拾陸)日の暮れゆく街の、不可思議な車の事1

「ああああ……なんで……」


 なんであんなこと言ったんだろう。

 がっくりと部屋に崩れ落ちる。


 手の中に握りしめたケータイの画面には、連絡ツール「mine」が開かれている。

 青色がイメージカラーの、コミュニケーションツールだ。


 今ちょうどモミジとの会話が表示されており、彼女のメッセージが繰り返し、繰り返し流れてきていた。その数もそろそろ50件に届きそうな勢いだ。

 彼女のメッセージのために、昨日の会話すら振り返ることもできないくらいだ。

 そのメッセージとはこうだ。


『あの人のことを紹介しなさい』


 それが50を――今、越えた。

 怖い。まさに狂気としか言いようがない。

 そもそも昨日から彼女のそれは始まっていたのだけれど。

 

 

     ■■■

 

 

 マタさんに出掛でかけると予告していたのが昨日の日曜日。

 私たち3人は、映画に行っていた。

 3人とは、もちろん昂作とモミジだ。

 映画館は私たちの住む町にはなく、電車に50分くらい揺ゆられなくてはならない。その映画館に向かう途中、モミジが思い出したように口走った。

 私が軽々しくしてしまった約束のことを。

 彼女は天使のような微笑ほほえみを作って、

 

「そういえば、あの人のこと、いつ紹介してくれるの?」

 

 不覚にも本当に忘れてしまっていた。

 覚えていたら、昨日にでも話をするチャンスはあったのに。

 

「あ……」

「あーっ、忘れてたでしょ」


 と始まり、電車の中でモミジに散々責められた。

 映画を観終わってからも責められ、積もり積もったストレスが暴力というカタチになって昂作を襲った。おかげで帰り道は、モミジが肩を貸さなければ立てないくらいにまで、ボコボコになっていた。

 その翌日、月曜日。私たちは学校がある。

 だが、学校の中でも休み時間のたびに、モミジの口からは沖田さんを紹介するという約束のことを言われ続けていた。

 しかし、辛かった1日ももう終わる。


 うちの学校の掃除は、クラスの班ごとの当番制だ。

 週ごとに切り替わり、ときどき休みもある。

 モミジたちとは同じクラスであるが、掃除の当番は別だった。

 6時間目の授業が終わると、私は全力で逃げ出した。


 今週は、私の班は休み。

 でも、モミジは掃除当番だった。

 逃げられる。

 私は大急ぎで家に帰ったのだが……

 ケータイにメッセージが来ていた。

 ――というのが、現在の状況である。


 そうやって、今までの状況を振り返っている間にまたさらに50件の言葉が襲来している。ただ「紹介しなさい」という言葉なら良かったのだが、最後に来たメッセージによって私は戦慄した。


『今から会わせて』


 彼女の気が短いのは、周知の事実だ。

 だから、彼女が「今」という言葉を使った場合、その機嫌はすでに最悪の状況の状況だと思われる。その状況下では、あの怪力で何をしでかすか分からない。

 怖い。

 ホントに怖いよ。

 ――。

 ケータイの振動とともに、彼女からのメッセージが届く。


『昂作も呼ぶから、丁字路のとこで待ち合わせね』


「!」


 それを彼女のことをよく知っているワタシなりに解析するとこうだ。

『昂作の命は預かった。今から『彼』のところへ、私を丁字路から案内しなさい」


 彼女の怪力だ。

 本当に昂作は……。

 さすがに彼女が殺人犯となるのは嫌なので、家を出る。

 外はまだ明るい。

 少し速足で、いつも彼女たちと別れる丁字路へと歩いた。

 

 私がそこに着くと、彼女たちもすぐにやって来た。

 方向的からすると、2人も家から来たみたいだ。

 手元に鞄もない。


「で、どうするの?」

「じゃ、まあ……とりあえず街のほうに」


 そういうと足取り軽く歩いて行くモミジ。

 普通に歩く昂作。

 その後をトボトボと付いて行く私。

 気の重さが、足取りにも表れる。

 私の歩幅は、いつも以上に小さかった。


「さあ、連れてって」

「本気?今から?」

 

 モミジは少し口元を上げ、人差し指をそこにそっと添える。

 仕草は可愛いのにな。

 それで発する一言が、

 

「私は、もう待てないのよ」

 

 でなければ、フツーにモテるだろうに。

 そして、その一言を笑わずに堪えていれば、

 

