弐拾)不器用な父、娘の死に気づきし事3

「ああ」

 とても薄い三日月が出ている。

 夜は天上の薄明かりと地の人工的な光に満ちていた。

 

「『時が来た』」

 

 ようやく待ち望んだ、

 その『時』が。


「150年もかかってしまいましたね。あの人が遠いと言った『時』から」


 沖田はその言葉を噛みしめていた。

 あの日、主宰が語った、その言葉を。


 京香の家の隣、『玉城家』の屋根の上に彼はいた。

 だが、彼女や家の中にいる猫又に会う気はなかった。その運命の変わる時が来るまで静かに待っていようと思ったからだ。待つことには慣れている。

 彼は、もう150年も待ったのだ。

 今次第に運命が動き、大きな波となるのを少しばかり待つことなんて造作もない。

 もう少し、だけ。


 時計の針は、確実に動いている。

 刀を入れたバット入れを肩にかけ、フウと息を吐いた。

 月は、変わらず細く空に輝いている。

 隣の京香の家で、入り口のドアが閉まる音がした。

 その音のほうに目をやれば、京香が外に走って行くのが見える。

 吸血鬼がまだいるという話を、沖田は風の噂で聞いていた。

 追いかけるか……と、腰を上げようと思った時だ。


「ん?」


 そのとき、突然、空が曇った。

 いや、雲にしては影が濃い。


「guuuuuuuuuuuuuu……」


 獣のような声。

 その声に、顔を上げて飛び退く。

 屋根の端から、反対の端へ。

 そこで彼は見た。

 金色の月光の下、黒い影が怪しく佇むのを。

 闇と見間違うような、黒いローブ。

 白い息。

 地の底から響くような声。

 恐ろしい邪気さえ感じる。


「……吸血鬼」

「g……」


 くぐもった声で、静かに鳴いた。

 だが、沖田はその声に違和感を持った。

 吸血鬼が今もなお吐く呼吸も、どこかおかしい。

 耳を研ぎ澄ます。

 そして、ふと気づく。

 

「gArrr――hy――gallrr」


 その唸り声に異音が混まざっている。

 沖田は即座に剣を引き抜いた。

 右手だけで、袈裟がけに斬りかかる。

 一瞬。

 普通ならば躱せないほどの不意打ちだったはずだ。だが、それは――深くローブを斬り裂いたにも関わらず――吸血鬼の体を傷付けることはなかった。

 沖田に手応えはない。


「んん?」


 頭に浮かんだ疑問はすぐに解決した。

 ???:


「OooooooooO――」


 大声と共に、吸血鬼はローブを脱ぎ去る。

 気味の悪いほどに白い上半身が見て取れた。


「左肩が、ない」

「grurrrrlllllll……」


 不気味な声で唸る吸血鬼には、左肩から先が存在していなかった。

 だからこそ、沖田の刀は見事に外れていた。

 この吸血鬼は左の腕や肺のほとんどがまるで存在していない。

 何に傷付けられたのか、白い胸には歯型のような傷がいくつも付いている。

 人の体を噛みちぎるなんて――沖田はその事実に身震いする。

 月明かりに黒く変色した心臓がぬらぬらと光っていた。

 

「オ……キタ、ソウジ」

「どうして、俺の名を?」


 吸血鬼は名を呼ぶ。

 異国の怪物ゆえに、少しイントネーションは奇妙だ。


「答えろ!」


 日本語が通じるとは沖田も思ってはいない。

 だが、彼が知っている他国の言葉は多くない。

 ましてや、外国のものと会話することなど彼にはできなかった。


「Please……Blak……」

「ん?」

「……cat」

「もう黙ってもらいましょうか。分からない言葉で交わす言葉なんて、意味がない」


 刀で再度斬りかかる。

 ここは屋根の上、思い切り踏みこんではこの家の住人に迷惑がかかる。

 そっと、とても軽く飛び込んで、ガードのない左を狙う。

 先ほどとまったく同じ太刀筋ではあるが、さらに鋭く切り込んだ。

 ギン――という音とともに、刀が止まる。

 沖田が刀を引こうとも動かなくなった。


「!?」

 

