田総司!?

 現実世界にあっていいものなの?

 

 それに、人が生き返るなら……いや、よそう。そんなことを考えるのは。

 

「マタさんも、私を騙そうとしてる?」

「いやいや、違うって。まったくどうしたら信じてくれるんだ?」

「しゃべる猫がいて、それが妖怪だっていうのなら分かるよ。でも、普通に生きて……というか、動いてる人がいて、それが昔に死んだっていう沖田総司を名乗っても信じられる?」

「……だね」

「そうでしょ?」

「猫……キサマまで納得するな!」


 沖田さん――今のところ『沖田と名乗った人』さんは、怒りで震えているようだ。

 顔も赤くなってきて、また口調も変わっている。

 どうやらマタさんの前では、攻撃的になるらしい。

 沖田さん(仮)は、ゆっくりと深呼吸。

 それで少し落ち着いたのか。私の方を向く。


「もし、何かをお答えしたら、信じてくれますか? 自分がどんなことをした人間だとかを説明してみせます。俺しか知らないことなんかもありますし」

「えっ、でも……」


 なんとか怒りを飲み込んだ沖田さん(仮)が言うには、何か自分に質問をしてみろということのようだった。なんでも答えてくれると。しかし、当の私はそこまで新選組に詳しいわけではない。確かめるにも術がない。

 新選組にいた剣士だということくらいかも……


「すいません、私、歴史に詳しくなくて」

「バカだな、オマエ」


 マタさんは、せっかく怒りを飲み込んだ沖田さん(仮)に暴言を吐く。

 こんなんだから、ケンカするんだろうな。


「歴史に詳しくない娘だっているんだぞ」

「嘘だろ?」と沖田さん(仮)は驚愕している。「今どきの婦女子の多くは、歴女というものだと」

「古いんだよ、知識が」


 だいぶ古いね……。古いし、間違ってる。

 それでも先にツッコミを入れたのは、現代人の私ではなく、マタさんだった。

 どこで覚えるのか。マタさんはかなり流行に詳しいみたいだ。

 逆に沖田さん(仮)はそうでもないらしい。流行には乗り遅れるタイプなのかな。ネタはだいぶ古いようだけれど。


「まあ、たしかに……」

 なだめようにも、沖田さん(仮)はもっと顔を真っ赤にしている。恥ずかしいんだろうな。二人につっこまれて。


 

  

 話を変えよう。

 部屋の中で派手に喧嘩されても困る。


「でも、本当に死んでいるなら、なんで動いているの?」

「……」


 マタさんは、頭を掻く。


「それって普通に生きてるってことじゃないの?」

「それは……ボクの力」

 マタさんは始め言いにくそうにしていたが、すんなりと答える。


「聞いたことないか? 『猫が死体を跨ぐと起き上がる』」

「へえ……ダヨネ」

 私は、目をそらす。

「ないんだろっ!」

「……でも、メジャーではないよね」

「いいよ。じゃあメジャーな方、ちょっと見せてやる」


 体を一度ふるふるさせながら立ち上がった。

 布団の上におすわりし、今度はその小さな手を舐めて、顔をごしごしと擦る。

かなり念入りな感じで顔を洗い始めた。『猫が顔を洗うと……』ってことだろうか。

 さっきまで明るかった部屋の中が急に暗くなる。

 窓の外を見ると、晴れていた空が灰色に染まっていた。開けたままのベランダの窓から少し冷たい風が入ってきて、湿った雨の匂いを感じる。

 ――ポタリ。

 ベランダの床に水滴が落ちる。

 それはだんだんと数が増え、本降りの雨になった。


「『猫が顔を洗うと雨になる』んだ。まあ、他にもあるけどな」

「本当なんだ……」

 

 驚くどころの話じゃない。

 そんなのを軽く飛び越えて、感動している。

 妖怪って、すごい。

 目の前で起こる不思議な事態に、マタさんのことを信じたくなった。


「えっと……だから、この人は本当に沖田総司さん本人で、ずっと生き続けてるの!?」

「そう」

「死んだ人間でも、生き返らせるってこと?」

「だから、そうだって」


 かなりあっさり認めた。

 沖田さんも素直にうなずいている。


 

 

「ん? ということは、マタさんって結構な年?」

「ああ、ボクは沖田よりも昔から生きてるよ。妖怪としては普通だけど」

「妖怪の普通が分からないけど……すごいんだ!」

 

 さっきから感動しかしてない気がする。

 妖怪の間に混ぜられているんだと急に実感が沸く。

 マタさんは、さらに説明を続ける。


「で、江戸時代に彼と出逢った。当時、結核で死んだ彼を生き返らせて。当時もこのままだったな」


 私は、彼の顔を見る。

 もっと真面目に歴史を勉強しよう。

 学校で習うことも、習わないことも。新選組のことや、沖田さんのことも。

 とても知りたくなったから。

 

 

 ん?

 当時もってことは?


