参拾壱)山雨欲来風満楼

 


 これを僕は、自分で夢だと理解わかっている。

 もう何度目かの夢だ。




 ホルスト・アウアーは、

 夢を見ていた。




 絶叫。

 家を震わすような、大声。

 僕の父の――大切だった人の――悲鳴だ。

 父は、痛みに床の上でのたうち回っていた。

 その傍らに女が立っている。

 美しい人だ。

 

 僕は、それをクロゼットの隙間から覗き見ている。

 異常事態を察知した父の言いつけ通りに、決してそこから出ることなく、父の傷つけられるさまを覗いていた。父の状態にそれでも心は痛み、今にも飛び出して行きたかったが、あまりの恐怖にそれもできずにいる。父を助けるには、僕は――この時の僕は、あまりに幼すぎた。

 部屋は暖炉の火でゆらゆらと揺れていた。

 オレンジ色の光が、父と女を照らしている。

 父の絶叫の理由は、とても恐ろしく、正視に耐えず、明確だ。


 腕が……。

 腕が、ない。

 もぎ取られていた。

 必死にもう一方の腕を噛みながら、声を殺す。

 

「――」


 父が何かを言うと、女はおもむろにその腕を噛んだ。

 噛んで血を吸い、放り捨てた。

 まるで、ゴミか何かのように。


 すると、千切られた腕は、動き始める。

 手の指が蜘蛛の足のように這いまわり、父のほうへと向かって行った。

 千切れた腕は、自分から傷跡にくっ付いた。


 恐ろしい光景だった。

 異様といってもいい。


 始めは、治ったのかと思ったが、やはり違う。

 僕は、当時より知識として持っていた。

 吸血鬼のこと。

 不死の怪物の、不死である呪い。


 それが引きちぎった腕のほうに、発現した結果だ。

 だが、それで終わりじゃない。

 第2の絶叫。

 不死の毒は、腕から体までを蝕む。


 部屋の中を転げまわり、動かなくなる。

 そんなときに女は、知らない国の言葉で何かを言った。

 そして、消え去った。

 父を置き去りにして。

 取り残された父は、外に飛び出した。

 もうすぐ朝となる外へと飛び出して行って、そのまま朝の光で灰となって死んだ。

 いや、吸血鬼の呪いに侵された時点で、人間としての父は死んでいたのだろう。

 

「父さん!」

 

 僕の絶叫。

 ――夢だ。

 これは夢だ。

 久しぶりの夢だった。

 

 

     ☼

 

 

「父さん」

 自分の声と共に飛び起きた。

 心臓は早鐘を打ち、息も上がっている。

 気持ち悪いほどに汗をかき、髪も服もべとべとだ。

 まだ暗い。

 部屋の中の時計は、午前2時を指している。

 

「どうした、ホルスト?」

「嫌な夢を見たよ、ブラム」


 彼の国での習慣からか、ラテン語で話かけてきた。

 急なことに、僕もラテン語を使う。

 海外出張の多い僕やブラムは、マルチリンガルとは言えないまでも、可能な限りの言語を話せるようにしている。でも、こんな風に急に話しかけられれば、言葉が出てこないこともある。

 ましてや育った国の言葉だ。

 話しやすい。

 

「うなされていたようだが……」

「ああ。昔の夢を見ていたんだよ。問題ないから寝てくれ」

 

 僕は再び横になり、彼も布団を被った。

 しかし、まだ心はざわついて眠ることができない。

 それに布団というもので床の上に寝るのは、やはり慣れていない。

 ホテルをキャンセルしなくても良かったと思うのだが、コブネがあんなに簡単に口車に乗せられるとは、考えてもいなかった。

 はあ。


「チームワークは大切だよな」と犬は言った。


 それに「そうですね」と乗ってしまったコブネは、あれよあれよという間に僕たちが泊まっていたホテルをキャンセルし、近藤家の本当の家という所に泊まることを決めてしまう。僕とブラムが口を挟む余地はなかった。キャンセルしたホテル代は寝具代へと変わり、沖田が使用している近藤家の居間で雑魚寝するというところまで落ちた。

