捌)海の外の鬼、人を喰い子とせし事5
これは吸血鬼事件の後日談。
この日、あらゆる人間が自分の「生」のために動いていた。
生きるためや生きているものを守るために。
4人の被害者や吸血鬼も、
学生たち3人も、
猫又も、
すべて一緒くたに悪い夢に飲み込まれ、底なし沼にはまったかのように1日中藻掻き苦しんだ。
何もかもが絶望の中に沈みそうになる中で、そんな悪夢を斬り裂いたのは、1人の
私はすぐに救急車を呼んだ。
でも、事情が事情だけに、パトカーも何台か来てしまった。
時間は23時を過ぎるころで、そんな時間の迷惑なサイレン音に野次馬が何人も集まっていた。面倒なことにならなければいいけど。
でも――
「……なんだったんだろう」
救急車で処置を受ける2人を見ながら、ぼーっと今日あったことを考える。
吸血鬼に、襲われた。
そんな非日常に巻き込まれてしまうことなんて、普通に生きていればあり得なかったはずだ。
妖怪や怪物の棲む、そんな世界があることも知らなかったはずなのに。
たぶんその元凶は、マタさんに跨れてしまわれたことで。
たぶん沖田さんに出会ってしまったことで。
そこから私の運命は、
いや、「私たち」の運命は大きく変わった。
死を待ちこがれるような人生に、
変わった。
猫又・マタさんの持つ人を起き上がらせる能力。それで私と沖田さんは、起き上がり、死ねなくなった。私たちは、『生物』として生きていない。心臓は止まっているし、体温もほとんどない。でも、体は動くし、おなかも減る。腐ることはないけど。
『人間』として、せめて人らしく生きるフリをし続けるしかない。
「にゃあ」
そんな私の考えを知ってか知らずか……
いや、考えなんて分かっていないと思うけれど。
マタさんはそこら辺をうろうろと歩きながら、鳴いただけだった。
猫の妖怪だからか、マタさんは実際かなり自由な人だ。(いや、人ではないか。)空気を読まない発言もしばしばする。それで沖田さんともケンカするのだ。
私は沖田さんのように、マタさんをあんな風に恨むことはできずにいる。
マタさんこそが、
私が死ねなくなった原因なのに。
あの日、私は死んだ。
そして、生き返った。
言葉にすれば簡単なことなのに、この2週間はとても濃密だった。
人生に残してきたイベントが一気に押しよせたみたいに。
あと何年生きられたんだろうか。
生きていれば。
そして普通に死んでいれば。
私はいったいどんな人生を送れたのだろうか。
そう考えないわけじゃない。
「にゃあ、にゃ」
マタさんは人ごみの中で、愛敬を振りまいている。
死ねなくなったことを悔やんでいないとは言えない。
でも、マタさんのことを信じてもいいと思ったことだけは確かで――マタさんが可愛いからだけじゃなく――信用しようと思っていた。けれども、私はもっともっとマタさんを信じていいのかもしれない。
私のところに、救急隊員が近づいてくる。
「大丈夫ですか? どこか怪我をしたところなどありませんか?」
「いえ、大丈夫です。私は、転んだだけですから……」
と膝を見せるが傷はすでになかった。
救急隊員は少し首を傾けて、優しく微笑んだ。
恥ずかしい……。
死んでいる体は、なぜか元の体よりも傷つきにくく、治りも早い。
死んでいるのに死ぬことができない。
沖田さんが呪いだと言うのも肯ける。
自殺という道もあるかもしれないけれど、苦しいだけなんだろうな。
わざわざそんなことをする気はない。
でも、沖田さんは、どうだったんだろう。
150年、何を考えて生きたんだろう。
「あの……それで、他の人は? 昂作やモミジは?」
「ああ、大丈夫ですよ。アナタのお友達ですか? 2人とも強い打撲を受けてはいますが、体がとても丈夫なようで、その打撲くらいですね。まだ気絶していますけど」
「誘拐されたという女性のほうは……」
それを聞くと、救急隊員の顔が曇った。
「体は健康で、怪我もありません。問題はないんですが……意識がはっきりとしていないんです。何かの薬物のせいなのか、それは病院で詳しい検査をしないといけない状態で。なんとも言えません」
「そうですか……」
「京香」
名前が呼ばれた。
振り返ると、そこに父が立っていた。
「お父さん」
「なんで、こんなことになってんだ?」
詳しい説明はめんどくさい。
というか、難しい。
だけど、それよりもなに、その格好は?
