玖)美剣士の、死の床で猫又に遭いし事1

 吸血鬼に襲われた週の土曜――、

 せっかくの休みだというのに目覚めは最悪だった。


 いつものように少し遅くまで眠っていた私は、ベランダの窓を叩く音で目が覚めた。いつも通りならマタさんが来ている時間だった。だから、開けてやらなければと窓のほうへ向かう。

 カーテンを開け、目が合った。

 私より、少し高い目線……。

 そこにいたのはマタさんではなく、

 沖田さんだった。


「え?」

「おはようございます」


 きちんと頭を下げて挨拶をする沖田さんを見て、私も頭を下げる。

 そこでふと気付く。

 頭はボサボサだし、服はパジャマ。


「ちょっ――

 

 急いで、カーテンを閉める。


「ちょっと着替えるので、そこにいて貰ってもいいですか!?」

「構いませんよ?」

 

 少し微笑んだ気がした。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。

 

 

 数分後――

 

 

「あ、どうぞ」

 部屋に招き入れるために、着替え、髪を梳かし、部屋を軽く片付けた。

 今回はちゃんとクッションを差し出し、そこに座らせた。

 肩のバット入れを下し、前と同じく右に置く。(武士の時代のマナーらしい)

 私は、その前に座ったのだけれど……

 すごく落ち着かない!

 何よりも彼がここに来た理由も分からないし、そもそもマタさんのいないウチに来て、彼に意味があるのだろうか。


「えっと……」

「この前は、申し訳ありませんでした」


 そう言って沖田さんは、深々と頭を下げた。


「自分が不幸な人生を送ってしまったばかりに、アナタの人生もそうだと決めつけあんなことを……」

「いえ、あの、やめてください。それをいうなら、こちらこそ酷いことを」

 

 私も、頭を下げる。

 だって、沖田さんのことを考えたら。

 150年の時間を想像したら。

 

「分かるとは言えません。それでも、沖田さんは辛かったんですよね。そして、私も同じような人生を送るんですよね。なら、私は、本当は沖田さんを責められないじゃないですか。そして、先日は沖田さんに助けられましたし」

「でも――」


 沖田さんは頭を上げ、私も頭を上げた。

 目と目が合う。

 そして、逸らす。


「わかりました。なら、もう謝るのは止めにします」

「ですね……」

「では」


 そう言って沖田さんは立ち上がろうとした。

 刀の入ったバットケースを、また肩に背負うとする。


「あの!」


 私は意を決して言ってみる。


「沖田さんのこと、教えてくれませんか?」

「え……、っと、どういうことですか?」

「教えてほしいんです。どうやって沖田さんが、今まで生きて来たのかを」


 沖田さんは、そうしてまたクッションに 腰掛けた。


「では、俺が生きていた時代から、お話ししましょう」


 彼は語り始める。

 150年も前の、悲しい過去を。



「あれは――」

 

 


      □□□

 

 

 慶応4年1月。京都。

 その日、銃声が都を震わせた。

 

 その前年からすでに徳川家を中心とした幕府側と、薩摩藩と長州藩、土佐藩を中心として新政府側の緊張は極限まで張りつめていた。ほんの少しの火花で爆発することは、誰の目からも明白だった。

 江戸幕府最後の年は、そんな恐ろしい緊張によって始まった。

 三が日も終わりに近づいた夕方。

 鳥羽という地にて、武力衝突が始まる。

 

