オニごっこ~まっくろな猫は、彼女を想ふ~

亜夷舞モコ/えず

壱:猫又の、死にし彼女を目覚めさせし事1

 なんのために生まれたのか?

 明確な答えを持っているものはいない。

 ありとあらゆる動物が、自分の『生き方』に対する正確な答えを持ってはいないだろう。


 この世のすべての生物は、

「生きる」ために生きている。


 自分の「生」や、遺伝子の「生」のために。

 ボクだって、分からない。

 そう言うしかない。

 奇跡とか、運命とか、摂理、因果……。

 多くの言葉を、思考を重ねたところで、正しい説明はできそうもない。

 これはたぶん永遠の謎なのだろう。

 


 ボクは熟考する。

 考えても分からないことだらけだ。

 それでも、

「この世に生れるだけの意味がある」

 今までの永い時を振り返る。

 

           ■■■


 慶応4年5月30日のことだ。

 今の暦でいえば、1868年7月19日のことになる。

 ――運命の日より少し前。東京は、まだ江戸と呼ばれていた。

 夏の暑さは、今よりもそこまで厳しくなく、少しだけ過ごしやすかった。梅雨も終わり、どこか近づいてきた夏の気配に蝉たちはやかましく騒いでいる。どこかで風鈴の音がする。短冊を揺らす風には、うっすらと草いきれの甘い匂いが感じられた。

 国破れて山河あり、城春にして草木深し。

 江戸幕府は滅び、江戸城も開城された。

 しかし、それにより新政府と旧幕府側の対立は大きな争いとなっていた。

 世の中は、新政府の人間たちの恨みと幕府側の侍たちの怒りはぶつかり合う、国を二分する内乱の最中にある。

 幕府の警察の位置にあった新選組は、もうないに等しい。2週間ほど前に局長の近藤勇は処刑された。残った者たちは、今ごろ旧幕府側の拠点である会津へ渡っている。

 

 ここに、そんな争いから取り残された男がいる。

 植木屋・植甚。

 外は暑い夏の日差し照りつける中、男は奥の部屋に籠り、布団で眠っていた。ときおり病に臥せることに耐えられなくなって、縁側に座って庭を眺めた。ゴホと咳をしては、抑えた手が真っ赤に染まる。咳に混じる血が多くなっていた。

 男は、労咳ろうがいを患っている。

 人並みの体力も残ってはいない。

 とても戦争に参加できる体ではないと、ここに置いていかれた男だった。長い髪を手入れせずに下し、隠れた顔には美しさも消え、ひどくやつれていた。新選組最強の剣士と謳われた男は、その美貌すら見る影もない。

 健康ならば……

 今も、まさに剣を振るっていたはずだった。

 しかし、顔にも体にも一切の覇気がない。

 新選組一番隊隊長・沖田総司。

 彼の背後に、死の影が迫っていた。

 

「にゃあ」

 高い塀を乗り越え、ボクは植木屋の庭へ入り込んだ。

 少しだけ手伝ってもらって。

 なんとか飛び越えることができたのだ。

「キミ、また来てたんですか」

「……」

 彼の目がぼんやりと、力なく庭の猫を――つまりはボクを捉えている。

 ボクは猫だ。

 正しくは、「猫又」という妖怪だけれど。

 ここでは、いつも黙っていた。言葉は分かっていても、黙っていた。

 でも、今日は違う。また一段と、彼からは死の臭いが濃くなっている。


「辛そうだな」

「……!」


 彼は、急に猫が喋り出したことに驚いていた。

 口をパクパクとさせて、すぐには言葉が出ずにいる。

 ボクは、気になっていたひとつの疑問をぶつけてみた。

 この男が、今も強くあり続ける理由を聞きたかったのだ。

 

「嗅いでみたとこ、もうすぐ死ぬような臭いがするな……。長くないだろ」

 いい臭いではないから鼻をこする。


「キミ、しゃべれる……、化け猫なんですか?」

「猫又ってヤツだよ。なあ、オマエ、死にたくないだろ?」

「死ぬことは、構いません」

「はあ……侍は、それだよ」


 沖田は、少し眉をひそめた。

 だが、冷静に言葉を繋げる。


「でも、近藤さんと土方さんのために、死にたかった」

「近藤? 土方? お前らの仲間か?」

「ええ」

「ギザギザの袖の奴らだろ?」


 彼は真白な細腕を、布団に叩きつけた 。

 力なく、綿の柔かな音がした。


「何が分かるんだ! あれは俺の誇りだ。誇りの羽織なんだ。俺は、誇りのために死にたい。あの人たちのために……」


 彼は、叫んだ。

 叫んだ口から、誇りという旗と同じ色のものが零れる。

 そうだ。彼は、二度と誰かのために死ぬことはできない。ここから動くこともできない体なのだから。


「もう、無理な話だよ。自由にならぬ体だろ」

「それでも。動こうと思えば――動けますよ」


 ゆらり。

 彼は立ち上がった。

 力も入らぬ四肢で、無理やり起き上がったと言ってもいい。そして男は、床の間の刀に手をかけ、鞘から抜き放つ。

 美しい、白刃が煌めく――

 

