陸)海の外の鬼、人を喰い子とせし事3
「まあ、すぐ来るよ」
マタさんは、あっけらかんと言う。
えっと……。
それでいいの、マタさん?
でも、来てくれるというなら心強い。
沖田さんと出会ってから、私は「沖田総司」という人のことを調べた。
新選組という京都の守護を仕事にしていた侍たち――今でいう警察みたいなものだったらしい。そこに所属していたのは、各地の道場で剣の修行をして一人前と認められた人たちばかり。強者たちが勢ぞろいする中で、一番の剣の使い手とされたのが沖田さんだ。
そんな彼がいれば、ここから逃げられるくらいのことはできる……かも?
しかし、それでもコンクリートの壁を破る力を持つ敵を倒せるのだろうか。伝説の剣士とはいえ、怪物に勝てるんだろうか。
いや、まずは、
沖田さんが来たら逃げられるとして、まずはそれまで無事でいること。
これが何より重要だ。
全員無事でいられるか、まさにギリギリの状態で。
今ここを逃げ回っている、二人が心配でならない。
大丈夫かな、二人とも。
「昂作とモミジは……どうなるの?」
「ん、お前の友だちのことか? 大丈夫だ」
マタさんは目を瞑り、地面に耳を近づける。
「え?」
「足音は6つ。もちろんボクと京香の分は引いて。二人とも無事だよ」
足音――それだけでも、少し安心できる。
マタさんが今度はスンスンと鼻を鳴らす。
何かの匂いを嗅いでいるようだ。
「どうしたの?」
「いや」
難しい顔をして、首を傾げた。
また匂いを嗅いで、不快そうに鼻を拭う。
「ここのカビ臭さや鉄さびの臭いが邪魔をして、まだうまく匂いが嗅ぎとれないんだけど。やっぱり知ってる奴じゃないな」
「えっと、昨日の夜の話?」
「そう。犯人は怪物で、知ってる奴かもしれないって話だったけど」
「これは、別人なの?」
「だな。同族っぽいけど……違う奴だ」
マタさんは、一度体を震わせる。
気合を入れたみたいだ。
「どっちにしろ、話し合いは不可能だと思うぞ。 倒すしかない」
「でも、 襲われた人は?」
床に転がっている女の人を見る。
マタさんの体当たりで、気絶しているみたい。
いったいどれくらいの威力だったんだろ。
内臓とか、大丈夫かな? すごい速度だったし。
「まだ助かると思う。死んではないようだからな」
「死んでない?」
「うん、生きてる。無事だよ」
「え? でも、死んでたら襲ってこないんじゃないの?」
「京香、自分のこと忘れてるだろ?」
「うっ……、まあ、それは別として、そういうのが相手ってことなんだよね」
「そう、……あれは『吸血鬼』だ……」
吸血鬼。
血を吸う化け物。
人を噛み、噛んだ人間を吸血鬼にしてしまう西洋の鬼
……それがこの町にいて、人を襲っている。吸血鬼がいる。
途方もない事実が、いまいち飲み込めない。
あの恐ろしい力を見ても、理解が追い付かない。
「この人は、まだ直接血を吸われていない」
倒れた女性の首元をマタさんがかき上げる。
白い首には、確かに傷がない。
「自分の力で彼女たちの意思を支配し、血を自ら 献上するようにしていたんじゃないかな? コイツらは、異性をそういう風に操る力があるから」
「歪んでるね」
「歪んでるにもほどがあるよ。まっとうに自分の眷属にした方が、100倍も楽なはずだし。吸血鬼になる前は、よっぽど偏屈な人生でも送ってたんだろ……おっと、見つけた」
マタさんは急に駆け出した。
「どうしたの!?」
「女の足音が多すぎて分かりにくかったけど、匂いなら京香の友だちとそうでないくらい分かるんだ。他のヤツらは、吸血鬼の所に何日もいたせいで同じ匂いがする。急ごう、友だちの二人は合流するみたいだ」
「分かった」
私は、マタさんについて行く。
今度は全力ではなく、私がついて行けるように走ってくれた。
クネクネと道を曲がりながら、工場の奥へと足を踏み入れていく。
道を何度か行ったり戻ったりしたのは敵に見つからないためだろう。
ここにまだ4人の敵がいるのに、まったく出会わなかった。
かなりの時間をかけて、ようやく辿りつく。
工場の奥にある事務所のような場所だった。大きな資料棚と3台の事務机が並んでいて、 隠れるスペースは結構ある。
そこに2人はいた。
「京香、逃げろって言っただろ!」
「アンタ、ホントに来たの!?」