 続いて伏見でも武力衝突が起き、戦火は次第に大きくなっていく。

 これが「鳥羽・伏見の戦い」であり、江戸幕府の崩壊へと繋がる戦争の引き金だった。


 250年以上続いた平和に、幕府は胡坐を掻きすぎた。

 海の外からの侵略行為に機敏だった薩摩・長州は、幕府の怠慢と切り捨て、対立し戦うことになる。



 慶応3年の10月、土佐藩の意見書に応じ、政権を天皇に返した徳川家だったが、藩の中で最大勢力なのは一目瞭然。新たな政治形態になろうと、その優位は揺らがない。

 だが、新政府発足に動く薩長は徳川の参政を認めなかった。

 それに怒った幕府側の人間たちは、軍勢を率いて京都に進軍。

 幕府軍を迎え撃つカタチで、鳥羽・伏見の戦いは起こってしまう。



 新政府の人間たちは武力衝突の準備を以前から整えていたため、最新鋭の武器を大量に買い付けていた。対する幕府の人間の武器は古く、能力的に劣る。

 太刀打ちするには、難しい状況だった。

 1月3日からの戦局は、幕府側が敗北に敗北を重ね、絶望的であった。

 幕府側であった新選組は、療養中の沖田総司と負傷し隊を離れていた近藤勇と共に、戦艦「富士山丸」にて江戸に下ることを決めた。

 江戸で体制を整える。

 だが、船の中は絶望的な空気に沈んでいた。

 

「大丈夫ですか、沖田さん」

 

 隊員の一人が、そう言いながら額の手拭いを濡らし、取り替えた。

 昨日までの長旅と船の中という特殊な状況に体調を崩していた。

 そして、さきほどから沖田は急な高熱にうなされている。

 顔は赤く、額に手を当てると異常な熱さを感じた。

 取り替えても、すぐに温くなる手ぬぐい。

 うなされて剥いでしまう布団。

 一晩中、付きっきりの看病が必要になっていた。

 今にも死にそうな彼のことを、ずっと見ている必要があった。

 

「すまない……」

 

 眠ってはいたが、彼はそう呟いた。

 当時「労咳ろうがい」とも呼ばれていた病気は、人にうつることは分かっていた。

 看病の隊員も、口元に布を当てている。

 その布の奥から、悔しさが漏れる。

 

「この人が、丈夫なら」

 

 船内の隊員は、船内を見回す。

 鳥羽伏見での戦死者は、あまりに多い。

 船内は、病人と怪我人がほとんどで。

 健康な者は、ほんの少ししかいない。重傷の者も何人かいて、船内で死ぬ者もいた。これでは、江戸に付いたところで勝てる状況ではなかった。

 絶望のムードは、そうして感染する。

 江戸で再び集結したとき、新選組はすでに3分の1以下にまで人数が減ってしまっていた。死者もいたが、脱走者もいた。


『局ヲ脱スルヲ不許ゆるさず

 局中法度書きょくちゅうはっとがきも、こうなっては意味をなくしていた。

 そして、悲劇の剣士もまたみんなが集う場所にはいなかった。

 彼は、もう重病人であった。

 

 

      □

 

 

「具合は、どうだ?」

 

 2月の末日。

 新選組局長・近藤勇は、植木屋・植甚に見舞いに訪れていた。

 翌日から甲州への出兵の前に、そこで療養やすんでいる沖田総司を見舞いに来たのだった。沖田は、近藤にしてみれば仲間であり、兄弟も同然という間柄。それだけに、一目見た時の衝撃は相当であった。まるで別人かと見間違うほど、見た目が違う。

 すっかりやせ細った姿が、そこにあった。

 江戸に戻ったときには、まだ元気そうに見えていたのに。

 だが、そんな心配は微塵も見せず、まるで弟の見舞いに来たかのように尋ねた。


「大丈夫か。本当に」

「そんな、心配な眼で見ないでください。また元気になりますから」


 ゆっくりと起き上がろうとする。

 そのときに軽く2つ咳をした。

 小さな咳ではあったが、変な音だった。

 口の端から、赤いものが見える。


「血が!」

「大丈夫ですよ、近藤さん。大丈夫ですから。それよりも口に布を……」

 

 自分よりも他人の心配をする。

 人にうつらないかと。

 今は戦争の時期、武士である近藤は明日ともしれない命だ。

 

「気にするな、総司。俺だって、武士だ。いつでも将軍のために死ぬ意思はある。それに仲間のためなら死ぬことも厭わねぇよ」

「近藤さん……」

「総司、何も気にするな。だから、今は休め」


 沖田の目から雫が落ちた。


「俺も戦います。きっと……」

「おお、そうだな」


 沖田の体を抱く。

 近藤には、沖田の体の細さが堪えた。

 ぽたりと沖田の寝間着に水滴が落ちて、自分が泣いていることを初めて実感した。

 顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き、その顔を見て笑い合った。

 最後には、笑って去っていった。


「また文を書くからな」

「ええ、近藤さん」

 