完全に仕事終わりのオジさんだし、髪は梳かした様子もなくて無精ひげは伸びっぱなし、機械油と汗で汚れた作業着からは中年の臭いがする。
この人は、ホント外に気を使わない……。
「それは、家で説明するから。ちょっと向こうに行ってて」
「ああ、りょーかい」
ゆっくりと野次馬の中に消えて行く。
心配していたのか、それともしていないのか。
救急車は1台また1台と出発した。
意味のない私だけが、ここに置いて行かれる。私も帰っていいんだろうか。
そう言えば、沖田さんもいない。確かに、沖田さんは現代日本には存在しないことになっている人だ。勿論、戸籍とかもないと思う。
すぐに逃げたほうがいいだろう。
「あの、すみません」
呼ばれた方を振り向くと、警察の人だった。
すぐに、手帳が差し出される。
「救急車を呼んだコンドウキョウカさんは、あなたですか?」
「ええ」
急に話しかけられて、返事をしたが、考えはまだまとまっていない。
ヤバい……
とっさにそう思ったが、なんとか顔に出さないよう努めた。
警察が来た時から、何となく嫌な想像はしていたけど……。
この人が聞きたいのは、今回の事件の犯人がどんな奴だったかとか、誰がどうしたから今の状況があるのかを知りたいということだろう。沖田さんと同じように早々に逃げるべきだった。
言えるわけがない。
吸血鬼に襲われた女性たちを、猫又と沖田総司と一緒に助けた?
嘘だと思われて、警察の人には悪い印象を与えるだけだ。
それこそ私たちがやったと思われ、犯人にされてしまうかもしれない。
どうしよ……。
「誘拐された女性が見つかりましたけど、何があったんですか?」
「えっと――」
えっと――
……。
「どうかされました?」
「え?」
父が私のすぐ後ろに来ていて、突然肩を掴まれた。
体温の低さがバレるとか、そんなことは考えられなかった。
普段は私とくっ付くのさえ避ける父が、私の肩を抱いたことに動揺したせいだ。
汗が臭うとか、油が付きそうとかそんなことを考えている余裕もなかった。
「すいません……あの、お父さん?」と警察も困惑している。
対格差があり、なかなか親子と解りにくいとよく言われるけれど。
「……お父さんですか? 警察として事情を聞かせてほしいんですが」
「別の日にしてもらえませんか? もう夜も遅い」
警察は、一度顔をしかめた。
でも、すぐに、
「……そうですね」
と、意外とあっさりと諦めた。
ごねるのは良くないと思ったんだろう。
うちの父親は強面というほどではないが、角ばった顔と日々の仕事で鍛えられた大きな体に威圧されてしまう。
警察もそんな人に言われて、少しは止めようかなと思ったのかも。
「では、明日の午後、警察に」
「ええ、行かせますよ」
そして、私は家に帰った。
久しぶりに父と話をしながら。
かなり危険なことをしたけれど、父は一言も私を責めなかった。
昂作が悪いとか、そんなことを思っていたんだろうか。
父の考えることは、よく分からない。
家に着いて、すぐに布団へ倒れ込んだ。
翌日。私は学校を休むことにした。
疲れていたというのもあるし、正直学校に行くのがホントにだるかった。午後から警察に行かないといけないと思うと、体のだるさが3倍くらいにふくれ上がっていた。
父に休むと伝え、着替えを済ませて、私は布団にまた横になった。
2人は目が覚めたんだろうか?
