漆)海の外の鬼、人を喰い子とせし事4
現代・ルーマニア――ブラン城。
ヴラド・ツェペシュの逸話残る城下町は、オカルトファンには観光地として有名な場所だが、夜になるとやはり怪しげな雰囲気が立ち込め始める古城であった。
遠く洞窟から飛び立った存在が、街に辿りついていた。
場所は、それにとってはどこでも良かった。
馴染みのある場所でなくても、どこでも。
だが、体が向かっていた。
遠い昔、自分が住んでいた城を懐かしむように。
帰巣本能とでも言うべきか、それとも郷愁に似たなにか、か。
街のはずれにある一軒の古びた屋敷。
昼であっても窓にはカーテンが引かれている。
日の光を嫌う彼らの一族は、太陽の光が体を傷付ける。
ゆえに太陽が照る快晴の日だと言うのに、カーテンから一筋の光も漏れないように厳重に窓を閉していた。
昏いリビングに、影は蠢く。
そして足元には、家の本当の住人たちが眠っている。
永遠の眠りに付いた4人の家族たち。
全員の首には、2本の牙の後がしっかりと付いている。
首筋から血の抜き取られた跡だった。
そして、リビングにある木製のテーブルの4つの足が、一人一人の心臓を貫き、杭として床に打ち付けられている。
吸血鬼に噛まれた者は、吸血鬼になる。
それを防ぐため、影は人間の死体を木のテーブルの脚で無残にも串刺しにした。
「――――――」
城に住んでいた由緒正しき吸血鬼の血統は――叫んだ。
仲間にしか聞こえない声で。
静かに。けれど、爆音で。
それに反応したのは、各地に散らばる仲間たち、かの『伝説』から感染した吸血鬼たちが反応した。そして、また同じ怪異である妖怪たちだけが、その声をかすかに聞きとることができた。
普通の人間たちには、ただの静かな風。
人間には、何も知らない世界がそこにある。
◆◆◆
沖田さんは、剣を構えている。
剣はまっ直ぐに相手の首を切っ先で捕えていた。
剣の柄のほうを持つ左手は、臍の前にある。
右足は前で、左足を引く。
これが剣道でいうところの「中段の構え」というものだ。
剣道部なんかがよくやっているのを見たことがある。
でも、沖田さんはそこから少し構えを変えた。
切っ先を少し右に傾ける。
引いていた左足を少し開く。
中段の構えと比べると、野性的な構えに見えた。
沖田総司の使う剣は、実戦向きであると調べたサイトには書かれていたが、これがまさにそうなんだろう。
まさに壬生の狼だ。
背筋に寒気が走る。
自分まで獣に睨まれたように、動けない。
だが、マタさんは、そんなこと気にする様子もなく、ぼんやりとそっちを見つめていた。
「平晴眼……。決着だな」
私は、マタさんが何を言っているのか分からなかった。
どういう意味か聞こうかとも思ったけれど、私はすぐには動けずにいた。
ただ口を開くということすらできず、震えていたからだ。
沖田さんの殺気は、さっきまでとは別物になっている。
怖い。
沖田さんが怖くてしょうがない。
そして、その震えが溶ける前に沖田さんが動いた。
その構えから、鋭い突きを繰りだす。
相手を串刺しにするような『突き』が吸血鬼の左胸を狙って繰り出される。
だが、当り前ながら、その突きにそのまま当たってくれるわけもない。
防がれる可能性もある。
攻撃には、音があった。
――。
よく聞かなければ、ひとつの音。
でも、正確には 3つの音がした。
した――
と思った瞬間、吸血鬼の胸を沖田さんは貫いていた。
「三段の突き」
とマタさんは 呟 く 。
「……さんだんのつき?」
「まあ、沖田の得意技だよ。まるで1度しか突きを放っていないように見えるほどの速さで、 3度の突きを放つ。今も、そしてさっき女たちを吹き飛ばしたときも、それを使っていた。1度目で敵の右手を、2度目が敵の左肩を。そんな防御ができない状態のところに胸へトドメを刺したんだよ」
「……3度も!?」
「……にしても、あれが躱せないとはね。相当舐めていたのかな」
吸血鬼は胸を一突きにされ動けずにいる。
というか、普通の人間なら死んでいる傷だ。
敵は、そのままガクガクと痙攣し、口から血を吹き出す。
吸血鬼の赤黒い血が沖田さんの手や顔を穢した。
刺された吸血鬼を見ながら、私にはようやく助かったという意識が浮かんでくる。
そこでふと考える。
「吸血鬼って、倒せるものなの?」
「うーん、不死の怪物だからなあ……。あれじゃダメかも」
マタさんは、呆れたように呟く。
「gyyyyyyyyaaaaaaaaa――」
吸血鬼は、叫び声を上げた。
「な、何?!」
吸血鬼の常に真っ白な顔が、異常なほど引きつって血の気がなくなっていた。
死相というのを越えた何か。
それが彼を包んでいた。
なのに、まだ戦う意思を見せる。
ゆっくりと腕を動かし、沖田さんへ向かっていく。
恐ろしい。
その堅い手が動き、刀を掴もうとしている。
「マズいか」
「何が?」
マタさんは何か分かっているようで、でも私には何が何だか。
吸血鬼の手は、再び形を変えようとしている。
刃物のような形状から、親指を立ち上げ、鉤を作った。
「京香は、十手という江戸の武器を知ってる? あれも鉤がついてるんだけど」
「一応……」
「あれは刃を受け止めるんじゃなく――」
ガイン――と吸血鬼の腕が刀に触れる。
嫌な音。
「――刀を折るためにあるんだ。西洋にもソードブレイカーという武器もあるが、それと同じだ。挟んで、折る。それだけ」
「それじゃあ」
「だから、マズいんだ」
沖田さんは、敵の意図を察してか、さらに1度剣を深く突き立てると、相手を蹴り飛ばす。吸血鬼から距離を取った。
武器を失くしては、勝てるものも勝てない。
しかし、吸血鬼の傷は、刀を引き抜いた瞬間から塞がり始める。
さらには、流れ出た血が手にまとわり付いていく。
手にまとわり付いた血は、また何倍にも手を太く大きくする。
そして形は無骨で凶悪な形の刃物へと変わっていった。
当たれば肉を裂き、骨を砕くような形。
炎を象ったような、いくつもの棘を持つ鉄塊。
それが両方の腕に付いている。
棘と棘の間に刀を取られたら折られてしまう。
「ふう」
「fuーfuー」
呼吸を整える沖田さん。
対して、息荒く、今にも襲い掛かろうとする吸血鬼。
敵は、本気で沖田さんを殺そうと考えているとしか思えない。両腕はとんでもない大きさの刃へと次第に形を変えていく。逆に言えば、それだけの血を吸血鬼が流したということでもあるが。
でも、傍 から見て、勝ちそうなのは沖田さんだ。
小さく笑っている。
楽しそうに。
戦うことが、楽しいかのように。
一瞬で、本当に目を瞬く間に、吸血鬼が距離を詰める。
「沖田さん!!!」
でも、
その直後に、吸血鬼の脇を通り抜けた沖田さんがいる。
無事に立ってい……る。
?
私の頭の上にハテナが浮かんだ。
「だから、言ってるだろ。アイツ、速くなってるんだ。腕っていうか、技術は明らかに落ちてるけど」
マタさんが言った直後、吸血鬼の両腕が落ち、地面に転がった。
まとわり付いていた血がベトベトと零れ、その中の腕は紫色の炎を上げて燃える。
紫の炎は、腕だけをゆっくりと灰にしていく。
「uuugg、ggggaaaaaaaaaaaaaaaaa」
「諦めろ。勝ち目はない」
刀を突き付け、沖田さんは吠える。
吸血鬼は、腕を落とされた痛みのせいか、地面を転がる。
血反吐とうめき声を上げながら、地べたを這う。
ゆっくりと這いつくばって、自分の作った血だまりへ。
「……。……」
零れ落ちた血を、舐めはじめる。
さすがに自分の中の血が足りなくなったんだろう。
零れた血すら体に取り込もうと、無様に膝をついて地面の血を舐める。
その姿に、4人の女を従えていたときの品格はなかった。
あまりに哀しく、虚しい姿だった。
その姿に、沖田さんも構えていた剣を下した。
………………。
…………。
……。
――そのとき、マタさんの耳がピクリと動く。
そして、空を見上げた。
何かが聞こえたのかな?
