拾)美剣士の、死の床で猫又に遭いし事2
「まったく」
口からは、文句しかでない。
そりゃ、そうだよ。
休みの日だし、京香が家にいるかなーと思って遊びに来たら、アイツがいるなんて。
それはボクだって機嫌が悪くなる。謝りに来たアイツは、まあ……見直してもいいかなとも思うが……
長い。
「アイツめ……」
長話で、居座るなんて――
ついつい愚痴っぽくなってしまった。
アイツは、『猫の敵』だからな。
あの植木屋の庭で何があったか。
それは、この後アイツ自身の口から聞けると思う。
ボクが何かをいう必要はないだろう。
だったら、ボクは少し寝ていよう。
今日はいい天気だ。
アイツが帰ったら、中に入ればいい。
「……」
沖田の話を聞いていると、思い出さずにはいられない。
『あの子』のこと。
「――」
名前を呼ぶ。
その名前のことを。
世界の誰も、今は知らない。
◇◇◇
時は、慶応4年。
この年は、うるう年だった。
今の暦で2月が1日増えるように、旧暦では1か月増える。
そんな「うるう月」、閏4月8日のことだった。
京都・三条河原に、板橋で処刑された近藤勇の首が晒された。
ちょうどその日、江戸・千駄ヶ谷の植木屋に、また猫がやって来ていた。
それも何匹も。
多数の猫が出入りするようになって、植木屋の人間たちは少し嫌な顔をしていた。
エサを与えているわけでもないのに増える猫に、首を傾げるしかなかった。
今日も、何でもない庭に猫が増える。
勝手に縁側の柱で爪を研いだり、庭の草木にじゃれて遊び、鉢を倒して回った。
猫が庭を荒すせいか追い出されるのや、時には捕まるのもいた。
「にゃぁふ……」
沖田の眠る部屋の縁側の下、そこに一際大きな猫が眠っていた。
体は黒いが、手足は白く、まるで足袋でも履いているような猫。
だが、それは本当の猫ではなく、妖怪・猫又であった。
普段は猫のふりをして野良猫と共に生きているが、2本の尻尾がある妖怪だった。
いつもは尻尾を隠しているけれど。
彼が縁側の下でウトウトし始めると、そこに子猫が一匹やって来る。
黒い毛がつやつやした、まだ若いオス猫だった。
普通の猫たちは、相手が妖怪の猫又だと知ると逃げていく。でも、若すぎる子猫は、相手が猫又、猫よりも上位の存在であることを知らない。普通に近づいて、仲間のように接していた。
「まだ若いね、キミは」
それに猫は、キョロキョロと辺りを見回した。
「にゃ?」
「最近は、ボクと同じようなのもずいぶん減ったから、分からなくて当然か」
子猫は、猫又が人語を操るのを聞いて驚いたようだ。
最初に周りを見回したのは、猫又が喋っているとは気付かなかったからだった。
「キミは猫かもしれんが、ボクは猫又という妖怪だ。多くのお前の輩たちは、畏れ多いなんて言って逃げるけどな」
「にゃっッ!」
「いやいや、逃げなくてもいい。取って食ったりしないから」
「んにゃあ」
「まあ、なんて言っていいのか。みんながそうやって逃げるから寂しいと言うのもある」
ずっと猫又は人間の言葉を話し、子猫はただ猫の言葉話していた。
傍から見ていれば、変な会話だった。
猫語を理解するもの同士なのだから、猫語で話してもいいものなのに、猫又は理由もなく人語を話している。
猫のフリをしている「猫又」が、子猫に示した妖怪らしさであった。
「で、お前はどうしてここに?」
――
「ふんふん、やっぱりあの子か」
――
「知ってるのかって?」
――
「もちろんだよ。ボクも彼女に着いてきたからね」
つい先日、猫又もまた、彼女に着いてここに来た。
まだ幼さの残る女の子。
その顔に猫又の心は動いた。
誰かを想う、優しい顔に。
彼女のことを、猫又は思い返していた。
3月25日のことだった。
あの日、少し離れた場所にあるお寺の前で、女の子にぶつかった。
少女は、お寺に向かう途中だった。