 沖田は、驚いて切っ先を見る。

 吸血鬼の左腕に刀を掴まれていた。

 なかったはずの左腕は、真っ赤な血で作られている。前に彼らの仲間が腕を、血を、刃物に変えたように、この吸血鬼は左腕を生やしたようだ。金属のような硬さを誇りながら、5本の指が自在に動いている。

 沖田は一度目をつぶり、カッと見開く。


「フ――」


 短く息を吐きながら、重みをかけ、一気に刀を引き抜く。

 風の切る音がして、親指が切り落とされる。

 それは空中で再び液体となり始め、屋根の上に落ちる時にはただの血液に戻っていた。

 びしゃりと屋根の上に落ちて、飛び散る。

 

「……?」

「斬り裂かれたのが信じられないみたいな顔ですね」

「gaaaaaaAAAAAaaaaa」

 

 大声を上げ、襲い掛かる怪物。


「でも、甘いですよ」


 飛び掛かって来る吸血鬼に合わせ、彼も後ろに飛び退く。

 刀で順序良く斬り、解体していく。

 左手首を。

 前腕部を。

 上腕、肩、順に切り裂いていく。

 ぼたぼたと落ちる血液の塊。

 だが、すでにその吸血鬼は今にも死にそうな状態であった。


 血を必死にかき集め、体に戻そうとする。

 しかし、ここは屋根だ。

 傾斜のせいで血は吸血鬼から遠くに流れ、離れすぎた血は煙となって消失してしまう。

 彼の支配域から遠く外れすぎたのだろう。


「gggahy――」


 沖田が敵の攻撃を無力化し、腕を斬り落としただけで吸血鬼は屋根に倒れてしまった。


「どうしたんだ?」

「……」

 

 ゆっくりと冷たい四肢が崩れる。

 肉が溶け、筋肉が腐り、骨が崩壊していく。

 最期には、すべてが灰となって消えた。

 

「何が起こっているでしょう?」

 いや、違うと頭を振る。

「いったい誰が……」


 沖田と相対す前に、左肩を噛みちぎった者がいる。

 それは、たぶん時が動いた証だ。

 

「いや、それよりも追いかけないと」


 屋根から飛び、京香を追う。

 獣の遠吠えが聞こえた気がした。



   □□□



「いや、これってさ」


 道の上で、私とマタさんは話をしていた。

 明かりの灯っていない家。

 その前の道は少し薄暗い。

 人と猫が話をしている姿は、怪しく見えるが、そもそも見つかりはしないだろう。

 

 沖田さんが戦っていた頃――

 私は絶賛家出中だった。


 家出というか、もう戻る気はない。

 戻る場所もなくなるらしいし……。

 家を売るとあの父親は言った。

 寂しいのに、

 悲しいのに、

 どこか心が軽くて、

 それを見なくて済むと思えば救われたようにさえ思えてしまう。


 ホントに正しいことなのかは、分からないけれど。

 私は、この町を出る。

 けれど、その前に財布とケータイは欲しい。

 怒りに任せて飛び出したせいで、家に忘れてきていた。

 そこに「置いてくな」とマタさんが現れ、自分が使っていたという一夜の宿を教えてくれたのだが……ここって、

 

「私の家じゃん!」

「ええっ?! だって、家ってあっちだろ?」

「あっちは、お父さんが工場の方に住めるようにしただけで……。まあ、たしかに言ってはいなかったけど。こっちが本当の家なんだよ。お母さんが死んでから一度も帰ってなかったから。でも、なんでマタさんは入ったの?」

「ああ……そうだ。どっかで見たと思ったら」

「うん?」

「似てなさすぎるよね。京香と父親」

 

 話が飛ぶなあ。

 

「私は、お母さん似なの。背だって、あんなに高くないし」

「最初から知ってたら、アレだったんだけどな。まさか――」

「え?何があったの?」


 マタさんは目を逸らす。

 しかし、確実に何かあったんだろうな。


「普通に鍵とかかかってたと思うけど。開けたの?」

「違うんだって。これは深いわけがあってな」

「……」

「怖い怖い……睨むなよ。ほら、毎回、沖田から逃げるときには、空き家に隠れたりするんだが、ここが良いなって思って、入る場所を探してたんだけど。少し前にオマエの父親が、まあ、その時は知らなかったけど――ちょうどこっちに来てて家の中を掃除してたんだよ」

