参拾肆)人と、ヒトと猫の縁の事2

「京香!」

 父の叫び声があたりに響く。

 私の目の前に、吸血鬼が飛び出して――

 死ぬ。

 いや、もう死んでるのだけれど。

 しかし、直接マタさんではなく、私自身を狙ってきたところを見ると、宣戦布告という女王の言葉は本当だったみたいだ。マタさんを奪うのではなく、私たちを攻撃した上でじっくりとマタさんを狙うつもりなんだろう。

 本当に、戦争なんだ。

 吸血鬼の動作が、ゆっくりと見える。

 あの日見た、走馬灯みたいなものかな。

 思考は、眼前の光景よりも早く流れる。

 ――。

 

「gugiir……」

 吸血鬼が、一瞬に灰となった。

 鼻の先、数センチのところで起きた事件に、目が点になる。

 

「…………え?」


 眼前に残ったのは、銀の刃。

 銀で作られた刀が、吸血鬼の頭部を串刺しにしたようだ。

 その横に立ち尽くすのは、「彼」――沖田さんではなかったけれど。

 逆手持ちをした剣を持つ姿は、まるで鬼のようだ。

 

「豊さん!!」

「すまない。なんとか間に合った。大丈夫か?」

「はい……」

 

 豊さんは息も絶え絶えになって走ってきたようだ。

 肩を弾ませ、額には大量の汗。

 

「ダメだなぁ。運動してないと、これくらいで息が上がる」

「ありがとうございます。御蔭で助かりました」

「まだ、お礼を貰うには早すぎるよ」

 

 彼の言葉は、どこか自信に満ち溢れているみたい。

 いつもの自信なさげの喋り方とは大違いだ。

 沖田さんと何が……。

 いや、分かっている。

 沖田さんとの戦いで、血に目覚めたのだろう。

 土方歳三の血が。

 

「今夜一晩くらいなら付き合うよ」

「戦ってくれるんですか?」

「もちろん」

 

 彼は刀を鞘に仕舞う。

 その所作は、まさに武士だった。

 

「で、近藤さん。大丈夫です?」

「ああ、問題ないよ。でも、……フ、ハハハ」

「何を笑って……るんです?」

「いや」

 

 なんとなく言いたいことは分かる。

 

「ドラマの近藤と土方の会話のようだなと思ってさ」

「それはそうでしょう。本当に土方と近藤なんですから」


 確かに、そうだ。

 本当に、そうだ。

 本当に、実の親子か年の離れた兄弟のように、今まで以上に親密に話している2人がそこにあった。壁を壊してしまったときには、一時険悪になった関係が、もうここでは無いことになっているみたい。

 150年前の彼らがそこにいるようだった。

 

「で、あれ? 沖田さんは?」

「僕は町長の家から近藤家までルートを逆走するように指示されて。彼は一度家まで戻ると言ってたかな」

 

「家までかよ?」とマタさん。

「足には自信があるからってね」

 

 沖田さんには、ずっと走り続けて来た彼には、簡単なことのはず。

 どちらにいようと危険には違いない。

 1000の鬼と、5人の上位存在。

 ただ小舟さんたちのほうには、強敵が3人。

 どうにか沖田さんに2人を救ってもらえると良いのだけど。

 

 

      ☩

 

 

「マズイな」

 

 これではあまりに不利。

 すでに3対2の図式ではない。

 3対1、いや、それ以下だ。

 コブネは、左手を負傷している。

 右手だけでは限界があるだろう。

 俺も息が上がっていた。さっきから何体もの吸血鬼を倒したのだが、数が減る気配はない。だが、敵は容赦なく間髪入れずに襲い掛かってくる。

 全力で動き続けるピークを越えている。

 もはや動き続けるには、気力しかない。

 

「コブネ、大丈夫か?」

「ああ。まだまだ、だ……」

 

 刀を杖代わりにして立ち上がる。

 崩れかけた左腕を、隠そうともしない。

 呪詛返し。それに賢者の石の力を追加した何かであることは間違いない。敵の杖の頂部に光り輝くそれ。その石こそが、伝説の不老不死の石だろう。


「ここで3人を足止めしておかないといけないんでしょう」

「ああ。命に代えても、それは守る」

「戦いましょう」

 

