弐拾漆)鬼、海の外より来たりし事4

 吸血鬼は飛び去って行った。

 驚くべき速さと異常な跳躍力で、西の空へと飛んだ。

 その速さに目は着いて行かなかったが、微かな風切音がそちらから聞こえてきた。

 

 みなごろし――皆殺し。

 たぶん彼女は、マタさんを奪うために、私たちのみんなを滅ぼす気なんだろう。

 みんな――それはこの町という単位ではなく、人類全部という単位で。

 彼女ならそれを壊せる力がありそうだった。

 あまりに圧倒的な力が。

 

「……大丈夫?」


 気の抜けた私に、玉城たまきゆたかさんが言った。

 少し控えめで、オドオドとした声としぐさ。

 私はそれに答えようとする。

 ボロボロの私の体は、ゆっくりと治ってきている。問題ない。声も出る。

 確認できるような大きな傷がないのが救いだった。

 それが治る様子を見られたら、誤魔化しようがない。

 

「大丈夫です、うまく受け身が取れたんで」

「そ、……そう? そうなんだ……」

「それにしても、その格好は?」

 

 髪はぼさぼさで、学生服を着ている。

 顔には、グルグルの模様の付いた眼鏡。

 もともと目は悪いらしいけど、そんな眼鏡では正しく見えないだろうけど。

 コスプレ?

 意味が分からない。

 豊さんは、ここ3年ほど浪人している。

 勉強のしすぎだろうか。

 だが、彼は成績が悪いわけではないようだ。毎回模試ではトップクラスの成績を叩き出しながら、現役の時そして2年目と試験の日に交通事故に遭っている。そして、今年の試験の日には、試験会場で火災が発生し唯一の負傷者となった。

 あまりに不運だ。

 それも恐ろしいくらいに。

 

「少し、ね……カタチから入ろうかと思って」

「今更な気が……」

「お、おおぅ……」

「というか、それってなんですか?」

 

 そう言うと、彼は固まった。

 

「え?」

「何かのモノマネなんですか?」

「し、知らないの。超有名漫画家のかなりメジャーなキャラなんだけど……。ジェネレーションギャップというやつかな。怖い……」

「そんなに?!」

 

 勝手にダメージを追い、膝から崩れ落ちた豊さん。

 今日は饒舌だ。

 人見知り気味だと思ってたんだけど。

 というか、そんなことをしてる場合ではないと思う……こんな状況では。

 ここから、私の家が見える。

 それは、この部屋の窓からではもちろんない。

 私が吸血鬼に攻撃をされ(あまりの速さに何のかは分からなかったが)、この部屋まで飛ばされたときに空いた穴。私の体によって空けられた大穴。私がぶつかった衝撃は、とんでもない物だったのだろう。

 2メートルほどの大きな穴が開いている。

 かなりの重大事件だよね。

 

「豊さん、それどころじゃないですよ」

「あ、あ……そうだね。一体何があったの?」

「話すと長くなるんですが……とりあえずうちの方に。あと、この穴なんですが」

「うちの両親は、学会の発表だかで、キホン家にいないから……あとで自分で塞ぐよ」

 

 彼の両親は、有名な学者だ。

 かなりの頻度で家にいない。

 幸運なことだ。これならば、一気に大事になることはないのかもしれない。

 

「でも、修理の相談とかもあると思うので。まずは、ウチの方へ」

「分かった」

「あの、サンダル貸してください」

 

 わが家に着くと、すでに父と沖田さんは起きていた。

 居間のテーブルに並んで座っている。

 少しだけ二人とも寝癖が付いているのは、さっきまでしっかり眠っていたからだろう。かなりお酒も飲んでたからな。あの大きな音ですっかり起こされたみたいだ。

 

「大丈夫だったか!」


 父が私の顔を見ると、大きな声を上げた。

 心配性すぎるよ。

 私も居間に入り、座る。

 居間に入る前に、廊下の奥にマタさんがいるのが見えた。

 彼の眼がきらりと光る。

 でも、その目は私を通り抜けて、隣の彼を見ていたように感じた。

 

「大丈夫だから、落ち着いて」

「でも――」

 

 そんな子どものようなことを言う。

 

「ほら、豊さんも来ているんだから」

「こ、こんばんは。お邪魔します……」

「ああ、こんばんは―――」父もおかしな格好に触れる「なんですか、それ?」

「まあ、ご覧のとおりですね」

「あれですか」

 

 父親には分かったようだ。

 有名マンガのキャラだっけ?

