拾伍)猫又の、山に棲みし老人を喰らう事3

「1か月か」

 

 猫又は、上機嫌だった。

 あの山の上で沖田総司に出会って以降、追いかけられていなかった。

 どこかで一時的に彼が足を止めたんだろうと猫又は考えていた。

 そして、それをチャンスとばかりに駆け出したのは言うまでもない。

 あの山を下り、街で暮らした。

 また別の街に向かうため、山を登っていた。


「でも、どうせ来るんだろうな。ここまで」


 あの動物的な勘ならば、と。

 木を避けながら、山を駆け登った。

 太陽がもうすぐ頭の上にかかるころ、急に周りに木がなくなるとこに出た。

 そこは前に寺があったように石畳で整備された場所ではなく、木が何本も伐り倒されただけのところだった。切り株もまだ地面に残っている。

 そんな森の切れ間に、家が建っていた。

 家といっても、ボロボロのあばら家だ。

 ほぼ腐りかけた茅葺の屋根。

 破れて意味をなくした障子。

 前に見た荒れ寺よりも、そのあばら家はみすぼらしかった。とても人が住んでいるようには見えない。急に、ガタガタと入り口の戸が引かれる。立て付けは最悪。かなりうるさい音とともに、やっと人が出られる幅だけ開いた。

 そこからヌッと人の頭が、出てくる。

 毛先の切りそろっていないボサボサの白髪をたたえた老人だった。

 顔は、その髪の毛と同等以上に老いて、やつれている。

 

「痛たたた……」

 

 年老いやつれた顔をしかめながら、そろそろと外に出た。

 腰は曲がり、左足の膝が上手く曲がらないようだ。

 そっちを引き摺りながら片手に鍬を持ち、家から出てくる。

 

「明治になっても、いるんだな」

 

 あばら家に、住む老人。

 猫又は何も聞かずとも、老人が「世捨て人」であることを悟った。

 事実猫又が生まれた時代、今から1000年以上前には、山の奥深くに庵を建て暮らす人間も少なからずいたからだ。世を捨てて、1人で生きて死ぬ人間が。

 人がいる限り、孤独という感情はなくならない。

 人がいて嬉しい感情と孤独の寂しさは、まさに光と影だから。

 光の中、影が強く差す日もある。影の中、強く光が差し込む日も必ずある。

 hyu――。

 柔らかな風が吹いた。

 風とともに、猫又の鼻に臭いが届いた。

 人の臭いでも、その生活の匂いでもない。

 おかしくて不思議な、そして気持ちの悪くなる臭いが、そこまで流れてきた。

 ああ……、あの臭いだ。

 嫌な臭いがする。


「おお、こんなところに猫が。珍しいなあ」

「ちg、にゃ――にゃあ」


 危ない。

 一瞬、人の言葉を喋ろうとしてしまった。

 しかし、うまく誤魔化せたみたいだ。

 

「久しぶり見たな。ほら、大したものはないけど、うちに来るか」


 そう言いながら、老人は近づいてくる。

 臭いも近くなるほど、強くなる。

 危険だと認識した。

 思わず毛が逆立ち、威嚇する。

 

「フーッ」

「どうした、猫?」

 ダメだ。

 逃げなければ。


「んにゃッ!」

「おや、どうしたんだろ」


 駆けだす。

 恐ろしい。

 近づいて来たために、猫又には見えてしまった。

 老人の後ろにある、まっ黒な影。おどろおどろしい影に、恐怖のカタチを猫又は感じ取ってしまった。それが吐き出す息の臭いを、かつて猫であった彼が「恐怖」というカタチで感じ取るのは当然だった。

 その臭いに、震えが止まらない。

 近くに生えた木の陰で、必死に息を殺していた。

 臭いの正体がこっちに牙を剥くことはないが、その怪異の世界でも指折りの恐ろしいモノの存在から姿を隠しておくに越したことはない。

 

 そんな猫又のことを知らず、老人は持ってきた鍬で土を耕し始めた。

 手も足腰もおぼつかない感じではあったが、一生懸命に土を掘る。

 切り株を取り除いていないために、作業はとてもし辛そうだ。

 苦しそうな顔に汗が滲む。

 近くの茂みががさがさと音を立てた。

 