「どこかの御姫様かww――ゴフッ……」


 昂作の日常はもう少し平和だろう。

 いや、少なくともモミジの暴力を受ける日々からは解放されると思う。

 今のように彼女の拳をみぞおちに喰らうことはないはずだ。

 昂作は、変な声を上げた後、地面に前のめりに崩れ落ちた。


 怖い。でも言わないと。

 大切なことだ。


「でも、モミジ、ちょっと言わなきゃならないことがあってね」

「えっ……」

「待って、やめて。いきなり拳を握りしめないで」


 モミジの小さな手がボキボキと唸る。

 もう女の子の行動を逸脱している。

 今ならリンゴも潰せそうだ。

 

「違うの。知ってる人だよ、ただ知ってるという意味はね。顔なじみではあっても、連絡先までは知らないっていうことでもあるんだけど……」

「……」

 

 さっきまで拳が強く握られていた手が、力なく下がる。

 本気で落ち込んでいるようだ。

 そのまま倒れそうなほど、かよわい女の子に戻ってしまったモミジ。

 あまりに可哀そうで、私は言葉を続けてしまう。

 言わなければいいことを。

 

「あ、で、でもね。探せないことはないかも……」

「ホントにっ!」

 

 一気に顔を綻ばせ、私を抱きしめるモミジ。

 

「大好き!」


 彼女の甘いような匂いが、可愛い女の子だということを思い出させる。

 私のこうして人に甘いところが、マタさんにも甘い由縁なのかもとも思う。

 

「で、でもね。大変だよ」

「何が?」

 

 モミジは私から離れて、首を傾げる。

 

「猫探し、しないと」

「猫探し?」

 

 猫探し。というか、正確に言うと猫又探し。

 マタさんを追えば、沖田さんに辿りつくと思うから。

 沖田が普段どのような行動をしているのかは、さっぱり分からない。

 どこに住み、どうやって暮らしているのかも。

 彼の行動は読めないけど、基本的にはマタさんの動きを追っていることは間違いない。

 そう考えれば、沖田さん自身を探すよりも、マタさんを探して沖田さんに辿りつくほうが的確だと思った。

 

「あの人も猫を探してるから。そっちのほうを探せば、見つかると思うの」

「え?どういう人なの」

「あっ! 探偵ってことか。まあ、武器も持ってたしな」

 

 昂作は少し興奮しているようで、変にニコニコしている。

 

「あー、迷子の猫探しってこと?」とモミジ。

「武器も持ってるってことは、どんな危険な仕事してんだろ。燃えるわー」

 

 いや、探偵だとしても日本刀持つのはアウトだと思うけど。

 ただ昂作がおかしなことを言ってくれたおかげで、あの人は探偵の部類であるということで納得してくれたようだ。

 

「で、どんな猫?」

「あの時、私と一緒にいた子だよ。よくいなくなるんだって、沖田さんが」

「あの時?――ああ、襲われたときのくつしたの子か。てか、沖田さんっていうんだ」

「名前は……」

 

 あ、そのままんまじゃマズイか。

 と思って、言葉が出遅れる。

 だが、モミジは、

 

「あー、待って。聞きたくない。自分で聞くから」

「そっか。わかった」

 

 ……危なかった。

 しかし、街のどこにいるか分からない人を探すのも、猫を探すのも難しさは変わらない。

 目標物が二倍になって、偶然出会う確率はもちろん二倍にはなった。

 でも、そもそも片方にすら出会える可能性はかなり低い。これは、かなり無謀なことをしようとしている。こちらから2人を探すなんて。


 私だって向こうから会いに来てもらっているだけ。

 自分が街を歩いていて出会ったことはないのだから。


 1時間後……。

 

「ムリ~。見つかんない~」

 

 モミジが地べたにへたり込んで泣きごとを呟いている。

 想像通りではあるけど、彼女がここまで諦めないで探すとは。

 長い付き合いの私としても予想外だった。

 沖田さんは、確かにかっこいいけど。ここまで粘ったのは、見直した。


 私も本気で彼女を紹介してもいいかなと思うくらいに。

 そう考えた。

 

「もう六時だよ(泣」


 すでに夕方とはいえない時刻である。

 そろそろ家に帰らないと怒られそうだ。

 日はゆっくりと西に傾いていて、辺りは朱色に染まっている。

 時間も時間だしと口を開こうとしたときだった。

 背筋がゾクゾクと寒くなる。

 嫌な気配を感じていた。

 

「なあ、少し寒くなった?」

 