「叫んでる」
「え……」
私にはまったく聞えない。
「何が? 何が叫んでるの……?」
「ヤバいな。アイツが起きた」
「……アイツ?」
「ボクの知り合い」
知り合い――という言葉を使ったマタさんだが、その言葉には苦々しく尖った何かが含まれていた。
「前に言ってた人のこと?」
「そう。それ」
「何がやばいの? 知り合いなのに」
「それが獰猛で危険な吸血鬼の王だからだよ」
王?
すると、吸血鬼も上を見上げた。
そして、思い切り飛び上がった。
「何だ?」
「まあ、戻って来い。戦いは、終わったんだ」
マタさんが呼び寄せると、沖田さんは鞘に刀を戻し、バット入れに収めながらこっちにやって来た。
さっきまであれほど恐ろしく、人間ではない者と戦っていたとは思えない顔だった。
とても晴れやかで「普通」の顔だ。
顔に付いた血は、いつの間にかなくなっている。落ちていた腕も、周りの血とともに消えてしまったみたいだ。
「あれは……何だったんだ?」と沖田さんは首を捻る。
「オマエ、分かんないで戦ってたのか? バカだ、バカがいる」
「黙れっ」
「ちょっと。落ち着いて」
私の声で、2人のケンカは1度止まった。
でも、すぐにまた睨み合いを始める。
というか、私にとってはそれどころじゃない。
「昂作! モミジ!」
吸血鬼の当身を、首筋に食らっていた。
マタさんは気絶しているだけと言ったが、直接見るまでは安心できなかった。
2人の口元に耳を当て、二人の脈を計る。
大丈夫だ。どちらも生きてる。
「……よかった」
倒れている2人と、4人の被害者。
これは、どうしたらいいんだろうか。
救急車?
「車を呼んだほうがいいと思いますよ。俺やアナタだけでは、運べないでしょう」
「沖田さん」
いつの間にか、後ろに立っていた。
「この二人は頑丈そうです。大丈夫でしょう」
そして、目を女の人たちに向ける。
「しかし、残りの4人は……生気が消耗している」
「そいつらは、個人の回復力しだいだろうな」
マタさんもそこらをうろうろしている。
どうも他の被害者の様子を見ているようだ。
「どうにもしようがない。救急車をだな」
そのマタさんの言葉通りに、私は電話を取り出した。
電話を掛ける。
これで街を騒がせた誘拐事件の幕は閉じたのだ。
安心できるはずだ。
でも、なんだろう……、どこか落ち着かない。
私も何かを感じ始めている。
いや、まずは言い訳をどうしたものか。
◆◆◆
吸血鬼は飛んでいた。
深い刀傷を負っていたが溢れ出る血はゆっくりと止まり、裂けた体も治り始めていた。そんな体で跳躍し続ける。日本のとある街から、はるか遠くへ。
王の命令には絶対的な服従が強いられる。
王が叫べば、すぐさま参上するのが決まりだ。
地球を半周ほど飛び、吸血鬼は王のいる洞窟へとやって来た。
さすがの彼もそれほどの重傷を負っていたがために、到着は少し遅れた。
昼の太陽に焼かれても、彼は臆することなく飛び続けた。
男は王の前に跪き、王の目覚めを祝福した。
だが、王はすぐに表れなかったことに怒る。
続いて、男から血の匂いがすることに激怒した。
「――」
叫び。
鋭く蹴りつけた。
それだけで男の体の半分が吹き飛ぶ。
吸血鬼は、死ぬことがない。痛みと苦しみの中、陸に打ち上げられた魚のようにパクパクと口を開閉させて呻く。彼は、真に恐れていた。何よりも王の凄まじき激情を畏怖する。
死んだはずの体が、「死」を恐れていた。
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