 刀を。拳を構える。

 だが、我々に敵勢を引き留めておく力がないのは一目瞭然。

 だから、サン・ジェルマンは、斬り裂きジャックにこう指示をした。

 

「お前は猫を追え」


 その言葉を聞くと、ジャックは体を豹のようにしなやかに弾ませて、闇の中へと消えて行った。その後を追いかける余力は、もう残ってはいない。あちらには近藤がいるはずだが、伝説的な殺人鬼に襲われてはひと溜りもないだろう。

 どこに行ったのだ、沖田。

 苦々しく、それを見送るしかない。

 今は、目の前の敵に集中する。

 だが、それゆえに後ろで起きた変事に気づくのが遅れた。

 

「GGyYAAAAaaaaaaaaa!!」

 

 ケモノのような悲鳴。

 何かが起こったことに気づいたのは、俺の前に転がってきたナイフのせいだ。

 まっ白な、ナイフ。

 これは、金属なのかも解らない。

 ただ、それはしっかりと、コンクリートの地面に突き刺さった。

 

「ジャック――?」

 

 それにもっとも大きな反応を示したのは、サン・ジェルマンであった。

 顔から余裕が消え、悲壮感に溢れる。


「何故。なんでこのナイフが?」

「何だと?」

「これは、奴の得物のはずなのに」


 白いナイフは、ジャックの武器であったものらしい。

 だが――

 それが何者かに弾き飛ばされた。

 いや、悲鳴と共に聞こえたということは、それはもう……。

 

「ブラム、小舟。二人とも大丈夫ですか」


 後ろから声がした。

 沖田の声だ。

 驚きのあまり、俺と小舟が振り返る。

 だが、敵も闇から無傷で現れた彼に呆然とするだけだった。

 

「沖田。オマエ、斬り裂きジャックを?」

「え? あれだったんですか?」

「……」

「いえ、襲い掛かって来たのでね。お二人共、まだ無事のようですね」

「フッ、言ってくれる」

 

 これで気合が入る。

 こんなヤツに負けてはいられない。

 俺は、一気に敵の懐に飛び込む。

 速く、速く。

 だが、そんな単純な攻撃が通用するわけもない。

 サン・ジェルマンは、目の前で杖を振るった。掠った手甲は、純銀から純金へと変化する。吸血鬼へ無力な金属へと変貌してしまった。

 これでは拳を放ったところで、意味はない。

 ただの大ぶりの攻撃で、敵に隙を見せるだけだ。

 負けた。

 そう思ったが。

 

「ブラム!!」


 コブネの声と、小さな風切音。

 一瞬にして察知した。

 全力で着き出した拳を、開き、

 コブネから投げられた「剣」を――、

 脆い金という金属でも、軽く刃を掴むくらいできる。


 柄を選んで握るような余裕はない。

 ――薄い白刃を掴む。

 

「届け!」

「――!!!」

 

 刀がサン・ジェルマンの体に、触れる。

 刀を彼の体に、突き立てる。

 灰と化せ。

 

「gyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyYAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」


 サン・ジェルマンの体が、刀傷から爆発するかのように消えて行った。

 まっ白な灰へと変わる。

 勝った。


 俺は瞑目し、彼の魂に十字を切る。

 彼の操られていた体は死んでも、魂だけは救われることを祈る。

 魂を悼み、瞑った目を開く。

 だが、残った1人の姿が見えないことに気づく。

 

「おい! ジル・ド・レは?」

「いつの間に」

 

 沖田も気づいていなかったようだ。

 そこには黒いローブの吸血鬼がいるだけで、鎧の男だけは忽然と姿を消していた。


「逃げた、か」

「俺は、京香たちを追いますが……」

 

「気にしないでいいですよ、私たちの方は」

 

 刀を小舟に返す。

 互いに余力の残量は、もはや微々たるものだ。

 だが、小舟は、戦いのためを考えている。

 

「2人で何とか切り抜けます」


 沖田は、小舟の強い口調に折れ、踵を返して走り出した。

 俺たちは、全力で戦うだけだ。

 腕はなくても、足はある。

 足が……、!

