拾漆)日の暮れゆく街の、不可思議な車の事2

「ワン」という鳴き声。

 私が覗き込むと、助手席に犬が乗っていた。

 なぜ、タクシーに?


 その子は、茶色と白のコーギー犬だった。

 短い尻尾が、「ハッハッ」と息をするたびに小刻みに揺れている。

 よく見てみると、背中に白い模様があるみたいだった。8角形? 何かの模様のようだけど。何だろうこれ。毛並みの中に描えがかれていては、正確に判別できない。

 その子が再び「ワン」と吠えた。


 フロントガラスの向こうで、影が動く。

 影――ローブを着た吸血鬼は、黄昏の街の中でゆっくりと起き上がった。


「出すぞ」

 

 火の点いていない煙草を口に咥えながら、運転手は叫んだ。

 同時に、エンジンが大きな唸りを上げた。

 深い重低音が車内まで響いて来る。

 

「改造したエンジンだからな……逃げられるさ」

「えっ」

 

 ――。

 猛烈なGに座席に押し付けられる。

 改造したエンジンの力か。加速がすごい。

 

 私たちの街は、人がそこまで多くない割に発展している。普段なら人気は少ないのに、夕方の多くの人が帰宅するこの時間は、歩行者や車が道に増えている。

 しかし、このタクシーは、アクセルをさらに踏み込む。

 とんでもないスピードで街を突っ切って行く。

 

「ちょっ――、危ないですよ」


 昂作は正面を見ながら、人の脇をすり抜ける様子をみて言う。

 事故にならないのが、さっきから不思議なレベルだ。


「ああ、大丈夫だ。それよりも、あんなのに襲われる方がもっと危ない」

「さっき、なんて言ったんですか?」

 

 モミジは自分の耳が信じられないとでも言うように、タクシー運転手に尋ねた。

 吸血鬼という言葉を使った運転手に。

 タクシー運転手は、バックミラーでモミジのほうを見ながら答える。

 

「ああ、そうか。聞いてないのか」

「え?誰に?」

「冷たい嬢ちゃんだな」

「えっと……結局誰?」

 

 彼の眼がモミジから私に移る。

「……!」

 この人は、すべてを知っている?

 私が死んでいることを……。

 ちょうどそのとき、車の後ろに何かがぶつかるような音がした。

 3人で振り向く。


 そこには、ローブの影が腕1本で捕まっていた。

 いや、乗るときには、なかった。

 捕まっていたのではなく、今片手が届いたのだろう。

 私たちは、その執念に恐れ戦く。

 

「おい、後ろが見えないぞ。ちゃんと座れ」

「でも……」と私。

「大丈夫だ。なあ――」

 

 そう言って、彼は助手席の犬の上に左手を置く。

 

「――相棒」


 彼の手が、コーギーの背中を優しく摩る。

「ウオん」と鳴く声に、私の体がビリビリと痺れるのを感じた。

 皮膚の表面を電気のような刺激と、おかしな寒気が走った。

 彼の鳴き声のせい?

 

「uuuuuuugaaaaaaaaaa」

 

 後ろから叫び声が聞こえた。

 低い声。

 振り返ると吸血鬼が苦しんでいる。

 耳を押さえずにはいられないという様子で、車体を掴んでいた手を離すと、地面に転がった。その間も、タクシーはスピードをほとんど落とすことなく、例の吸血鬼を置き去りにしていく。


 訳の分からない状態に、頭や言葉が追い付かない。

 私たちの口はまだ強張ったまま。

 誰も何も言わなかった。

 その沈黙を破ったのは、彼だった。

 

「何とかなったな、『りゅう』。でも、そうか、知らなかったのか。ミスったな」

「何を言ってるんですか?」

 

 私が、ジッと彼を見つめる。

 運転手の彼は、バックミラー越しにこっちを見た。

 

「運転手さん――えっと……」


 名前が書いてあるはずだと、名札を探す。

 だが、彼のほうが先に私の意思を察してか、エアコンの上にある名札を指し示した。

 映りの悪い写真の横に「中田真司」と名前が書かれている。

 

「中田だ。ついでに言うと、こいつが『りゅう』」

 

 そう、左の親指で犬のほうを指した。

 

「で――どうしたよ。お嬢ちゃん」

「あ……、えっと、吸血鬼のことですよ」

「いや、待った。そのまえに君らの家を教えてくれ。そこまで送って行くよ」

「でも、こっちに来ちゃったんなら、うちのほうが近いね」

 

 モミジが手を上げる。

 タクシーは私たちの通学路を偶然にも辿っていた。

 いつも待ち合わせする丁字路を、左へ曲がってしまった後だった。

 私の家に行くには、そこを右に曲がらなければならない。

 

「じゃあ、どっちが近いんだ?」

「ああ、これだとアタシかな」

 

 またモミジが返事をした。

 だが、私ははぐらかされると思い、話を元に戻す。

 

「あの、中田さん、吸血鬼ってどういうことですか?」

「言わないとダメか。面倒だな」

「誤魔化す気ですか?」

「分かった、言うよ。でも、単純な話さ。俺は、タクシー運転手だ。同僚

 も多いし、暇な時間にいろんな話を聞くこともあるんだよ。知り合いどころか、会社の同僚にもよくある怪談のように後ろに幽霊を乗せた運転手だっている。中にはホントに憑かれて、死んだのもいるけどな」

「……」

 

 全員が黙った。

 笑えない話に、誰も何も言えなくなる。


「まあ、そんな話を聞く仕事だからさ。夜の街で変なものを見たって話もよく聞くんだ。それがどうも吸血鬼ってやつだってね」

「……」

「なんだよ。黙っちまって。そっちから聞いたんだろ」


 そんな会話をしているうちにも、猛スピードで車は走っている。


「でも、吸血鬼とは言わないが、いろいろ危険な話もあるんだぜ」

「どんなですか?」

「おお、食いつくねー、兄ちゃん。でも、あまり話すと俺も客を逃がしちまうんでな。今度、客として乗ってくれたら話してやるさ」

「中田さん、仕事がうまいね」

「だろ? 御嬢さんたちも、そんな存在がいるってことだけでも、知っとくのはありだと思うけどな」

「ふーん。まあ――たしかに、見ちゃってるからね」

 

 モミジがそんな気なさそうな生返事をして、窓の外を見た。

 ちょうどモミジの家の近くだった。

 

「あ、止めて」

「お、ナイス・タイミングだったな。最初にいったとおり代金はいらない」

「ありがと、おじさん」


 車はうるさいブレーキ音を立てて止まり、ドアが開いた。

 一番端に乗っていたモミジが降りようとすると、昂作もそれに続こうとする。

「俺もここで降りるよ……」

「まあ、アンタも近いしね」

「待った。まだ奴が追って来てたら厄介だ。送ってくよ、家の前まで」

「そっか、じゃあねー」

 

「ちょっと待て、御嬢さん」

 モミジは振り返る。

 少し面倒くさそうに。

 

「知らない人間がきても、家に招き入れるなよ。吸血鬼対策だ」

「わかりましたよ」


 と、クールに家に入って行った。

 次は、昂作の家。

 時間にして1分も車を走らすことなく、彼を下した。

 中田さんはまた同じことを言ったが、昂作はモミジよりもこういうことを面白がるやつだ。かなりいい返事をして、笑いながら家に入って行った。

 2人を下すと、私の家に向かう。

 ここからは少しだけ離はなれている。

 とはいえ、そこまでの距離はないし、このスピードならすぐだろう。

 車内に2人だけになると、中田さんは少し静かになった。

 そんな空気を打ち破ろうと口を開いた。

 

「中田さん、犬をタクシーに乗せてていいんですか?」

「相棒だからな。まあ、世の中には犬が嫌いだったり、アレルギーだったりするやつもいるが、そんなことでもないかぎり乗ってくれるからな。別に問題はない」

「そうですか」


 やはり受け答えもさっきより簡素だ。

 何かがおかしい。


「あの」

「なんだ?」

「なんで、そんなに静かなんですか?」


 中田さんの眼が一度だけ、バックミラー越しにこっちを見たのが分かった。

 悪い人だろうか。

 だんだんと怖くなってくる。


「君は、友だちに言ってないのか?」

「何をですか?」

「自分の胸に、いや、体のどこでもいい。手を当てて考えてみな――」

『冷たい嬢ちゃん?』


 私の顔が固まる。

 恐かった。なんで、この人がと。

 

「まあ、言いたくないナイーブな問題だからな。それは、そうだ」

「なんで知ってるんです?」

「でも、アイツらと父親には行ってもいいんじゃねえか」

「なんで!」

 