「えっ、完全に不老不死ってこと?!」


 つややかな肌をマジマジと見つめる。

 これが、ずっとってことなのか。


「まあ、そうですね。でも、すごいことでは、ありませんよ。普通に死ねることのほうが、何倍も幸福です」

「?」


 私は首を傾げる。沖田さんの目がとても悲しそうだった。

 彼は遠くを見つめる。少し上の方を。

 その目は、私も知っている。

 死んだ誰かを仰ぎ見る目だ。

 特に、とても大切な人のことを。


「江戸時代には、俺にも仲間がいました。大切な仲間が。でも、みんな死んでしまいました。私だけを残して。私も仲間と共に、逝きたかった」


 彼の目から涙が零れる。

 そんな瞳が私を捉えた。


「こんな悲しみをアナタにも背負わせることになるとは」

「え?」

「え?」


 沖田さんは涙を拭い、一度マタさんの顔を確認した。

 二人の間に気まずい空気が流れる。


「まだ言ってないんだ」

「! ……キサマ」


 私の理解が追い付いていないところで、二人がケンカを始める。今日すでに何度目かの。今度は、口だけでなく沖田さんがマタさんに飛び掛かった。部屋の中でバタバタと暴れる。

 沖田さんは、全力でマタさんを捕まえようとしているが、やはり猫は速い。

 部屋の中を逃げる速さは、人が捕まえられるスピードではない。

 しかし、勝手に巻き込まれた私を放置って何なんだ?


「ちょっ……ちょっと待って」

 私は逃げてきたマタさんを抱きかかえて捕まえる。

 それがケンカを止める一番確実な方法だった。


「ちゃんと説明してください!」

 私が一喝すると、マタさんは腕の中から飛び降り、沖田さんと並んで床に座った。


「どうなっているんですか。何も分からないままで進めないで!」

 ベッドに腰掛けて、2人に問いただす。


 マタさんと沖田は、一度顔を見合わせた。

 そして、昨日私の身に起こったこと、それにマタさんと沖田さんがどう関わったのかを詳しく語り始めた。

 昨日の夜――私がまだしっかりと思い出せない昨日の夜の出来事を。

 

 

     ■■■

 

 

 まずは沖田さんが口を開いた。

「俺は、この猫をずっと追いかけていました。昨日の夜も隣の町から」

「ボクは、昨日の夜にこの町に来た。で、偶然にも家に帰る途中の君に出くわしたんだ。本当にたまたまだった」

「猫は、君の前を横切ったんです。俺が追いかけていたから……」

 

 昨日、確かにすごい速さで横切る影に出会った。

 でも、マタさんだったとは。

 

 とんでもない速さで、何が通ったのか分からないほどだった。

 私は、驚いて後ろにのけ反った。

 後ろに……。


 あれ?

 

 またマタさんは、ばつが悪そうに頭を掻く。

「つまり、ボクの速さと風のせいで倒れてしまったんだよね」

「その後の事、覚えていますか?」

 沖田さんは、私の目を見て、そう語りかける。

 

 その後……どうしたんだろ?

 思い出すのが、恐くなってきた。手が震える。


「しっかりと聞いてくださいい。いいですね」

「うん……」


 沖田さんの手が、私の肩を抱く。信じられない近さに、私の緊張は高まる。

 彼の手は、痛いくらいしっかりと肩を掴んでいた。

 心配してくれているのか。


「あの時、君は後ろ向きに倒れてしまったんです。そして……」

「……」


 彼も私も、息を飲む。

 そんな音さえ聞こえてしまうほど、部屋の中は静かだった。

 マタさんの目が、きらりと光った。


「あなたは死んだんです」

「……死んだ?」


 訳が分からなかった。

 死んだ? 死んだって、どういうことだっけ。


「君が転んだところには、運悪く道路の縁石がありました」


 あの道には、確かにある。

 後ろに倒れた私は、それに……

 頭を。

 頭を? 打った。


「道路の端の縁石に後頭部を強く打ちつけたみたいでした。俺はすぐに立ち止まって、脈を確認した。君の脈は止まっていました。呼吸も」

「……、……ウソ……」


 まだ信じられない。

 でも、だんだんと頭が、体が思い出そうとしている。


「外に傷はほとんどなかったけれど、君は一度死んだんだと思います」

「で、そこにボクも戻ってきた」とマタさん。「まさか彼から逃げる途中で、こんなことになるなんて思ってもみなかった。だから、とっさに『跨いだ』んだ。君の体を」

「で、生き返った……?」


 でも、普通ならこれでハッピーエンド。

 私は若いまま不老不死になって、誰かといつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 めでたし、めでたし。

 めでたし?

 でも、これは、

 そんなおとぎ話じゃない。

 これは、不幸な男女の話なんだって。

 二度と死ぬことができなくなった男と女の奇妙な物語なのだから。

 

「でも、待って。沖田さんは、なんでそんなに悲しそうなんです? 死なないのに」

「死ねないからですよ」

「ちょっといいか。ケータイ、ある?」


 マタさんは、ケータイを貸してほしいと白い手を出した。

 私のスマートフォンは、彼の手には少し大きかったので、目の前の床に置いてあげた。

 マタさんは、それをピンク色の肉球で、ちょこちょこと画面を操作する。

 検索の機能を使い、沖田総司のページを開き出す。


「ほら、これだ」

 マタさんが出したネットのページには、こう書かれていた。

『沖田総司 1868年7月19日没』


「俺は、この日に確かに死にました。そして、その日に猫に遭い、生き返った。つまり、150年間も2度目の人生を送っているんです。それも一人で。知っている人間も知り合った人間もことごとく死んでいく……そんな人生が分かりますか?」


 想像できない数字だった。

 150年の人生。

 150年の孤独。

 独りきりで生きるには、なんて途方もない時間だろう。


「それでも最初は喜んだんです、これで、戦いに行けるって。でも、近藤さんも蝦夷――北海道に着いたときにはすでに土方さんも死んでいました。本当に恨みましたよ、猫を」


 誰も何も言わない。

 少し弱くなってきた雨の音だけが聞こえている。


「知っている人間が誰もいない。そんな時代を生きる内、俺は死ぬことを決めました。でも、これを解く術を、この猫は知らなかった。それを地獄と言わず、何と言ったらいいでしょう。死にたくても、永遠に死ぬことのできない地獄を」


ガリッ!!


「痛ッ……」

 マタさんが彼を引っ掻いたようだ。


 でも、私にはそれどころじゃなかった。

 満足に死ぬこともできない、そんな体で永遠の人生を歩んでいくことが今決まったんだから。家族のことや学校のこと。どうしよう。友だちは、どうするんだろう。さまざまなことが頭で渦巻きながらも、形にならず泡のように消えていく。

 一人で、生きる。

 その辛さは痛い。

 沖田さんの沈痛な気持ちが刺さった。


「まあ、少し待て」

 マタさんは、私の足に飛び乗った。

 そこで、そのまま丸くなる。


「本当に死ぬことができないのか。ボクにもそれは分からない」

「いや、現に俺は、死んでないけど」


 また嫌なことを言う。

 すぐにマタさんは、キッとそっちを睨む。


「お前には言ってない。バカっ」

「何!?」

「まあ、なんだ」

 マタさんは、尻尾を軽く振って私の腕を叩く。

「まだボクも力の全貌を把握できてないっていうのが本当なんだ。だから、いずれは解く方法も見つかるかもしれない」

「俺は、この猫を殺せば、不死の呪いが解けるのではないかと考えているところですが」

「そんなんで解けるか」

「やってみなければ、分からないはずだぞ」


 沖田さんは床に置いていた刀を手に取り、構える。

 刀の切先からは、恐ろしいほどのプレッシャーが素人の私にも感じ取れた。

 剣士の本気の殺意が伝わる。


「待って」

 マタさんを抱えて、立ち上がる。

「マタさんが 可哀そう」

「しかし、そいつは俺や君を死ねない体にしたんだぞ」

「う……」

「誰かと触れ合うだけで気味悪がられ、恋もできないかもしれないんですよ。それでもいいんですか」

 剣を握る手が、ぎゅっと強くなったようだった。

「……」

「私が、どれだけ辛かったか。知っていますか」

「うるさい!」

 私が大声を上げると沖田さんは静かになった。

「そんな沖田さん、ぜんぜんカッコ良くない。大っ嫌い」

「……でも、平気じゃないでしょう。その体のまま生きるのはとても大変なことなんですから」

 

 けれど、まだマタさんを優しく抱きかかえることができる。

 体温は、ほとんどなくなってしまったのか、少しだけ寒い。

 でも、まだ動くことができる。

『あの人』のように冷たくはない。

 それだけで大丈夫だと思えた。


「……まだ大丈夫」

「? なにか言いました?」


 私は、まだ大丈夫。

 自分に言い聞かせる。


「……でも、術をかけた人が死んで、それは永遠に解けませんでしたっていう話の主人公にはなりたくないもの」


 沖田さんは、構えた刀を下した。

 私の目を見て、真剣に話を聞いてくれた。


「だから、少しだけ。マタさんと考えればいいんです」

「少しだけ、ですか」


 刃を鞘に納め、床に置く。

 待ってもいい、ということだろう。


「まあ、150年も待ってるんだしな」とマタさんがまた要らないことを言う。

「キサマっ!」

「マタさんも、もうやめてよ」


 沖田さんは、また目の色を変えて、マタさんを睨みつける。

 だが、武器を取らないのは、少しだけ、ほんの少しだけど信じようと思ったからかもしれない。悪い人ではなさそうだ。


「今回は許す。でも、見かけたら恨みを晴らすことだけは止めないからな」

「お前の攻撃、当たったことないけどな」


 マタさんの嫌味に、答えることなく彼は刀を持ってベランダから姿を消した。

どこに行ったのか行く当てはあるのかも分からない。でも、マタさんが死ななければ、それで問題はない。


「スマンな、あのバカも――そう言えば、名前を聞いてなかったな」

「近藤京香っていうの」

「京香、かばってくれてありがとう」


 私は首を振る。

 彼を抱いているととても暖かい。


「温かい」


 それだけで守る価値がある。

 





 

 そう。言わずもがな、私は猫派だ。

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