「こっちに気配がするんだが」

「――!」


 沖田だった。

 後ろで一つに結んだ髪の毛と凛々しい顔。

 それだけで彼だと分かる。

 ヤバい。猫又は見てしまった。

 腰には、刀がある。

 木に登り、ジッとしているしかない、と。

 沖田は、確実に猫又の気配を追ってきたようだ。その腰の刀で斬り殺すために。

 歩いてきたのだ、老人と猫又のいるこの地まで。

 見つかる前に、木の上へと移動する。

 

「うおっ……」


 沖田が木の生い茂る地点から開けた場所へと抜けるタイミングで、鍬を土に取られた老人が転ぶ。ただでさえ足腰が弱っているのだから、うまく体が動くわけもない。

 

「危ないっ」

「っと……」

 

 駆けだした沖田が、老人の背中を支える。

 沖田の鍛えられた健脚は、かなりの速度を誇った。

 

「すみません。ありがとうございます」

「いえ、大丈夫ですか」

 

 猫又を憎み殺そうと長い時間をかけ追いかけている身といえど、害のない老人を捨て置ける人間ではなかった。その肩を貸し、老人を彼自身の家へと連れていく。

 二人の様子を黙って見つめていた猫又。

 彼もポツリとつぶやいた。

 

「人には、分からないんだろうな」


 数年前には、沖田からもした臭いが。

 二人が家に入ると、すぐさま雨戸がガタガタと開き、縁側がこちらにも見えるようになった。立て付けは、入り口以上に悪く、長い間開けていなかったようだ。だが、それが開いたことで、家の中に籠っていた悪い空気が猫又のほうにも漂ってくる。

 

「すまないね、お侍さま」

「ああ、いや、侍ではありませんので」

 

 沖田は、小さく悲しい声で言った。

 

「そうですね。少し前に、時代は終わったと聞きました」

「……」

「ですが、アナタは侍でしょう? まだそういう心が残っている方に見えますよ」

 

 沖田は、その言葉に打ちのめされたように立ち尽くしてしまう。

 すると、老人が静かに縁側に倒れた。

 

「お爺さん!」

「ああ、すいません。……土間に汲み置きの水があるんで、一杯汲んできてもらえませんか?」

「ええ。ちょっと待っていてください」


 水を汲んで戻ってくる。

 抱き起して飲ませていたが、ほとんど飲まずに溢してしまう。

 手や体に、力が入らないようだった。

 

「体がとても熱いですよ」

「アナタの体は、とても冷たく感じますね。大丈夫ですか?」

「……。と、とりあえず、布団に」

 

 老人は荒い息遣いで、布団に横になった。

 沖田は、その枕元に座って、横で老人の様子を見ている。ただジッとそこに留まっているだけだったが、猫又から見えるその顔はとても心配しているように見えた。

 

「猫又」


 深夜の山に沖田の声が響いた。

 彼は、その家に泊まることにしたようだ。

 老人のことも気がかりであったのだろう。

 

「猫又、いるんでしょう?」

「なんだよ?」

 

 猫又は聞いていた。

 少し離れた木の上から、返事を返した。

 

「あの老人をどうにかしてやることはできませんか?」

「殺せってことか?」

「そんなわけないでしょう。あの老人を元気にしてあげたいんですよ」


 猫又は、トンと沖田の前に飛び降りる。

 前足で、眠い目を擦りながら、

「ムリだ」と一言。

 

「何故ですか?」

「年老いた体を元気にさせる力なんてのは、ないんだよ。それともなにか? 死んだアイツを『跨げ』ばいいのか?」

「そんなことは……」

「実験台にしてみるのもいいのか」

「うるさい!」

 

 沖田は腰の刀を引き抜いた。

 白刃が、夜の闇の中でも煌いた。

 

「うわっ、なんだ。妖刀?」

「あのお寺でもらったんですが……霊験あらたかな刀なんでしょうか?」

「分かったから、しまえ」


 だが、刀を納めようとしない。

 