 

「コブネ」

「なんです?」

「これを、使ってしまおうか」

 

 足元にあったのは、サン・ジェルマンの杖。

 朱い賢者の石が嵌った、杖が転がっていた。

 賢者の石とは、金と命の石だ。

 人体も回復できるかもしれない。

 そう思いながら、俺と小舟は石を掴んだ。

 

 

       🈟

 

 

「豊ッ」

 その声が届く前に、彼は屋根の上から飛び掛かって来る吸血鬼を斬り伏せる。

 剣筋が、銀の道となって見えるようだった。

 

「心配しないでください、近藤さん」

「それなら、いいんだが……」

「近藤さんも、気を付けてください」


 分かっている。

 けれど、何かが順調すぎる気がしていた。

 俺もそろそろ脇腹が痛くなっている。

 久しぶりにこんなに長く走った気がする。

 それは後ろの豊も一緒のようで、受験勉強中ゆえの運動不足は避けられなかったのだろう。20代とはいえ、体力はかなり低下しているようだ。

 

「マタさん」

 彼は、俺の方を振り返る。

「さっきの3人のようなのは、何人いるんですか?」

「5人だ」


「5人」と京香は青ざめる「そんなに……」


「錬金術師サン・ジェルマンを含め、

 殺人鬼ジャック、

 騎士ジル・ド・レ、

 提督ナポレオン、

 そして怪僧ラスプーチン。

 どれも西洋では有名な偉人たちだ」


 そんなのに、勝てるのかという不安が過る。

 でも、そんな俺の考えを読んだかのように。


「大丈夫だ。すでに2つの気配が消えたよ。アイツらが頑張ってくれたんだろう」

「そう――ですか」


「ただ、気を付けろ。そのひとつが猛スピードで向かってきている」

「!」

 

 少し、足が鈍る。

 どう考えても、このメンバーでは勝てない。

 守りながら戦うのは、力にもなるが、弱点にもなるからだ。

 守りと攻撃に同時に集中しなければならない分、どちらかが鈍る結果にもなりかねない。だからこそ、ここは慎重に足を運ばなければならない。

 

「京香、ちょっと待っ……」

 慎重に進もうと、声をかけようとした時だ。

「えっ?」


 ちょうど住宅に囲まれた交差点の手前で、足を止めた。

 でも、その瞬間だった。

 京香のすぐ向こうを、黒い刃が通り抜ける。

 

「京香!!」


 彼女は、まだ気づいていない。

 物陰から姿を現した騎士が、二撃目を京香の頭上から振り下そうとする。

 俺は全力で走りだす、刀を突き出しても、距離は足りない。不安や恐怖に足を遅れさせていなければ、届いていたはずなのに。

 豊も、俺の後ろにいる絶体絶命だ。


「豊っ、投げろ」

 

 !

 マタさんが言い放った直後、俺の顔のすぐ横を刀が通り過ぎた。

 ジル・ド・レという彼は、西洋人だ。

 京香と比べても頭1つ分以上も背が高い。

 つまり刀を放り投げても、

 マトが大きい。


「ええ!?」

「!!!!!!」

 

 京香の困惑の声以上に、騎士の方が焦っていた。

 振り上げた腕を掠りかけ、オーバーアクションで横に飛び退いた。

 前転をするように受け身を取り、再び鎧の騎士は立ち上がる。

 だが、そんなアクションをしていては、

 あまりに……

 

「遅い」


 俺でも、刀を首筋に近づけるには十分な隙だった。

 しかし、

 忘れていた。


 ジル・ド・レもまた騎士であることに。

 そして、

 俺は気付いていなかった。

 振り上げていた剣が消えていることに。

 それが、ニヤリと笑った。

 

「……グ」


 腹部に痛みを感じる。

 下を見れば、俺の腹に黒い刀が生えていた。

 それは、刀を持たない騎士の「血」による刀だった。

 

「お父さん!」

「近藤さん!」

 

 何もできない……

 痛みは次第に大きくなる。

 心臓の鼓動と同じようにドクドク痛む。

 でも、俺のできることは、まだある。

 ジルの突き出された拳を、掴む。

 

「京香、行け!」

「――」

 

 泣いているのか。

 でも、今は泣くな。

 

「オマエが、止まれば……勝てないんだぞ」

「でも」

「行け! トシ、頼んだぞ」

 

 

 俺は、コイツを止めるだけだ。

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