 それでもボクのことは切れなかった。

 

 その後、彼は倒れ、病状はさらに悪化した。

 ボクは、ずっと、彼が生きるのを見届けた。

 ずっと。

 ずっと。

 …………。

 

 でも、白状するよ。

 理由は、1人の少女のためだった。

 少女の恋する彼のことを見届けたのは、ボクも彼女のことを好いていたからで。

 あの日――刀に手を掛け、ボクを切ろうとした男のことを知ろうとも思ったからだ。

 それで人のすべてが知れたのかと尋ねられれば、首を傾げるしかないけれど。

 人は、とても複雑だ。

 アイツが死んでから、あの少女に二度と会うことはなかった。

 生まれた意味はあった。

 彼とボクが生きたように。

 死ぬ意味は、未だ知らない。

 それでも、生まれ出でなければボクと彼と、彼女が出会うことも。

 未来を紡ぐことはなかったのだから。



          □□□


「おわったー!」

 金曜、この1週間で最後の塾の帰り。

 いつもの3人で家路につく。

 私と昂作とモミジ。

 少しだけ浮かれたテンションで私は叫ぶ。


「京香、うるさいナ。近所迷惑になるよ」

「だな、嬉しいのは分かるけど。しっかし、腹減ったな~」


 モミジはケータイを開いて通知を確かめ、昂作は制服のお腹をさすっている。

 今日はとても遅くなったからね。


「でもさ、変に張り切ってたよね」

 私の大切な友だちであり、近所に住む幼なじみであり、幼稚園からの悪友……みたいなものだ。気心知れた友人たちとは、いつもこうして学校から塾、塾から家と一緒に歩く。

「やけに張り切っちゃってたよな」

 杉並昂作は、今にも死にそうと言ったような顔で文句を言う。


 軽い態度と口調で、誰に対してもフレンドリーだ。でも、軽いほうしか他人に見せないから、女子の受けが良いとは言えない。根は真面目だし、顔は良いんだけど。ふざけた感じがマイナスなようだ。

 文句の矛先は、先ほどまで塾での授業を執り行った先生に向かう。

 なぜかハツラツとしていた吉田先生が、授業時間を大幅に延長して勉強を教えていたからだ。

 ほぼ1時間以上オーバーしてる。

 おかげでお腹はペコペコで、帰り道ですら辿りつけそうにないくらい。


「なんだろ。こっちは、学校からまっすぐ来てんのにさ」


 そう言いながら、彼はまたおなかをさする。その気持ちが、私もよく分かる。私だって、つらい。しかし、彼はまだいいほうだ。

 家に着いたら美味しいごはんが待っているはずだ。でも、うちは父親と2人暮らしだから、こんな日は父のテキトーな料理を食べるはめになる。

 交代での当番はきつい。


「でも、いいよね。うちはたぶん今日のごはん美味しくないよ」

「ああ、京香のうちはねー」


 ケラケラと笑う。

 モミジはうちの事情を知っているが、それをちゃんと笑ってくれる子だ。

 そんなところが、すごく助かっている。


「しかも、今日は当番なのに作れなかったから怒ってると思う。だから何倍も美味しくないよ」


 早く帰って夕飯を作るという約束だった。

 小言を言われそう。私のせいじゃないんだけどさ。

 父親の忙しいときは、早く帰って家事を手伝うという約束だった。中学までは仕方なくやっていた部活も、高校に入ってからは辞め、こうして代わりに塾へ来ていた。

 何故か同じように友人たちもこうして付いてきてくれるのは、とてもありがたい。


「にゃあ」

 靴下をはいたような猫が、私の前を通る。

 体の中のほとんどの毛は黒いのに、4本の足だけが白い。くつした猫だった。

 カワイイ。

 呼べば近づいてきてくれるかな。

 しゃがんで「にゃー」と声を掛けようとしたら、それより先に西野モミジが驚いて飛び退いた。


「黒猫?!」


 学校でも最近運がないと言っていた彼女は、変に敏感になっている。

『黒猫に横切られると縁起が悪い』とか、そんなことすら気にし始めているみたいだった。

 聞いたところによると、最近男子に言いよられることが少なくなったからだとか。

 たぶん原因は、運とかじゃないと思うけど。

 そうするうちに猫は行ってしまう。


「あれは!? あれはセーフ?」

「手足は白かったけど?」


 私は困って昂作の方を見る。

 そんなときの彼は結構気が利かない。


「いや、黒い毛の比率によるじゃないのか?」

「比率? そういうことじゃないと思うけど??」

「……どっちよ?!」


 モミジは怒声を上げ、拳を電柱に叩きつけた。

 ミシと変な音がして、電線まで揺れる。

 最近の男運の悪さは、これが原因な気もする。

 細身で出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでる。外見は、すごく女の子らしい子だ。ただちょっとだけ気が短いとこと、最近やけに付いたというこの力が多くの男子の腰を引かせてしまっているようだった。