石畳の上を歩き、一心不乱に手を合わせていた「彼女」。
その顔は、真剣で美しいと猫又は思った。
「あの人が、治りますように」
そうやって、願っていた。
彼女が願う「あの人」が誰なのかは、その時点ではまだ知らなかった。
でも、お寺から猫を連れて向かった先を見て、猫又は少し残念に思った。
その屋敷の中で休んでいる男が、再び治ることはないと知っていたからもある。
だが、それ以上に猫又が本当に「あの人」のことを、心の底から羨ましく思ったからだった。
植木屋・植甚の離れで休む男、沖田総司。
彼から香る死臭は強く、猫又の鼻に残った。
「あの人は、治らないよ」
そう呟いた。
誰にも聞こえないように。
そして、同時に悲しくなった。
彼が死んだら、どう思うのだろうと。
その思いは、数日経っても消えないままだ。
彼女はせっせと猫を運んだ。運び続けた。
江戸時代の伝承の中に「黒猫が労咳を治す」というのがある。
少女はそれを本気で信じて、実践しようとしただけだ。
植甚は、猫を飼っていなかった。でも――
「猫がいないなら、運べばいいと思ってね」
そう、猫を撫でながら教えてくれることもあった。
彼女は、毎日沖田のもとに猫を届け続けた。
彼の具合が良くなることだけを願いながら、
ずっと。
ずっと。
そのおかげか、植木屋の庭に猫が集まり、猫又も加わった。
猫又は、そこで沖田総司とであった。
運命の歯車が、軋み始める。
それから猫又は勝手に少女の元を何度も訪ね、沖田の下にも出向いた。
彼女の恋心と、
猫又自身の感情と、
沖田の生死に決着をつけるために。
「猫が、またいる」
時に猫又は、起きて庭を見ている沖田に出くわした。
顔はやつれ、日に日に死の影が強くなっていく。
決して止まることがない時の流れが、無常に過ぎていく。
そんな中でも、新選組は戦っていた。
4月末、新撰組の本隊を率いた土方歳三は、会津に辿り着いていた。
東北地方で、最後まで新政府側と対立した土地である。
鳥羽・伏見の戦いより続く戊辰戦争は、ある意味で幕府側の撤退戦でしかない。
土方を含む幕府軍は、最後は会津からも撤退。そして、函館まで追いやられることになるのだから。その最中には、ひどい戦いも悲しい死も多分に起きた。
文字通り「敗北」であり、「敗走」だった。
時は、もう戻せない。
時間は、止まることなく進む。
沖田総司、最後のひと月。5月の始めのことだ。
会津で白河小峰城を巡る激しい戦争が行われていた日、植木屋の庭でも一つの事件が起きた。いつもの通りに、猫又は少女に会いに行った。
けれども、そこにいたのは、まだ小さな黒猫と猫又だけだった。
少女も猫に上げるエサが少なくなっていたのか、彼女に懐いていたその2匹だけが集まったのだ。黒猫はいつも通り彼女に抱えられて、植木屋の中に飛び込んだ。
猫又も彼女に抱えられて、同じように飛び込んだ。
でも、その日の沖田は、違っていた。
沖田が、先に飛び込んだ子猫を見つめていた。
手には刀を持ち、虚ろな目が黒猫を睨んでいる。
呆然 ぼうぜんと、だが、殺意を漲らせ、縁側に立ち尽くしていた。
「……?」
何をどう勘違いしたのか、子猫はそっちに近づいて行った。
病気が治ったとでも思ったのか。
とんでもないくらい考えなしの行動だ。
猫又は全力で走って、子猫の首を噛んで持つと、その場から飛び去った。
その後ろを白刃が斬り裂いた。
猫又の力が、刀を躱すことを何とか可能にした。
「無事か」
少し離れた木陰に二人は隠れた。
瞳孔は開ききって、激しく浅い呼吸を繰り返している子猫。
猫又は、その子に傷がないことを確認して、地面にゆっくりと下した。
「アイツ、病気でおかしくなったのか?」
猫又は、子猫に「さっさと逃げろ」と小さく呟く。
言葉通りに子猫が逃げると、猫又は沖田の前に飛び出した。
