参拾参)人と、ヒトと猫の縁の事1
数日前のことだった。
これは私が聞くはずのない、
小舟さんとブラムさんの会話だ。
「コブネ。女王の狙いは何だと思う?」
「猫に直接宣戦布告したと言っていましたし、狙いであるのは間違いないでしょう」
「だが、何が目的なんだ? 猫に何を」
「そうですね、使い道と言いましょうか。ヤツをどうする気なのか……猫又といえば、ただの猫の上位互換的な妖怪です。それゆえに起き上がった死体は、まるで生き返ったかのように自由に動いている。『猫が死体を跨ぐと起き上がる』という逸話に由来して」
「……。他に何か、こちらに逸話があったりするのか?」
「何がです?」
「『猫が~』というような、猫の話だ」
「『猫の死を悼んではならない』とかですかね」
「関係ありそうか?」
「いいえ。これは悲しむ気持ちに付け込まれて、猫に取り憑かれるという話で。私、それのお祓いを担当したこともあるんですよ」
「猫とは、やはり魔に近い生き物なのだな。海外には、『猫に9つの魂がある』という。猫の行動に由来するとか、魔女の伝説に由来するというが……事実、我々の調査では、猫の妖怪たちに複数の魂の存在を確認している。正確な数は不明だが」
「へえ……面白いですね」
「だが、肝心な答えは、出ないな」
「そうですね」
という会話があった、とか。
□□□
――ゾクリ。
夏の始めの夕暮に、覚えるはずのない悪寒。
「来たな」
マタさんも耳をピクリと動かす。
無音と共に、それは私の家を襲った。
私にも感じるほどのとてつもない何か。
誰も何も言わなかったが、2人――小舟さんとブラムさん――は、顔を見合わせる。即時、彼らは準備を始める。小舟さんは一度両手を思い切り伸ばし、着物の袖から両手をしっかりと出して、印を結ぶ。
不思議な形に指を組み、一目では何をしているのか分からない。
だが、その印が結ばれた瞬間、嫌な空気が少し緩む。
「……。これで少しは凌げるでしょう」
「結界か」
小舟さんは、マタさんの言葉に頷く。
「これを張っておけば、簡単には中には入れないはずです」
「ただ。これ体がかゆくなるんだよな」
マタさんは、後ろ足で耳の後ろを掻いている。
「そんなアレルギーみたいな……」
私が呟いた瞬間だった。
直後、恐ろしい音が家中に響く。
何事だろと思い、カーテンを少しだけ開けて外を覗く。外は真っ暗な夜……ではない。私が開けたのは、隣の玉城家がある方向。
玉城さんの家のブルーシートくらいは見えるはずなのに。
でも、それさえ見えない。
いつもなら、ずっと勉強し続けている豊さんの部屋の明かりが、ブルーシートから漏れているのか見えるのに。
夜よりも暗い闇があった。
恐ろしい赤い星がちかちかと舞う。
吸血鬼の目だ。
奴らはここにやって来て、結界の中に入れずに表面に張り付いている。
一瞬無音に戻った世界は、再び不快な音に支配される。
ザワザワと。
ゾワゾワと。
結界の表面の上を怪物たちが這い回る。
赤く輝く目が、侵入する方法を探しながら、蛍のように舞う。
吸血鬼は、まだ全部ではないと思う。
だが、無数の目は、とても不気味だった。
家を包む半球状の空間、その表面を黒い何かが這い回る様子は、どこか虫かのようでうす気味悪い。ゾワゾワと背中に鳥肌が立つ。
「気持ち悪いものですね。5人対して、これだけの数を」
「でも、結界って凄いですね」
小舟さんは、にっこりと笑ってみせた。
その顔は、彼の性別を忘れさせられる。
ほんの一瞬、この人が男だということを忘れてしまう。
そんな可愛さに満ち溢れた顔だ。
この人が毎夜、妖怪などと戦う陰陽師だなんて。
「さて」
彼は再び別の印を結ぶ。
結界を維持する力が左手に移ったのか、左手の人差し指と中指を立て、折りたたんだ他の指も力強く握って動かそうとしない。
右手で左袖の袂から3枚の呪符を取り出す。
それにフッと息をかける。
「第2段階です。外に式神を3体配置します。それで敵を食い止めつつ、京香たちの出る隙を窺います」
「はい」
「あと、窓からは離れるべきですよ」
私は、小舟さんの言うとおり窓から離れ、居間の出入り口のところへと下がった。