「本当に、どうにもできないんですね?」

「そうだって、だから、しまえ。なんか、気持ち悪くなってきた」

「あの、そこで何を?」

 

 二人は、声の方を振り向いた。

 その先には老人がおり、杖を手にフラフラとこちらに来ていたようだ。

 

「誰と話しているんです?」

「え?」

 

「うおっ。いつの間に」

 猫又も思わず、声を出してしまった。

 

 老人は、猫の声にギョッとする。

「その猫、今……」

「なんでもないです。気のせいですよ」

「妖怪か何かの……、まさかあなたも?」

「そんなわけ……」

 

 だが、沖田の言葉も濁る。

 当り前だ。一度死んでいるんだから。

 

「なんですか?やはりアナタも」

「そんなことはないです。落ち着いて」

「落ち着けよ、じいさん」

「ば、ばばッ、化け猫ッ!」

「おいっ!!」

 

 猫又は、「おっと」と口元を抑えたが、

 もう遅かった。


「喰われるっ。喰われちまう」

「待ってください」


 沖田が叫ぶ声も聞かず、老人は走り出した。

 老人を食らう化け猫の話を知っていたのだろう。

 どこにそんな力があったのだろうという速さだった。まさに全力。本当に全身全霊の力を振り絞っているような走り方だ。思わす呆然としてしまっていた。

 

「追いかけますよ」


 先に沖田が走り出す。

 猫又も、それに続いたが――

 

「でも、ムリじゃないか」

 猫又はまったくスピードを上げようとしない。走っても意味がないと言わんばかりに。

 

「ムリ? 何を言ってるんですか?」

「いや、アイツからは臭いがするんだよ」

「臭い?」

「死の臭いがするんだ……」

「死の臭いっていうのは、どういうことです?」

「もうすぐ死ぬっていう人間が分かるんだ。臭いでな」


 辺りは静まり返って、二人の走る音だけ。


「あのじいさんは、どこまで行ったんだ」

「そういえば、随分走ってますね。臭いで分からないんですか?」


 猫又は立ち止まり、スンスンと鼻を鳴らす。


「こっちだ」


 走って、少し山を下ったところに老人が倒れていた。

 手で胸を掻き毟り、苦しげな顔で死んでいた。

 頭にも大きな傷があり、血が出ている。

 何かにぶつけたような傷だ。


「苦しくなって、崖から落ちたんだろうな」


 そこはあのあばら家から少しも離れていない場所にある、急な崖の下だった。


「これか?」

 沖田は、小さく言葉を吐いた。

 

「ん?どれだ?」

「いや、なんでもない」

「どうしたんだ?」

「……」

「なんか、喋れよ」

 

 シュ――

 空気が斬り裂かれる音がする。

 音と同時に、猫又はうまく体を躱した。

 魔を斬るための刀が、猫又を狙い振られる。しかし、それが猫又の体を捉えることはなかった。

 

「あぶね。なんだよ」

「それでも、俺は」

 

 沖田は、あの構えをする。

 獣のような。壬生の狼の構え。

 そして、誰かに誓うように叫んだ。

 

 

 

「それでも、コイツを追いかけ続けます」

 

 

      □□□

 

 

「……ん? これもメインはオマエの話じゃないか?」


 マタさんは、ちょっとご立腹。

 沖田さんは、何も言わずに立ち上がると、窓からサッと逃げ出した。

 そこには居たたまれないマタさんと私が残される。

 

「えっと――どうしよう?」

「……」

「……」

「猫缶っ。猫缶を出せ!」

 ぎゃあぎゃあと、マタさんは叫ぶ。

 そこから私は、マタさんにブラッシングをして、彼のご機嫌を取ることに努めるしかなかった。


「明日も来るからな」

「あ、明日はダメなんだ。昂作とモミジと遊びに行くの

「えー……」

 本気でしょんぼりする、マタさん。

 ごめん。


「フンっ、帰る!帰ってやる!」

 そう言って、私が謝る前に窓から帰って行った。

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