「黒猫、お前が俺に死を運びに来たのか」
そんなわけはない。
が、言葉は話さなかった。
刀を振り上げた。
猫又がいた所を斬る。
しかし、当の猫又は、全力で別の場所に飛んだ。
病人の力では、鋼でできた刀を振るには限界がある。
長くは続かないだろう。
その乱心を、誰かが察知したのか、遠くから沖田の世話をしていた老婆が走って来るのが見えた。だが、沖田の攻撃は止まず、再度刀が振り下ろされる。最小限の動きで回避すると、それがどうも猫又を幻かのように見せているようだ。
「なんで斬れねえ……」
老婆が駆け寄ってくる。
沖田を安静に寝かせようと、後ろから羽交い絞めにして叫ぶ。
一人の力では無理なのか。人を呼ぶ。
そんなごたごたの中、猫又と黒猫は逃げ出した。
最後に聞こえたのは、沖田のとても悲しい叫びだった。
「俺は、斬れねえよ。婆さん……」
その後のことを、猫又は猫の噂話に聞いた。
沖田総司は、直後に意識を失い、数日寝込んだらしい。
それほどまで、沖田の体は限界を迎えている。
京都にいたころには、人を刀で斬ることを仕事にしていた侍が『仕事』すらできなくなったことを知った。その事実は、体ではなく心に刺さる痛みだっただろう。
猫又は、沖田ではなく少女のことを思った。
ここ数日で彼の寿命がほとんどないことを嗅ぎ取っていたからだ。
それからの猫又は、少女に会いに行くことはあっても、沖田の家に入ることは少なくなっていた。避けているといったほうがいいくらいに。自分を斬ろうとした相手には、やはり会いたくはない。
そして彼が死んでも、彼女はその死を知らない。
そうなったとき猫又自身がどうしていいか分からなくなるのが嫌だった。
そして、そこで猫又は、少女に恋をしているのだと悟る。
◇◇◇
「――」
もう一度、名を呼んだ。
そして、眼を覚ました。
沖田の話もそこまで進んでいない。
ほんの短い時間だったようだ。
沖田の話は、ボクと彼との二度目の邂逅の話になっている。
「ふたたびアイツが入ってきた日は、とても調子の良い日でした。あの日もいい天気で、ちょうどこんな天気の日でした。前のことを申し訳ないなと思いつつ、声を掛けたらアイツはしゃべり始めたんですよ」
「どういう風にですか?」
「一言目は『辛そうだな』と。そして『死にたくないだろ?』って」
「相変わらず、沖田さんに厳しいんですね」
「まったくです」
京香たちは、いい雰囲気で話をしてる。
早く帰らないかな。
「そういえば、あの時は『新撰組』のことなんてまったく知らなかったんですよ」
「マタさんが?」
「ええ、ひとつも知らなかったんです。近藤さんや土方さんの名前を出しても無反応でした。人間の生活に、そこまで興味がなかったんでしょう?」
「でも、変ですね。今はとてもいろんなことを知ってるのに」
ボクだって、いろいろある。
人間のことを知りたくなるときだってある。
「降りてきたらどうです?」
「え?」
気付いてたのか。
仕方なく、ベランダに降りる。
「気づいてたら、サッサと言えよ」
「盗み聞きしてる方も、どうかと思うけどな」
「待って。ケンカしないで」
また、こうやってケンカになる。
なんやかんやで、150年だ。
俺がコイツといる時間は、長い。
いつの間にか、今で生きてきてもっとも一緒にいた時間が長い人間だったりする。
腐れ縁、それ以外の何ものでもないけど。
「まあ。ここからは俺もいないと話にならないからな。ほら、さっさと話を続けたらいいだろ」
「なんだ、その言い方」
京香がボクらの間に体を割り入れる。
「まあまあ、ちょっと先に聞かせてよ。その話を」
そしてボクと沖田は、その後の話を語り始める。
沖田が死ぬまでの話。
そして、死んでからの話だ。
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