マタさんも私を守るように、足元を離れない。
これから危険な道を歩むのに、混乱と冷静が交互に私の胸を支配する。
外の様子は、分からなくなった。
私には、外で何が起こっているのか想像もできない。
まるで神さまの遊びの盤上を見つめているような途方もなさ。
そんな状況でも彼は全力で私たちを守り、戦っている。
それに報いるナニカをしなければ、
――そう切に思い、願う。
まだまだ私の心の中には、不安という灰色のものがうず高く積もっていく。
この不安は今夜私にずっと振り続ける。
一時も心休まる瞬間なんてないかもしれない。
それでも私は戦い、進むんだ。
「京香、心配するな。俺も頑張るよ」
「お父さんも、無茶しないでね」
父も剣を取る。
数日の鍛錬で、少しは頼もしく思えるようになってきた。
剣を持つ姿も様になっている。
ただそれでも心配が晴れるわけではない。
近藤勇の生まれ変わりとはいえ、まだ剣を取って数日の素人という事実は消えない。
「うっ」
急に小舟さんは声を上げる。
「小舟さん?」
「もう少し持ちこたえたいのですが、この外にはまた別のが……」
嫌な顔をして、何かを伝えようとした時だ。
彼の手元の呪符が、光る。
いや――違う。
「く……」
小舟はそれを投げ捨てる。
風に舞う呪符は、金色に変わっていた。
紙の呪符が金に変わった?有り得ない現象が、そこに起きている。
マタさんが落ちた呪符を、前足でチョンと触る。
それは脆く崩れて、元の紙とは材質が違う物のようだ。
「金箔だ。ヤバいぞ」
「ヤバいのは分かっていますよ。ブラム、準備は大丈夫ですか」
「ああ」
奥からやって来たブラムさんは、服こそ変わっていないが、手足に装甲を纏ってやって来た。まるで中世の騎士の鎧のような、金属の靴と手袋だ。
その色から、たぶん、銀でできているのだと思った。
彼は格闘のプロ。
身一つで吸血鬼を打ち倒す、強靭な肉体の持ち主だ。
「コンド―、お前も剣を抜いておけ」
「……、はい」
不安。
とても、とても嫌な空気になる。
「コブネ、剣を持っておけ」
「ええ。そのつもりです」
彼はその狩衣の腰に刀を差す。
小舟さんは勝海舟の生まれ変わり。
父のように刀を使えてもおかしくはない。
格好は完全に平安時代の武士のようだけど。
「キョーカ」とマタさん。「気を付けろよ、たぶん……主力が何人か来てる」
「う、うん」
「とくに、この金――錬金術師がここにいる」
「錬金術師?」
聞きなれない単語に、私は反応する。
なんだっけ?
昔読んだ本に、そんな話があったような……賢者の石?とか、そんなのが。
「奴らは科学と魔法の融合させた力の持ち主だ。気を付けろよ、お前ら」
マタさんの声で、部屋の空気が締まる。
小舟さんが、それに呼応する。
「そろそろ外に出て、応戦します。結界が破られたら、どうにもなりませんから。少し早いですが、玄関の方へ。出撃の最終段階です」
外に出る。
心臓の鼓動が、一層早く鳴り始めた。
□□□
玄関先に、3人が並ぶ。
小舟さんにブラムさん、そしてお父さん。
敵は多数。それに今までとは違う何かがいる、らしい。
恐いという感情は、もはや感じなくなる。次第に麻痺し始めているんだと思う。さっきから死は、私たちのほんの少しのところに漂い続けているようだ。
3人の後ろでも、殺気というのをビシビシと感じる。
「――!」
小舟さんは、膝から崩れた。
その瞬間、家を覆っていた結界がシャボン玉のようにパチンと弾ける。
黒い影が、私たちの周りに落ちてくる。
それは私たちを取り囲み、威嚇する。
「ぐっ……」
「小舟さん!」
彼は左手を抑えて蹲る。
その手が――金へと変わっていた。
「呪詛返しみたいなものですか……迂闊でした」
「大丈夫なんですか? その、手……」
「まあ、右手さえあれば、なんとかなりますよ」
そう言って笑う。
額に浮かぶ脂汗も、何もかもがさっきの笑いとは違っていた。
苦しみながらも、敵に向かう小舟さん。
その背中には、鬼気迫るものをある。
「しかし、本当に戦う気とは」
どこかから日本語が聞こえた。
大勢の黒の中から、色の違う3人の男が姿を現した。