「ウソ」

「いやいや、嘘じゃないって。で、そのときにこっそりと入り口から入って、2階の隅の部屋に隠れてたんだ」

「それ私の部屋じゃんっ!」

「ああ、まあ、京香の匂いに似てるなあと思ってたけど。雰囲気も……そう言えばそうかな。で、オマエの父親が帰った後、その窓から出入りして、仮のアジトにしてたんだ。まだ電気は通ってるみたいだし。冷蔵庫もあったし」

「何をしてたのよ」

「いろんなとこから食料を集めてきて、ここで食べたりとか?」

「ドロボーだ!!?」

「京香の家に行くまでに、結構お世話になりました。まあ、入れよ。入り口を開けてやるからさ」

「いや、私のウチだし」


 それに。

 いや、そんなことよりも。

 ここに帰ることが、少し気が重い。

 

「……やだ」

「ん?」

 

 すでにウチの家の塀に乗っているマタさん。

 そのまま、屋根に飛び乗って開いているという窓に向かう気だったのだろう。

 しかし、やはり私は怖い。

 家に帰るのは、まだ――


「まだ、入りたくないな」

「そうか?」

 

 マタさんも、気を使ったのかな。

 ピョンと私の足元に降りてきて、首を足に擦りつけた。

 

「まあ、なら、どこか行くか。付き合ってやるよ」

「ありがと」

 

 2人で少し散歩することにした。

 マタさんには、とても救われている。

 街の方まで来た。

 とはいえ、時間ももう遅い。

 警官にでも見つかれば補導は免れないだろう。

 家に帰らざるを得ないか。

 それともどうにか一晩を外で凌ぐか。

 悩みどころだ。


「なあ、キョーカ」

「ん?」


 マタさんは、こっちを向かず歩きながら言った。

 

「怒ってる?」

「何を?」

「ん、オマエを殺したこと」

「正直分からないよ。でも、怒っているわけじゃないんだ。なんか、悲しい感じかな。マタさんにじゃなく、自分自身に悲しいと思ってる」

「悲しい?」

「普通に生きて来た人生を捨てて、一生死なない別の人生を生きるのが悲しいの。それって今までの16年間を丸ごと捨てるわけだし。16年ていう時間は、マタさんには、そこまで大したことはないかもしれないけど」

「すべてだもんな」

「そう。1000年のうちの16年じゃない。私にとっては、16分の16なんだ。沖田さんだって、24分の24だろうし。それを捨てて、永遠を生きるのはやっぱり辛いよ」

 

 マタさんは、何も言わずに歩いていた。

 2人でただやみ雲に。

 私は、不安になって口を開く。

 

「吸血鬼は、いないよね?」

「分かんないぞ。アイツは――ホント何してくるか」

「マタさんは、知り合いなんだよね。吸血鬼と」

「でもな。今、日本に来てるのは下っ端の下っ端だよ。ただの人間に噛み付いて作ったしもべ。本当に厄介なのは、もっと上にいるヤツ。王とその直下の奴らの方だよ。あの王は、女王サマは、少し蒐集家みたいなところがあってね」

「マタさんのことも、コレクションにしたいってこと?」

「いや、たぶん違うかな。俺なんかいても意味ないだろ?」

「猫好きとか?」

「それはないよ。たぶん何かに利用する気だと思う」

「何に?」

「それは、まあ、分からないけど」

「うーん。大変だね」

 

 ふと思い浮かんだことを、マタさんにぶつけてみる。

 

「ねえ、マタさんもなんで、沖田さんといつもいるの?」

「ん?追いかけられるから」

「でも、ああ、やって、普通に2人でいたりするし、逃げるだけならどこかの飼い猫になればいい。それなのに、なんで?」

「それは、僕にも目的があるからね」

「目的……」

「どんな?って聞きたそうな顔だね。でも、話すと長くなるよ。歩きながらやってたらどこに行くのか分からない。だとしたら、大変だろ?」


 そう言って言葉を切った。

 まだまだ夜は長い。

 しかし、当てもなく歩き続けるのも辛い。

 アジトっていいなと思いながら、私の足は急に止まった。

 そこは私の「嫌な」思い出の場所だった。

 

「ここって」


 3階の、あの部屋の窓だけが開いて、蛍光灯の光が漏れている。

 2年前、母と最期の別れをした病院の前だった。

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