 私は、大声を出した。

 助手席の犬・りゅうも、立ち上がりこっちを見た。

 可愛らしく、ヘッドレストの横から顔を出す。

 

「なんでって? まあ――説明するのメンドーだな」

「……どういうことですか」

「んー、時間だよ」

「説明になっていません」

「いや、違う。君の家までは、もう少しだろ。だとしたら、時間もない。それに、もうすぐすべてが分かることだ。ここで話をする意味もない」

「訳がわかりませんよ」

 

 そう言いながら窓の外を見る。

 確かに、私の家はもうすぐだった。

 

「さっきも、そんなこと言ってましたよね。『どっちが近いんだ』って」

「言ったっけか?」

「すべて分かってたんでしょう?私たちのこと、全部」

「いや、俺は知らないな。しがないタクシー運転手だ」

「誤魔化そうとして――」

 ――ませんか。

 

 そう言いきる前に、車は止まった。さきほど「もうすぐ」といった私の家は、このカーブを曲がった先にある。その直前でタクシーは一時停止をした。

 急に止まったせいで、私は前につんのめる。

 彼は、咥えていた煙草に火を点ける。

 

「まあ、誤魔化してもいるし、真実を述べてもいる」

「どういうことです?」

「禅問答みたいなもんさ」

「まったく訳がわかりませんよ。どういうつもりですか?」


 彼は、こちらを振り返った。

 私たちを車に乗ってから初めて、しっかりと顔を見せた。

 

「今は、信じろってことだけだ。俺は、キミの味方だよ」

 

 この人の言うことはムチャクチャだ。

 でも、嘘を吐いているような感じもしない。

 

「まあ、今はそれだけだ。あまり多くを教えるのはダメらしいからな」

「?」

 

 質問も思いつかないほど、混乱している。

 

「まあ、俺はこれから用事がある。さっさと送り届けて帰らせてもらうぞ」

「はあ……」

 

 そんな返事だけが口から零れた。

 家に着くと、父親の作った食事が並んでいた。

 でも、あまり食欲はない。

 小さな声で「食べたくない」とだけ言って、2階の自分の部屋に籠った。

 頭の中を多くの情報がぐるぐると回っている。

 考えていると気持ち悪くなりそうで、すぐに布団を被り楽しい夢のことだけを考えた。

 

 

      ■■■

 

 

 3つの影がそこに集まっていた。

 明るい街の裏には、1つの灯りもない場所もある。


 そこにそろった面々は、互いをほとんど見えていない。

 ただ呼び出した本人は、2人が誰であるかを当然知っている。

 また、夜目が利きくものと、もう1つの影は、一緒に訪おとずれたために互いを知っている。ただ夜目も利かず、もう一人の参加者に連れて来られただけの人間は、自分が誰にここへ呼ばれたのか分かっていない。

 おかしな鼎談ていだんが行われることとなった。

 

「よお。揃ってるな」

 主催が話を始める。

 夜目の利く者は喧嘩腰で、応じた。

「あ? なんだよ、オマエ。こんなとこに呼び出して」

「まあ、気にするなよ。話があっただけだ」


 呼び出されし者は、目をこすりながら。

 状況を必死に理解しようとしていた。


「誰なんです?私は、呼ばれただけなんですけど」

「まあ、詳しくは言えんが、キミとは知った間柄だぜ」

「どういうことですか?」

「……まあ、いろいろあるんだ。で、どうだ、夜目の利くオマエは、呼び出された理由に心当たりは?」

「ボクに、こんな知り合いはいないはずだけど」

 

 主催は、くくくと笑った。


「まあ、そういうなよ。俺は2人に忠告しに来ただけさ」

「忠告?」と夜目の利く者。

「あと、勧告だな」

「さっさと要件を言えよ」

「じゃあ、ここに呼ばれた意味すら分からぬキミから」


「はい」と呼び出されし者。

「時が来た。キミのほうは、そう言えば分かると」

「……分かりました」


「で、ボクには?」

「まあ、今まで通りでいいんじゃないかな。何も言われてないし」

「んなっ」

「それだけだ。まあ、普通でいいんじゃない」

「それだけか。それだけで呼んだのか」

「――」

「お、おい! 逃げるなっ」


 2つの足音が遠ざかる。

 そして、1人が取り残された。

 3つの影の邂逅。

 それがこの夜にあった、この世で一番の大きな変化できごとだった。

 停滞していた時間が、やっと進み始める。

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