1人は、紫のマントを着て長い杖を持つ者。
1人は、髪の長い、黒いレザースーツの男。
1人は、西洋の銀の鎧の騎士。
そのうちの1人、杖を持った男が
「オマエが術師か?」
先ほどの声の主のようだ。
「お前は?」
「我が名は、サン・ジェルマン。あの方の下で科学者をしている者」
続いて、騎士のようなものが名乗り出る。
「我は、ジル・ド・レ。あの人の従者」
最後に長い髪の男が消え入るような声で言う。
「――ジャック」
3人は、三者三様に名乗った。
小舟さんは、そこで初めて怒りを見せた。
「偉人たるべき者たちが何故吸血鬼に?」
「さあ?」
「『さあ?』だって?」
「そう、我々はあの人の『物』だ。そんな我々の意思は、カーミラ様の御心次第。あの人がこれをしろと言えば、それを行うだけ。あの人が猫が欲しいと言えば、猫を奪うだけ」
「戦うしかないと?」
「そうだ」
彼が言い終わると、後ろから5つの影が飛び出した。
急襲。
5つの敵の影に、ブラムさんが動いたと私が思ったときには、彼の行動はすでに終わっていた。5人の吸血鬼をすべて一瞬で打ち倒し、灰へと変えた。
重い銀の鎧を付けながら、よくもそんな動きができるものだと思った。
「コブネ、戦えるか?」
「ええ」
金色の腕は、誰の目からも大丈夫ではない。
小舟さんは左手を着物の中へと隠しながら、右手で刀を抜いた。
狩衣に白刃、麗しい男の子。
こんな状況でなければ、絵になる人なんだろうけれど、私はその様子をしっかりと観察している余裕がなかった。
「行け、ネコマタ」
「おお」
先陣を切ったブラムさんは、わが家の門の前にいる3人に向かってではなく、玄関を出てすぐ右へと折れる。そちらには塀と我が家に挟まれた細い通り道があって、そのまま塀伝いに右へいくと庭へ出る。家の周りの補修などをする通路であるため道幅は、人1人がやっと通れるほどだ。
しかし、この状況で幅が狭いのは利点だ。
右手も左手も壁があれば、私たちを襲いにくくなる。
けれど、この行きつく先は――
「ブラムさん」
「大丈夫だ」
そっちは、壁――しかない。
そこから出入りすることはできない。
「コンド―。お前は、アレの代わりにキョーカに付け」
「はい」
「あと、修繕費は申請しろ」
「え?」
ブラムさんは、突き当りにある家の塀を拳で破壊した。
沖田さんを蹴り飛ばしたパワーは、伊達ではない。
吸血鬼を素手で圧倒する力。
拳だけで、コンクリート塀が粉々になった。
「その隙間から出て、先に行け」
「でも……」
私は不安がちに彼を見る。
「オマエの仕事は、吸血鬼の女王と対峙することだろう」
小舟さんも叫ぶ。
「行きなさい」
「行け!」
「……」
「キョーカ、行くぞ」
私は走り出した。
マタさんと共に。
☩
「ここは通さない」
残ったのは、俺とコブネだけだった。
俺は無傷でここに立ってはいるが、小舟は手負い。そんな中で、3人の強敵が倒せるのか。顔色一つ変えないように気を付けながら、心の中で計算する。
強敵が3人と、およそ100の大軍。
勝てるのか?
いや、あれを逃がせば勝ちだ。
そう判断し、敵に立ちはだかる。
命を捨てる覚悟で。
「行けッ」
錬金術師の号令で、敵が押し寄せた。
☆
「京香、大丈夫か」
「うん」
「前の町長の家までは少しあるが、頑張れよ」
総司の代わりに、京香を守る大役を仰せつかってしまった。
だが、娘のことだ。
俺は命を懸けて守る。
飛び掛かって来る吸血鬼を剣で、斬って捨てる。
敵の体は、即座に刀傷から灰となっていく。
守りながら、戦う。
これほど燃えられることはない。
大切なものがそこにある。
すぐそこで戦おうとしている。
なら、俺もすべてを燃やして戦うだけだ。
――。
――。
――。
後ろから、3つの影が飛んでくる。
でも、総司から教わった剣で、捌ける程度だ。
単調な攻撃。
簡単に倒せる。
「guuuuuuuu……」
横の民家の屋根から、1匹の吸血鬼が飛び掛かって来る。
それに――
気付くのが遅れた
「京香っ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます