肆)海の外の鬼、人を喰い子とせし事1

 とある国に、人知れずひっそりと存在する洞窟があった。

 洞の中は、纏わり着くような闇が全てを埋め尽くしている。

 壁も地面も黒、黒、黒――光の粒子や何もかもがすべて死んだような、朽ち果てたような闇がそこにあった。

 

 深い闇の中、影が動き出そうとしている。

 その影はこの真の闇の中においても、棺の中に身を横たえるモノであった。

 遠き国の伝説に、古くから名を記されている魔物。

 今では、その名が一人の作家の手によって世界中に轟く存在。

 数百年の月日が流れようとも、薄れることのない恐怖のカタチだ。

 それこそが魔物をもっと強くする要因に他ならないとも知らずに。

 

 影は、久しぶりに身を起こす。

 永久の眠りに着くはずの暗闇から。

 体の中の血が、湧き上がるのを感じた。


 

 疼く。

 全身が歓喜する。


「――」

 何かを呟いた声は、誰にも聞こえない。

 影の眷属だけが、感じることができる。

 静かに音が空気を伝わっていく。

「――」

 影は笑う。

 誰にも聞こえない音で。

 

 影は、飛んだ。

 飛行ではなく、盛大な跳躍。

 伝説の魔物は、血を欲していた。

 

 

 

 

         □□□

 

 

 マタさんは、我が家に居座っていた。

 一度は外に出た彼だったが、またすぐに戻って来た。

 それも家を出てすぐに我が家に戻ってきたので、理由を尋ねてみた。

 その理由は信じられないというか、とても悲しいものだ。

「外だと沖田にジャマをされて、昼寝もできない」

 沖田さんは、本気でマタさんへの攻撃を実行しているようだ。

 有言実行といえば聞こえはいいが、どう考えても動物の虐待である。


 なんか、ちょっとヒく。

 

 ただでさえ前回から沖田さんへの好感度は急激に下がっている。

 また少し時間は過ぎて、日曜の夜。

 また一度、外に出て行ったマタさんが、再びやって来た。

 その様子は少し焦っているようで、窓から飛び込むように部屋に訪れた。


「すごいものを見ちゃった……」


 少し興奮気味のよう。

 声がちょっと弾んで、息も切れ切れに話す。


「どうしたの? ちょっと落ち着いて」

「いや、ちょっと信じられないものだったから」

 マタさんの説明をまとめると、こうだった。

 

 

 

 沖田さんから攻撃されるので、道を歩くときは普通の道ではなく、民家の塀や庭を通り抜けることにしていた、とマタさんは言う。その方が猫らしく感じる。人語を話す妖怪と言えど、見かけが猫なので、どこを歩こうと猫と変わらない。

 民家の塀を下りて、誰も歩いていない夜道を歩いていたマタさん。

 周りには沖田さんの姿どころか、人の影すらなかった。

 道の端をゆっくりと歩き、十字路にぶつかる――


「そして、その角を曲がろうとした時だった。目の前には一組の男女がいたんだ。男が女を壁際に押し付けるように立っていた。民家の塀に、手をついて――今風に言うなら壁ドンだな」

「『壁ドン』……」

「続けるぞ」


 マタさんは、先ほども男女と言った。

 カップルとは言わず、「男女」という距離のある言葉を使った。

 なんで男女なんていう表現を使ったのか気になった。


「カップルではなかったの?」

「男の方が、女を襲っている状況だけど……それでカップルと呼べるの?」

「無理かな……」

「だろう? そんな場面に出くわしたから、走ってここに来たのさ」


 だとしても、そこまで焦る必要はないはずだ。

 それは、ただの不審者が増えているというだけの問題だから。

 いや、それも問題か。


「で、その人たちはどうしたの? 助けた?」

「嫌だよ。めんどくさい」

「『めんどくさい』ってひどくない?」

「けど、このボディで助けられると思う」


 手を広げ、後ろ足で立って見せる。

 私の膝くらいまでしかないから、それは無理だね。

 じゃない――


「早く! 警察に電話を」

「もう手遅れだと思うけど」

 マタさんは、顔をしかめている。

「それに、すでに事件にはなってるんだよ。ニュースでもやってた」


 どこから情報を得ているのか分からないけど、マタさんは現実社会の動きに結構詳しい。ちょっと遅いところはあるけれど……壁ドンも、もう古いからなあ。

 しかし、だったら尚更マタさんの行動は変だ。

 不審者の問題は危険ではあるけど、マタさんにとってはそこまで関係ないはずだ。

 焦って家に来るほど、大きな問題とはいえない。

 通報されていないだけで、どこにだって不審な人間はいたりするから。

 

 あ、そうか。

 

「マタさんは、優しいなあ……。私が襲われるかもしれないからって、注意してくれるんだね。まったくー、こいつめ」


 そう言いながら、マタさんの額と喉を同時にごしょごしょと撫でる。

 まるでサンドイッチするように。

 マタさんも喉をグルグルさせて喜んでいる。

 最近知ったが、マタさんも体の機能はやはり猫と同じらしい。

 猫よりも断然身体機能は上だと言っていたけれど。


「いや、ちょっ――気持ちいいけど。ちょっと待って」

「ん? なんで」

「待って、ホント」


 私のほうに、手をぴんと伸ばす。

 やめろということか。

 それにしても、可愛い。


「話は最後まで聞いてくれ」

「不審者の話なら、あと終わりじゃないの?」

「いや、問題としてはもっと大きなことだよ。しっかりと確認できなかったけどさ」

「ん?」

「たぶん襲ってたほうだけど、人間じゃない」


 問題は、とても重大らしい。

 マタさんという存在によって、この世の中に妖怪がいることを知った。そして、この世界が人知を超えて広大であることも。人の世界を侵す、魔物がいる。人ではない人型の怪物。

 それは、マタさんの言葉を借りるなら厄介なものらしい。

 人に近しく人でない存在は魔物としても上位の生物であり、その魔物としての力はとても強大だという。あまり関わりたくないものだと。


「だから、気をつけたほうがいい」

「マタさんの知り合いとかじゃないの?」

「そんなわけあるか。まあ、まったく知らないわけじゃないが」

「そうなんだ。というか、だいたい何なのかは見当ついてるのね」

「たぶんってとこだけど」

「なら、止めてよ」

「ムリ」


 そう言いながら、ベッドのど真ん中で丸くなった。

 この部屋で寝るのはいいが、一番いい位置を取るのは止めてほしい。

 そもそも私のベッドなんだから。マタさんをゆっくりと退かしながら、私もベッドに横になった。


「なんで、止めないの? マタさんがやるじゃなく、誰かに知らせるとか」

「もしさ。君が絶対にご飯を食べてはいけないとか、君が友だちと話をしてはいけないと言ったら、君は言うことを聞く?」

「……聞かない」

「相手が絶対にしないといけないことを『やめろ』って言っても聞いてくれないもんだ」


 納得しようと思ったけど、飲み込めない。

反抗するとはいかないまでも、やめてという相談とかもできないものかなと疑念が渦巻く。

 どうにかできない? と言ってみたけど、マタさんは何も答えてくれなかった。

 厄介なものって何だろう。

 けれど、明日の帰りもそこまで遅くならないはずだ。

 大丈夫。私は、そうやって楽観視していた。




     ◆◆◆



 血が欲しい。

 若い女の血が。

 連れ去った4つのサーバだけではダメだ。

 心の底から欲する喉の渇きを潤すことはできない。

 欲しい。血が欲しい。

 

 

      ◆◆◆

 

 

 月曜の塾帰り。

 いつも軽い調子で、昂作が言い出した。


「なあ、犯人退治に行こうぜ」

「はあ?!」


 簡単に言い放った昂作の言葉に、至極単純にモミジがキレた。

 そもそも私は話が分かっていないのだが、モミジが怒ったとこを見れば何か問題があるようだ。昂作も犯人と言っていたようだし。


「えー犯人ってあれでしょ? 最近の誘拐(ゆうかい)事件のやつ!」

「そう。何人も若い女の人が連れ去られて発見されていないってやつ。あれ、捕まえたらスゴいと思わないか?」

「馬っっっっ鹿じゃないの!」


 モミジは大声で言い放った。

 私の耳にも鋭い音が届いて、キーンと耳鳴りがする。痛いくらいだ。

 最近のモミジは、いろんなところが女の子離れしてきている。体格は細くて、羨ましいくらいに女の子だ。そこから怪力と大声が出るのは、大丈夫なんだろうか。一度ちゃんと調べてもらった方がいいと思うのだけれど。


「ところで、誘拐ってなに?」

 私は、首を傾げる。

「知らないの?! かなりニュースにもなってるんだよ?」


 モミジが言っていたのは、最近近所で起きている誘拐事件のことらしい。

 今までに3人、若い女性が誘拐されている。その3件の事件が近い場所で起きていると言うことから、近くに住む人間の犯行では? と言われているという。しかし、そこまでマスコミに流れていると言うところを見ると、かなり犯人は特定されつつあるということだと思うのだが。

 それからの進展がどうにも遅い。


「そんなことがあったんだ」

「キョーカ……まったく。遅れてるぞ」


 昂作がつっこむ。

 これでは、沖田さんのことを馬鹿にできなくなる。

 現代人として情報収集能力がないのは悲しい。

 しかし、誘拐犯か……。

 

 そういえば昨日マタさんも不審者を見たらしい。

 この事件は繋がっている? ……ような気がする、たぶん。

 昂作は意気揚々と拳を上げる。


「近くに住んでるんだろ? なら、捕まえてやろうぜって話だよ」

「マジで危ないって」

「え? モミジ、ビビってんのか? オマエの馬鹿力なら、しゅn――」


 言葉が切れ、大きな音と変な「ぶぎゃ」という声が同時に聞こえた。

 気づいた瞬間には、昂作は消えていた。彼がどうなったのか、その結果を見る勇気はない。たぶん瞬殺されたんだろう、彼が。

 

 そんな彼のことは、気にせずモミジは精一杯に強がる。

「おう、やってやろうじゃん!」

 モミジの無駄な勇気のせいで、遠回りが決定した。

 手負いの昂作と強がっているモミジ。その2人に続いて、事件が起きている自分たちの学校の方を遠回りして帰る。誘拐されている人の中には、まだ同じ学校の生徒はないけど、いずれも若い女性がさらわれているらしい。自分のケータイで事件の詳しいニュースを何件か見ていた。

 

 事件が起こるのは、夜の9時以降。

 起った事件は、4件。さっきは3件と聞いたが、昨夜の事件というのが今ニュースで流れ始めているようだ。どれも人通りが少なくなる夜遅くの時間帯を見計らっているようだ。

 そろそろ夜も遅い時間。

 今日が家事の当番でなくて、本当に良かったと思う。


「ねえ、そろそろ9時なんだけど」と私はモミジの袖を引っ張る。

「待って。今ここで帰ったら、コイツに馬鹿にされる」

「いや、帰ろうよ……」


 そう言ってモミジは昂作を指さすが、昂作こそ帰りたいと思う。

 先ほどモミジに吹き飛ばされて、ボロボロなんだから。


「でもさ、マ――」

 マタさんと言いかけて、口ごもった。

 言っちゃいけないよなと思い直した。


「『マ』?」とモミジが聞き返す。

「マ……マジで誘拐犯が出てきたら?」

 上手く誤魔化せたかな。

「そん時は、ほら……」

 昂作が、痛みに耐えながら言う。

「モミジが戦うから」

 手負いの昂作よりは、マシだと私も思うけど。

 だが、口には出さなかった。

 すでにモミジは拳を振り上げていたから。

 ――。

 すごい音がした……。

 ご愁傷さまです。


「でも、ホント出てきたらどうしよ」

 と言うモミジはさっきの瞬間から打って変わって女の子になっているし、昂作は歩くのがやっとという状態で体を引きずっている。


 女の子2人と手負いの男。

 誘拐犯が出てきたらどうしようもないのではないか。

 家に帰してほしい。


「あのね……」と私は最後の説得とばかりに口を開く。

「知り合いがね。見たんだって」

「何を?」


 モミジの体もかすかに震えている。

 もちろんマタさんのことは隠して。


「誘拐犯なのかは分からないけど、昨日の夜に見たらしいの。女の人を襲う『影』っていうのかな。とにかく女の人が襲われてたって」

「昨日か」

 昂作の唾を飲み込む音が聞こえた。

「さっきニュースでも昨日の事件って言ってたしさ。もう――」


 もう、これ以上は危ないから帰ろう。

 そう言い出そうとした。

 だが、その言葉は出てこなかった。

 いきなり目の前に、人が立っていたからだ。

 

 

 ――。

 

 

 まるで音がしなかった。

 それは、急に目の前に現れた。

 道の上は暗く、その影の性別が男なのか女なのかさえも分からない。

 しかし、そんな闇の中でさえも、真っ赤な口がギラリと輝く。

 口の中には、鋭い2本の牙が覗いていた。

 影は、ぼそりぼそりと何かを呟いていた。

 

 

 

 

 

 

         ◆◆◆

 

 

 

 女の血――目の前に、2つ。それがある。

 その血は、旨いだろうか?

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