 眠れない。

 そんな日が、もう3日になる。

 恨みの籠った眼で、ブラムとは反対のほうに寝ているコブネを睨むしかない。

 顔を向けると、女のようなカワイイ寝顔にドキリとする。

 怒りよりも、照れが膨らんでしまう。


「ふー」

 ため息とも深呼吸とも取れる深い息を吐いて、また目を瞑る。

 寝ようと考えれば考えるほどに眠れなくなって、もう何度目かの寝返りで、カーテンの向こうが次第に明るくなった。

 僕たちと猫又、犬たちの同盟関係が組まれて今日で4日目。

 すでに吸血鬼たちのアジトの場所は掴んだ。

 乗り込もうと奇襲作戦と提示したが、彼らは首を縦には振らなかった。


 敵の根城を日中に急襲すれば勝てるだろうといったのに。


 だが、否定された。

 何よりも優先すべきは準備だと。

 確かに、昨日届いた武器が行き渡ってないのは事実だが、僕の気持ちは治まらない。

 父の仇を取らせてほしいのに。

 それだけが望みだ。

 そのために日本に来たのに。

 

 

 

 時計は、朝の4時半を指示していた。

 2階から足音が降おりてくる。

 朝稽古へ向かう沖田の足音。

「健全な精神は~」という古臭い精神論・ブシドーのもと、彼は毎日朝早く起きだして素振している。鋭い風切り音と息遣いが家の中まで聞こえてきてうるさい。

 僕とブラムは、夜型だから朝はキツイ。

 コブネは健康的な生活習慣の人だが。

 さすがに、この時間は迷惑だろう。

 

「起きてますか?」

 

 沖田が僕らの部屋を覗いて、静かに聞いてきた。

 起きているわけがない。

 

「寝てるよ」

 僕は答える。

 

「どうです、ホルスト? 稽古でも」

「僕の専門は治療ですし、使うなら飛び道具しか使えません。街中で拳銃と刀で組み手をするわけには行かないでしょ」

「それはそうですね。では」

 

 足音。そして玄関を開ける音がした。

 まだ起き上がるには早すぎる。

 僕の仕事は、治療だ。

 人の傷を治し、体を癒す。

 心霊手術というものを使って。


 その心霊手術とは、刃物を使わず人の内部を切除する秘術を成長させたものだ。

 およそ60年前、1人の男がその術を世に知らしめた。トリックだと批判するものがいたが、それは真実ではない。60年前よりも古くから心霊手術の歴史は、こちらの世界に存在していた。

 それは人の病巣を切除するだけではない医療としての技術だ。

 人の傷を縫い、回復を助けるなどという進歩と発展を続けてきた。

 そして、その中にはボクのように特別な訓練を受けずに力を使えるものもいる。


 その力のせいで親に捨てられもしたが。

 だから、父には感謝してもしきれない。

 

 

      ☼

 

 

 いつの間にか、二度寝していた。

 ブラムに体を揺ゆすられて起こされる。

 時間はすでに12時、今から近藤家の工場のほうに昼ごはんを食べに行くらしい。

 我々は全員軽い朝食くらいなら作れるから(沖田はできなそうだが)、朝はどうにかしたようだが。けれど、昼は戦いの準備も兼かねて近藤の工場で一緒に食べることになったそうだ。僕は寝不足でだるい体を無理に起こし、みんなと共に家を出た。

 京香の家まではまっすぐ向かえば、そこまで離はなれていない。

 とはいえ、起き抜けの体には面倒な距離だ。

 他の3人はしっかりとした足取りで、前を歩いて行く。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

 僕は、彼女に挨拶する。

 近藤家に辿りつき、僕らは居間へと通される。

 京香は、あまりにも普通にしていた。

 普通にご飯を作り、普通に生活し、普通に僕に挨拶をする。

 死んでいるとは微塵も感じない。

 肌にさえ触れなければ、誰も気づかないだろう。


 テーブルに、純和風のご飯が並べられる。

 僕やブラムには、ほとんど馴染みのない和食のメニューだ。

 

「いただきます」


 勝太の挨拶を真似ながら、僕らもその料理を口にした。

 どうやら京香が作ったらしい。

 

「今日は平日だけど……キミ、学校は?」

「もうすぐ夏休みですが、家庭の事情で少し早めに休むと言っています」

「大変だね」

 

 僕は他人事みたいに呟いて、白米を口に運んだ。

 美味しい。

 だが、どうも和食には慣れないってだけで。

 

「まあ、食べながら聞いてくれ」

 自分の猫缶エサを食べきった猫又が声を上げる。

「これからの日程としてだが、ボクともうひとりで残りの武器を配りにいくよ。これは京香でいいかな。それと他のみんなは、訓練と作戦会議ということにしようか」

「マタさん、私は会議に出なくて大丈夫なの?」

 

 小舟が箸を静かに机に置きながら答える。

 

「現在のプランとしては、沖田も君の護衛をしながら、女王のもとに向かう作戦になっています。問題はないでしょう」

「そうなんですか?」

 

 彼女は驚いている。

 ちゃんと説明は、しておくべきでは?