2人はちゃんと無事だった。
私の顔も、彼らの顔も、互いの無事を確認してようやく解れる。
2人共まだ持っていた鉄パイプが、床にカランと音を立てて転がった。
1本はそのまま。1本は元の長さの半分以下まで、異様に短くなっていた。
「大丈夫? ケガはない?」
「ああ、大丈夫。でも、見てくれよ、これ」
昂作は、床に転がった鉄パイプの1本を足で軽く蹴る。
明らかに短くなっていて、モミジの持っていた物とはまるで別物だ。
それは折られたわけじゃなく、まるで切り口のように鋭く切られたみたいだった。
「あのローブの男に出くわしてさ。殴りかかったら、こうなったんだ」
「何、これ――でも、無事でよかった」
「てか、なに?」と、足元のマタさんにモミジが気づいたようだ。
「京香、猫連れてきたの?」
にやあ、とマタさんは猫のフリをしつつ、2人の足の間を縫って歩く。
黒猫に横切られ騒いでいたモミジも「横切る」ことさえなければ別のようで、普通に接している。
マタさんは偉そうなことをしゃべるけど、それさえなければかなりの美猫だし。猫としての可愛い動きのアピールもかなりのものだ。
「ああ、この子ね。この子は……なんかこの建物に住んでたみたいで」
とっさに嘘をついた。
人の言葉を話す猫又で、ついさっき助けてもらったんだとは言えない。
まわりまわって、自分のことも話さないといけなくなる。
「そうなんだ。じゃあ、一緒に逃げよ」
3人と1匹は、近くの窓からそっと建物の外に逃げ出した。
でも――、
「待て」
一番先に外に出た昂作が、私たちを押し止める。
夜の闇の中に、3つの影が見えた。
相手の方が、上手だったらしい。
「……」
昂作やモミジは、悔しそうに唇を噛む。
男の姿はなかったけど、鉄パイプを置いてきてしまった私たちにとっては、大ピンチでしかない。今乗り越えた窓に戻ろうにも、そんなことをしているうちに捕まってしまうのは目に見えている。
「ggGAAAAAAaaaaaa!」
3人の女たちが襲い掛かってくる。
マタさんにも、大逆転は不可能だ。
体当たりでは、1人にしか攻撃できないから。
終わりだ……
そう思った刹那 、
工場の屋根から何かが落ちてきた。
人、のようだった。
――背中にバット入れを下げ、後ろで一つに結った髪が揺れている。
侍の後ろ姿がそこにあった。
「沖田さん!」
彼は、一瞬でバット入れから刀を取り出す。
赤い拵の鞘が、闇夜の中でも煌いた。
やっと来てくれた。
私は、思いがけず安堵していた。
沖田さんは刀を抜かぬまま、柄を持って構える。
そこから先の動きは全く見えなかった。しかし、次の瞬間には、襲いかかって来ていた3人の女たちは吹き飛ばされていた。
沖田さんは、ただ構えていただけに見えたのに。
何が起こったの?
まったく分からなかった。
「何が……起きた?」
昂作の声に、モミジも首を横にふる。
たぶん、今ここで何が起きたのかを理解しているのは猫以上の動体視力をもつマタさんと、それをした沖田さんだけだろう。マタさんに聞きたいところだけど、今は昂作とモミジがいるせいでしゃべれないみたい。
「キミ」
沖田さんは、昂作のほうを振り返って呟く。
「二人を連れて逃げなさい。俺が逃がしてあげます」
「えっ――はい、分かりました」
「まだ、いるんでしょう?」
「はい……。まだ、一番強いのが」
敵は、まだいる。
でも、私たちは逃げるしかなかった。
一瞬で私たちの前に姿を現すことができ、コンクリートの壁を破れる吸血鬼を前にしたら、どうすることもできないと思えてしまう。それが現実で、人と化け物の差だ。
ここは沖田さんに任せて逃げるしかない。
沖田さんでも……あんなのに勝てるのかな、
本当の吸血鬼に。
「大丈夫かな?」
「大丈夫だろ、あの人なら」と昂作。
「ホント『化け物』みたいに強かったし。あれなら勝てるよ」
モミジがなんとなく喩えで言ったのは分かるけど。
刺さる。
沖田さんも、
そして私も、
死ねない『化け物』」だってことが。
「さっさと、逃げy――」
モミジの言葉が途切れ、目の前で二人が消えた。
「え?」
「しゃがめ!」
沖田さんの声が聞こえた。
そうでなければ、私は叫んで固まっていたはずだ。
声の通りに、私は地面に伏せる。
頭の上の、ギリギリを刀が通過した。
――!?
そして、刀と反対方向から、白い手が伸びる。
「――」
刀は白い手に深々と突き刺さった。男はうめき声を上げ、後ろに飛びのく。
吸血鬼も痛みは感じるみたいだ。
そして、自分がとても危ない状態にいることに気づく。
逃げなきゃ。
でも――考えてしまう。
私が、
「逃げろ」
襲われるところだった?
「早く」
二人は?
「はやく!」
どこに?
「急げ!」
どこに!?
そう言えば、マタさんの姿もどこにもない。
「こっちだ。早く」
少し離れた窓のところで、何かが2つ光っている。
それは猫の目で、窓の内側からこちらを見ていた。
どうやらそこに隠れていたみたいで、彼が私を呼ぶ。私もそこへと走る。
吸血鬼は、私を狙っている――みたい。
でも、私と吸血鬼の間に飛び込んで、私を守ってくれた。
窓から中に飛び込むと、中にはマタさんしかいない。
そのマタさんは窓枠に座って、ずっと外の方を見ていた。
外では、二人が向かい合っている。
吸血鬼と伝説の剣士。
昂作とモミジの姿は見えない。
「他の2人は……?」
「あそこだよ」
見ると、二人とも少し離れたところで地面に転がっている。
倒れたままピクリとも動かない。
何が、起きたの?
「二人は、大丈夫なの!?」
「大丈夫だって。二人とも首筋に一撃を食らってたからな」
やはり、彼にはちゃんと見えていたようだ。
「恐らく二人とも気絶してるんじゃないか?」
「そんな……」
吸血鬼たちと2人の場所に距離があるのは幸運だった。
戦いに巻き込まれることはないだろうと思う。
でも、本当に大丈夫かな。
「まあ、助けるにしてもアレを倒さないとダメだ」
それは、可能なの?
あんなのを倒すなんて。
その瞬間、戦いが開始された。
刃がぶつかるような音がする。
沖田さんは刀で戦っているが、吸血鬼は素手だ。
普通ではあり得ない音。
そう言えば、昂作の鉄パイプは鋭く切れていた。
まるで、吸血鬼の腕が、真剣に変わったかのようだ。
よく見ると、手が黒く染まっている。
「マタさん! 吸血鬼が……」
「あれは……たぶん自分から血を流してるんだろうな。その血を鉄のように固めてる。尖らせれば、鉄パイプくらいなら切れちゃうんじゃない?」
「……」
吸血鬼という伝説の生物は、人の理解を簡単に越えていく。『人』の武器で、あんなのを倒すことができるんだろうか。
私の不安な顔を感じたのか、マタさんは私の近くにすり寄ってくる。
頬に、顔をよせてくれる。
柔らかく温かい。
「大丈夫だよ」
「え?」
「あれでも、アイツは伝説的な剣士だぞ。150年で腕自体は落ちてるが、いつもボクに斬りかかっているんだ。その速さは、人間のそれを軽く超えるだろう」
ガキン――。
そして金属と金属が、ぶつかり擦れ合う音。
沖田さんの真剣の打ち込みを、吸血鬼の真っ赤な腕が受け止める。
鉄のように固い手までは、斬ることができないようだ。
さらに幾合か切り結ぶと、沖田さんは敵から距離を取った。
「この程度では斬れないか」
「――」
影が何かを言った。
何語なのか分からないが……。
でも、笑ったようだ。
影の手が、鋭い刃となる。
「……キル」
「斬る――俺を斬るって?」
冷たく、怒気のこもった声。
たぶん吸血鬼が言ったのは、「Kill」だろう。
吸血鬼は、もしかすると英語なら通じると思ったのだろうか?
だが、残念ながら英語でも、沖田さんには通じない。それどころか、勘違いされてる……
でも、斬ると言われて、沖田さんは怒った。
幕末の伝説の剣士に、「斬る」と言ったんだからしょうがないけど。
「来るぞ」
「え? 何が?!」
沖田さんは、ゆっくりと構えを変えた。
それが、彼の真の構えだった。
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