「せ、セーフだよ。モミジ!」

「ああ、セーフだ。大丈夫だって」

「そ、そうかな?」


 2人で必死に取りつくろって、モミジは機嫌を直したようだ。

 眉間のシワも薄くなったし、拳も解いてくれた。

 まあ、くつした猫が、黒猫に含まれるかどうかは知らないけど。

 でも、彼女の機嫌を損ねて、電柱が壊れるよりはマシだと思う。

 近ごろ急激に力が付いて困っていると言う。特に怒ったときの力は異常だった。怪力という言葉がぴったりで、本当に不思議な力と言えた。

 そんな2人と一緒に帰り道。

 小学生のころから、いつも一緒に帰っている。

 そんな道は、特別でとても楽しい時間で、もう10年目だった。息はピッタリのはず。


 いつも一緒にいるのに、最近の2人はちょっと違ってきて見えている。

 理由は、分からないけど。

 そんなことを、ふと考えていると……


「なあ、知ってるか。最近、ここらへんに出る泥棒のう・わ・さ」


 とても軽い口調で話を変える。

 ふざけているようで実は真面目だったり、その逆だったり。

 今もまたどっちかは分からない。


 だから、

「物騒だね」

 とありきたりな反応を返す。

「ですわね」

 モミジが、私の意見を茶化すように相槌を打つ。

「からかわないでよ。素直に感想を言っただけだよ」

「でも、ホント面白いんだって。聞いてくれよ」


 昂作の必死な話を、モミジは受け流すように反応する。


「ったく、めんどくさいな。はいはい、聞いてあげる」

「なんだ、それ。言いたくなくなるじゃん」

「いいから、いいから」と私は先を促す。「話してよ」

「……。まあ、泥棒だけどさ。盗る物がおかしいんだってよ。基本は食べ物で、主に肉。あとは、トマトジュースやワインなんかも。たまに魚とかもなくなるみたい。どうよ、これ」


 ドヤと昂作は両手を広げアピールしてる。

 しかし、返答しにくい。冷静に考えさえすれば、どこかに食べるものがない人がいる、というだけで済んでしまうのだから。本当にそれが答えなんじゃないだろうか。そう思いながら、それでも自分の住んでいる町が物騒になっていくのは悲しい。

 なので、優しい微笑みを返すしかない。

 モミジも同じような顔だ。

昂作は、それを察したようで。大きく広げていた手を下し、

「えー、面白いじゃんよー。一緒に捕まえよーぜ」

「ヤダね。バっカみたい」

 とモミジは完全に拒絶するという感じ。

 だから、この3人での行動は面白い。

 


 そんなところで、私たちは丁字路にぶつかる。

 ここで私は右に、彼らは左に向かう。

 楽しいおしゃべりもここまで。

「それじゃあねー」というモミジに、

「またね」と手を振る。


 また少し行くと住宅街と住宅街を繋ぐ、何もない道にぶつかる。

 小さい道路だが、2年前の8月、しっかりとした整備が行われた道だ。

 歩道と車道は分かれていて、縁石も設置されている。

 だが、問題は、まだ19時だというのに人通りがほとんどないことだろう。そのせいか道は、とても暗く淋しく感じる。これでは整備した意味もなさそうだ。

 さらに周りには、建設予定や売地といった看板が並ぶだけで、本当に何もない。

「なんか、恐いな~」

 ついつい独り言が出てしまう。

 自分のうちのある地区までは、数十メートルという距離なのに、それさえ長く思える。家の灯りがとても遠くあるように感じられた。まるで暗い海のうえにポツンと放り出されたような心細さ。



「でも、お化けとか信じてないから」


「そんなモノいないし」


「絶対にないから」

 

 大きな声で言ってみる。

 ……誰もいないだろうけど。

 というか、いたほうがイヤだ。

 ガタン!

「ひっ!」

 風で、近くの看板が揺れた――だけ、みたいだ。

 思いのほか飛び上がってしまった。誰も見ていない。

人通りはほとんどないのだから、当たり前だ。

 最近は、この辺も物騒らしいから。

 泥棒がいると聞いてしまったし。


「にゃあ!」

 猫にしては大きな声が聞こえた。

 声の方を向くと、黒い猫が走ってくる。

 体は黒いが足は白く、靴下を履いているようだった。

 すごい速さで目の前を通り抜ける。それに続いて、強い風が吹き抜けた。

 突風――それぐらいの風だった。

 さっきの猫かな? と冷静に考えている。

 でも、体はよろけ始めていた。

 ……えっ?

 傾いていく景色がとてもゆっくりと見えた。

 見えている世界よりも、さらにゆっくり自分の体が倒れていくのを感じる。

 止まらない。

 止めることができない。

 自分の過去が視界の端に流れては消えて行く。

 そして、最後に見たのは、遠くから走ってくる1人の男だった。

 

『綺麗な人……』

 


 そう思った。


 直後、頭に衝撃を受ける。

 感じたことのない痛みに世界は黒く、そして白に染まっていく。

 どこから花の良い香りがする。

 整備された道にはない、とても芳しい花の香り……

 だんだんと強く、濃くなっていった。

 











 

 

 

 

 近藤京香――享年17歳。

 縁石に頭を打ち付け、頭がい骨陥没骨折により死亡。

 ――この日、物語の主人公である女の子の命が潰えた。

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