 僕もブラムに急に戦地へ連れて行かれたことがあった。

 気持ちは理解できる。

 

「あと、いつ戦争の火ぶたが切られるか分からないからー」と猫又は、顔を洗っている。「タクシーに乗ってもらったほうが助かるというのが本音だけど」


 武器を配るには、足が必要だということで真司に協力を仰いでいる。

 彼のもとなら、他よりは安全だろうという考えだ。

 神犬がいるのだから。

 

「なら、各自訓練を頼むよ」

 

 猫はそう言って部屋から出て行った。

 

 

      ☼

 

 

 京香と猫又が出掛けると、残された全員が各自訓練に励はげんだ。

 しかし……

 僕は訓練すべきことはない。

 午前中も彼らは稽古をしたのかもしれないが、僕を起こさなかったのは何もすることがないためだろう。みんなを治療するためにいる僕は、負傷した人がいなければ動く必要もない。

 だから、ただその様子を見ていた。


 興味深いのは、勝太の技と動きだ。

 素人の木刀の素振りのはず、なのに。

 その剣筋の鋭さは、素人目にも達人級の腕前と見て取れた。

 数日前までは、ただの工場の経営者で、剣の稽古もしたことのない一般人であったと言っていたのに。その記憶を呼び覚ましただけで、人が変わったようになったらしい。

 

「近藤さん、次は、地稽古でもしましょう」

「おう」

 

 沖田の言葉に応じて、2人で刀を交える勝太。

 稽古とはいえ、真の剣豪との勝負。

 普通ならば着いて行くのがやっとのはず。

 でも、勝太は見事にそれをこなしていく。

 体が覚えている――そんな言葉を聞くことはあるが、まざまざとその言葉の意味を見せつけられるなんて経験はあまりないだろう。今がまさにそれだった。2人の本気に、こちらもビリビリと当てられてしまう。

 

「ブラム」

 

 僕は、黙って筋トレを続ける彼に話かけた。

 腕立て伏せ――いや片腕で逆立ちしながらなので、『伏せ』ではないが。

 

「なんだ?」

 今回は、しっかり日本語だ。

 

「お前もたまにはトレーニングでもどうだ?」

「いや、しないよ。でも、あれを見てくれよ」

「あの親父のことだろ?」


 僕は頷く。

 彼も勝太を見た。

 

「生まれ変わりとは、凄いものだね。僕らの世界には、ないからさ」

「それは、そうだ。うちの神は、そんなことをしない」

「だが、トレーニングもなく、あの動きをするのは素晴らしくないかな」

「羨ましくはないな。あれは、なんというか……つまらない」

 

 そういいながら筋肉を動かし続けるブラムは、いじらしく、そして強い人だ。

 僕の顔に、フッと微笑みが宿ったとき――


 声が、した。


 コブネの、声。

 

 

「危ない!」


 彼は指を指していた。

 後ろ?

 僕の後ろ――気配を一瞬遅れて察知する。

 振り返ると、そこにいたのは金色の髪の女。

 仇敵。

 父の、仇。

 殺す。

 殺す。


 パンツのポケットに適当にツッコんだ拳銃。

 小型の拳銃でも、銀さえ撃てれば、

 こっちのもの

 

「死――」

 

 手が払われる。

 

「――ね」

 

 瞬時に銃を叩き飛ばされた。

 これが吸血鬼の――速度。常人には辿り着けない速さ。

 無防備な体に。

 拳が叩きこまれた。

 痛みを感じる前に、

 僕の意識は――

 ――

 

 

 

     ☽

 

 

 

 気絶したホルストの体を掴つかみ女王は消えた。

 消える前、彼女は言った。

 

「これは、開戦の合図」


 そして、

 もう一つ言葉を残した。

 不思議な言葉を。

 

「鍵は、いただく」

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