 それが2人の今生の別れとなった。

 甲州へと兵を率い向かった近藤は、その後に敗走する。

 千葉の流山で再起を図ろうとするが、4月3日、新政府軍に取り囲まれた末に投降する。

 始めは、偽名で誤魔化してはいたが、ついには「近藤勇」であると見破られてしまう。投獄され、彼の処遇を巡り様々な意見が交わされた。

 しかし、その後、彼は斬首されることになる。

 植木屋、植甚。


 4月25日。

 千駄ヶ谷の植木屋の離れで、彼は眠っていた。

 病状は、戦える状態を遥かに超えて悪化していた。

 咳き込むたびに、血を吐いた。

 肺を締め付けるような苦しさが彼を襲っていた。

 剣を振るうことすら、辛い。

 それでも彼は必死に抵抗した。

 戦うのだと。

 生きるんだと。

 悔しくて、涙を流した。


「近藤さん」


 布団に横たわり、うわ言のように呟く。


「土方さん」


 彼らの名前。名前。名前……。

 戦えない、後悔。

 

 

 

「にゃあ」

 

 庭を黒猫が通った。

 そのとき、千駄ヶ谷から少しだけ離れた板橋の刑場で、大切な人の命が潰えたことも沖田総司は知ることはなかった。

 ずっと――例の猫と出会うまで。

 明くる日も、また明くる日も。

 猫は通り抜けた。

 そんな庭の様子を、気が抜けたようになった剣士はぼんやりと眺めていた。

 

「沖田さん、具合はどうですか?」

 

 植木屋で下働きする老婆が、膳を運んでくる。

 すでにほとんど食欲はなく、おもゆを運んでもらっていた。

 それすら口にしないことがあり、骨と皮しかないほどにやせ細っていた。

 

「気分はいいよ」

「たまには、どうです。御庭でも眺めては?」

「ん」

 

 体を持ち上げる。

 ゆっくりと起き上がると、肺に負担がかからない。

 老婆は食器の乗った膳を沖田の前に置き、障子を開けた。

 そこには屋敷の庭がある。

 

 小さな池があり、その周りに様々な木々が植えられている。

 さすが植木屋と言ったところで、その景色は美しいものであった。

 療養の身の上とはいえ、ここまで良い部屋に住まわせてもらえるのは、幸せだと沖田は感じていた。


「キレイな庭ですね」

「そうでしょう、そうでしょう」


「にゃあ」

 黒猫がそこを歩いていた。


「猫?」

 

 短い足で、トコトコと歩いて行く。

 小さく可愛い子猫だった。


「まあ。どこかから歩いてきたのかね」

「ここの猫ではないんですよね。あれは……」

「ええ。でも、いいことじゃありませんか」

「何がですか?」


 老婆は笑って、沖田の横に座った。

 二人は、庭のほうを見ている。


「黒猫は、肺を治すそうですよ。縁起がいい生き物だと聞きました」

「そうなんですね。これは、良いことを聞きました。元気になれそうです」

 

 沖田総司は、笑った。

 近藤の死を知らないままの彼には、少年のような笑顔があった。

 毎日、毎日、猫は来た。

 何故か、多くの猫がやって来ていた。

 黒猫、白猫、三毛猫、トラ猫……。

 

 中には、黒い体に真っ白な足を持った奴もいた。

 まるで足袋を履いているような猫だった。

 その猫が庭に現れると、他の猫は遠慮がちに屋敷のどこかに消えたり、勢いよく逃げ去ってしまったりした。



「猫が、結核を直してくれるなんて……ホントなんですかね?」

 

 小さく、沖田は呟いた。

 ――誰にも聞こえない独り言。




「さあね?」

 誰かが小さく呟いた気がした。

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