学校で始業のチャイムが鳴る時間になって、モミジから連絡アプリ『mine』で連絡が入った。
モミジ:おはよ~、学校行く?
近藤京香:行かないよ。警察に行くしね
近藤京香:てか、目が覚めたなら言ってよ
モミジ:(謝っているスタンプ)
昂作も大丈夫かな。
彼にも連絡を入れたが、返事がない。
でも、アイツの場合、まだ寝てるという可能性もありそうだし。分からない。
モミジ:きょーかも、警察?
近藤京香:うん。午後から
モミジ:あとで会うかもね
(笑っているキャラクターのスタンプ)
近藤京香:そうだねー
しかし、警察に行くとなると、沖田さんのことや吸血鬼のことを聞かれたらマズイ。
正直に答えておかしい子だと思われてしまうかもしれない。
何より警察が納得しないと思う。
近藤京香:モミジ、一個お願い聞いてくれないかな?」
モミジ:なに~?
近藤京香:あのさ、昨日の男の人のことなんだけどさ
モミジ:あの、カッッッコイイ人のコト? てか、きょーか、知り合い?
近藤京香:まあ……
モミジ:しょうか!
モミジ:しょうかいして!
近藤京香:返信が早いよ! しかも、焦り過ぎでしょ……
モミジ:知り合いなら紹介してよ
近藤京香:あの人のコト、黙っててほしいんだけど
モミジ:えー、ただで?
近藤京香:わかった。会う気があるかだけ聞いといてあげるから
モミジ:なら、いうこと聞いたげる。あ、この写メ見せていいからね
その後、貼り付けられた彼女の写真は、今まで見たことがないほどばっちり決まっていた。彼女が本気なのが怖い……。
警察には父も付き合うと言っていたが、私はそれを丁重に断った。
昨日今日と、私たちは久しぶりに会話という会話をした気がする。
「あれ」から、あの2年前の8月から、父との会話はどこか減っていたと思う。
「あのこと」をまだ話す気に慣れない。
今は、まだ。
警察に着くと、そこに昂作とモミジがやって来た。
いつもの3人が揃う。
すると、すぐさまモミジが昂作をどこかへ連れていき、少しして戻ってきた。
ただ戻ってきた昂作がおなかをさすっていたことは気にしないことにした。
何があったかは聞かないほうがいいと思う。
その後の事情聴取は、とてもすんなりと終わった。
3人が一貫して、「知らない人が助けてくれた」「犯人はどこかに逃げてしまった」と言ったからだった。警察としてはとても不服かもしれないが、そうするしかない。
言っても、信じてもらえないこと。
知っても、嘘だと思えること。
この世にだって裏と表がある。
私だってマタさんと出会わなければ、それを知ることはなかったはずなんだから。
そう、この世には裏と表がある。
本当は、そんなことすら知らないほうがいいんだから。
◆◆◆
「余が、寝ているというに、御楽しみであったか」
「……」
ローブを脱ぎ、床にひれ伏す男はボロボロの格好で震えていた。
屋敷の庭に、2体の吸血鬼の影がある。
圧倒的な力の差。
ひれ伏すものは、直感的に自分の敗北を痛感し、最期をも理解し、恐怖していた。
恐怖。すべての生き物が共通し感じる恐怖。
死――、
死が見えた。それをこの吸血鬼は初めて感じた。
「
王が呟き、拳が振り下ろされる。
――轟!
拳からの風圧が、男の体を焼き、壊し、消失させる。
地面に手が触れる寸前で、王は拳を止めた。
既に男は一片の肉塊も残さぬままに灰になり、消し飛んでいたから。
王の口角は、自然と吊り上がった。
「ははッ」
王は、嗤う。
それは、残酷な笑みであった。
吸血鬼の灰は風に乗り、飛び散った。
黒く長い髪がなびく。
美しい顔。奇麗な声。
絶世の美貌の女吸血鬼――それが彼らの王だった。
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