 昂作が両方の腕を擦る。

 彼も帰りたいはずだが、それよりも本当に寒気がする。

 こんなの前にも……。

 

「こんなの前にもなかったか?」

「あー、あの人に会ったときとかね」

 

 嫌な気配に、二人はそんなことを言った。

 そうだ。

 それは、つまり――

 

「……」

 

 1つの影が、目の前に立っていた。

 影――と言い表せるほどの、真っ黒なローブ。

 思い出さずにはいられなくなる。

 あの時のことを、女性を襲い、4人の僕を作り出したあの吸血鬼のことを。

 

「ヤバ」

「逃げるぞ」

 私は、また両脇を抱えられた。

 完全に後ろを向いたまま、引き摺られる。


「待って。また? せめて、前を向かせてよ」

「いや、オマエが走るよりこうした方が速い」

「だね。京香の運動神経は……」とモミジも声を落とす。

「……まあ、な」

「せめて言おうよ。気を使われる方が悲しい!」

 私は、空に向かって叫ぶ。

 

 そんな話を、当り前だが走っているときにするものではない。

 私たちは、あの時、どんな目にあったかを考えるべきだった。

 そう、影は――

 

「うわっ」


 またも突如として目の前に現れる。

 彼ら、怪物の運動能力は人間の想像をかるく凌駕するのだから。

 昂作たちは、私を抱えていた手を緩めた。

 そこでやっと、ローブの影と対面した。

 あの時と同じように、ローブの中から白い息が漏れている。

 そんなことが起きる季節でもないのに。

 

「……忘れてたな」

「ピンチじゃん。どうしよ」

 

 ……。

 3人が全員口を閉じ、頭に絶体絶命という言葉が浮かんだとき、一台の車が向こうから走って来るのが見えた。

 白いボディーの車で、屋根には「個人」と書いた表示灯が載っている。

 

「タクシー?」

 

 それが走って来るのをただ見つめていた。

 私たちのほうへとスピードを落とさずに突っ込んでくる。

 つっこんでくる?

 

「え……??」

 

 タクシーのライトが上を向き、私たちはあまりの眩しさに目を閉じて、その場にしゃがみ込むことしかできなかった。

 地面を鋭く擦るブレーキ音。

 何かがそれにぶつかる音がした。

 だが、何も起こらない。

 私は目を開ける

 

「?」


 さっきライトが目に入ったせいで、何が起きたのか良く見えない。

 だんだんとだが目が慣れてくる。

 目の前にタクシーが停まっていた。

 私たちにあと数十センチでぶつかる距離に。

 

「大丈夫か?」


 タクシーのドアが開く音がして、続いて男の声が聞こえた。

 私たちに、手を差し出しているようだ。

 

「……え?あ……あの。ありがとうございます?」


 いや、危険な目にも遭ってるからなあ。

 そうも考えられるが、私はその手を掴み起き上がる。

 車体は少し角度をつけて、止まっていた。

 そのせいか、吸血鬼はななめ向こうに吹き飛ばされてしまっていら。

 笑えるくらいに、みっともない格好で伸びている。


「さて、悠長にはしてられない」とタクシー運転手。「さっさと乗ってくれ」

「乗る?」

「そうだ。ドライブしよう」

「タクシーで?」

「メーターは使わないでおくさ」

 

 彼は、タクシーの運転手は笑いながら言った。

 モミジと昂作は自分たちで立ち上がり、タクシーに乗った。

 私も、モミジ・昂作が乗り込んでいた後部座席に詰められる。

 昂作が「両手に花状態」だ。

 

「三人は、ちょっと狭くないですか?」

 昂作の言葉に、運転手の彼は、親指で助手席を指す。

「こっちは先客がいるから、勘弁してくれ」

 彼の指のほうを見ると、助手席に一匹の犬が乗っていた。

「犬?」

 

 昂作も、もちろん私たちも目を丸くする。


「犬だな。他に言い方はないだろ。それともオマエはdogとでも呼んでるのか」

「いや、そうじゃなくて」

「なんだよ。俺の相棒たちに文句か。これは俺の愛車だし、俺の愛犬だ。嫌なら、アイツのいる外の世界に放り出すぞ」

 

 その言葉に、昂作は口を閉じる。

 エンジンが唸りを上げた。

 

「さて、お前らのうちまで送ってやる。吸血鬼に襲われないように、な」


 私も、2人も固まった。

 2人は、吸血鬼という言葉に。

 私は、それを知っていたこの人自身に。

 何故、この人は……。


「ワン」と犬が吠えた。

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