 そんなに古いモノ? 後で調べよう。

 

「でも、いくら浪人生といっても」

「カタチから拘ろうかと」

 

 父は軽く笑って、座布団を差し出した。

 そんなリアクションしかできないだろうけど。

 21歳で学生服姿だからね。

 さすがに普段着に学生服ってどうなのか。どう見ても変な人だ。

 そんな豊さんは、父の差し出した座布団に、テーブルを挟んで座る。

 

「さっそく本題に入りますが、えー、とりあえず玉城さんの家の修繕費はこちらで何とかさせてもらいます。なので、あまり事を荒立てたくないんですよ」

「どういうことです?」

「まあ――なんと言いますか……」

 

 父が言いよどむ。

 それは確かに、吸血鬼に襲われた娘が飛ばされて御宅に穴をあけたので、とは言えないよね。言い訳に困るからこそ、「ただ修繕費を受け取ってくれ」と言った方が楽に決まっている。

 でも、「事を荒立てたくない」は失敗だった。

 豊さんに詰め寄られ父が困っていると、マタさんが部屋の中に入ってきた。

 入って来て、ひとしきりウロウロする。

 そしてまたスンスンする。

 

「猫、飼ってるんですか?」

「ええ、まあ」

 

 父もハッキリとしない返事になった。

 わが家には、言えない秘密というものが多すぎる。

 そして、そのひとつが様々なことにリンクしていて、ひとつたりとも秘密を明らかにはできない。特にマタさんを中心とした、私と沖田さんの秘密は――。

 もっとも、信じてもらえないだろうけど。

 

「えー……、なんとか応急処置はするので――」

「おい!」

 

 マタさんが話に割り込む。

 

「ちょっと、マタさん!!」

「大丈夫だよ」

「何が!?」

 

 豊さんは、目を丸くして固まっていた。

 猫だと思っていたものが喋ったんだから、しょうがないけど。

 

「猫……」と小さく呟いただけだ。

「リアクションが薄いな、オマエ」

「な……、何んですかっ?」

「まあ、良い。聞いてくれ。さっきはすまなかったな。俺を狙ってやって来た怪物が迷惑をかけてしまった。で、だ。オマエも協力してくれないか?」

「協力?」

 

 沖田さんもマタさんの方を見た。

 豊さんも口をポカンと開けたまま、「怪物?」「協力?」「猫?」と小さく呟いている。

 

「オマエは何を言っているんです? 普通の人に」

「まあ、聞けよ、沖田。はっきり言って、戦力はオマエだけでは足りないだろ?」

「……」

「決して、オマエが弱いとかではない。あの女王と5人の直属の部下たちに、一人で戦いを挑むのは自殺行為以外の何物でもないって言ってるんだ。今のところ戦える力は、お前にしかないが……」

「で、どうするって言うんですか?」

「ここに3人の戦士がいる。それぞれ武器を持って戦えばいい」

「3人?」

 

 沖田さんで、1人。

 で、他にはと考えれば……

 

「俺も数に入ってるのか?」

「お父さん?!」

「しょうがないよな。近藤勇の生まれ変わりなんぞと言われたら」

「でも、もし危ないことになったら?」

「大丈夫だ」

 

 父は私を安心させるように微笑んだ。

 これで2人。

 少し不安だけど。

 

「もう一人は?」

「ここに、いる。もちろん京香じゃなくね」


 マタさんは、2本の尻尾を彼に向ける。

 玉城豊さんに。

 

「豊さんが?」

 

 私は、なんというべきか分からない。

 

「僕が、もう1人の戦力?」

「そうだ」

 

 マタさんは、神妙な顔になって言う。

 

「前にも言ったはずだ。生まれ変わりはこの街に何人かいるはずだって」

「言ってたけど……。もしかして」

「そう、コイツだよ」

 

 マタさんは、豊さんを睨む。

 顔を近づけて、しっかりと確かめる。

 当の豊さんは、混乱しているような、よく分からない顔をしている。

 猫が喋って、戦いだのなんだのと言われたらそうなのかもしれないけど。

 

「この感じは、直接見たから分かる。ボクも目の前で死を見届けた。あの北の地で」

「北?」

 

 マタさんの言葉に、沖田さんが反応する。

 

「そう、五稜郭の戦いでね――

 土方ひじかた歳三としぞう

 

 全員が固まった。

 一番変な顔になっていたのは、沖田さんだった。

 ここで土方の名前が出るとは思ってもみなかったのだろう。

 

「あの、みなさん、何を言っているんですか? 喋る猫や、僕が土方なんて、何の冗談です?……おかしいんですか?」

「豊さん」

「これで失礼します。修繕費も結構です」

「ちょっと豊君……」

 

 父が止めようとするのも聞かず、彼は立ち上がって居間を出て行く。

 

「バカらしい」

 

 最後に振り返って言う。

 

「僕は、戦うなんて嫌です」


 残された方には、返す言葉がなかった。

 確かに、信じてもらうしか解決の方法はない。

 豊さんは、学者の息子だ。普通なら荒唐無稽と思われても仕方ない話なんだから、信じてもらうのは難しいだろう。だったら、私たちは、何とか説得するという力技しかない。

 だが、とりあえずは話を戻す。

 吸血鬼と戦うしかないという現実。

 

「猫又、オマエが吸血鬼のもとに行けばいいんじゃないのか?」

「ばか」

「なん――」

 

 マタさんは、手を突き出す。

 止まれと言うように。

 

「京香のことを羽虫と言って、蹴り飛ばした女だよ。ボクが素直に出頭したとこで、怒りが収まるとは信じられない。アイツは、この世の全てを滅ぼせるくらいの力があるんだから。そんなのに手を貸すのも願い下げだよ」

「せめて、目的が分かれば手の打ちようはあるんですが」

「でも、それが分からないから、どうしようもないだろ?」

 

「戦うしかない――」と父が腕を組む。「そういうことですか」

 

 ただそうすると問題が残る。

 ここには、3人の人間と猫又だけ。

 

「マタさん、豊さんが来たとしてだよ。あの吸血鬼たちとどう戦うの?」

「戦えないわけではないよ。あんな怪物やボクのような妖怪がいることは、裏の世界では周知の事実なんだよ。だからこそ、戦う方法は確立されている。道具さえそろえば、普通の人間にも戦えないことはない」

「そうなの?」


 でも――。

 マタさんは、しょんぼりと小さくなる。

 

「頭数の問題と費用の面、両方でネックになることは多い」

「数は何とかするとして、費用というのは?」

 

 ここで費用を工面することになるだろう父が言う。

 

「吸血鬼の倒し方は、祓うこと・杭・銀・聖水なんかが代表的なんだけどさ。ボクらにも手軽に扱えて、効果的なのは銀だ。銀の弾丸や銀の剣、そんなのがあれば良いんだけど……」

「うちの工場で金属加工はできるが……銀そのものの値段ですね」

「そこなんだよ」

 

 銀は、大量にとなるとかなりの値段になる。

 刀を作るとなれば、その量は――家計を圧迫するどころの話ではない。

 世界のためとはいえ、一家庭が負担するのは辛い。

 悩みは尽きない。

 これは、私たちの家の問題だけど。

 私たちで背負うしかない問題なのか。

 ちょっとだけ、そう思ってしまったんだけど。口には出さなかった。

 

 

      ☽

 

 

「猫」

 

「猫」

 

「猫」

 

「猫!!」

 

 カーミラは、港の船に戻っていた。

 一度領海に侵入できれば、あとは港の漁船に紛れ込むことも容易い。

 だが、他の4隻は、まだ現れない。

 部下たちは、彼女よりも能力が圧倒的に劣る。

 仕方のないことなだが。

 

「く――」


 彼女は唇を噛む。

 鋭い牙の触れた所から黒い血が垂れる。

 怒りは治まらない。

 ただ、まっすぐに夫の顔を見ていた。

 

「必ずや、目覚めさせて差し上げます、我が王」


 そのとき彼女の目は、無意識に上を見た。

 何かを感じたのだ。

 それは強烈な力の気配――彼女たちの敵となり得る者たちが、この日本を訪れた気配だった。

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