第2話  突然の訪問者

 胸を張って、腕を振って、元気よくすたすたと前を歩く、時折り振り返っては、にっこりと微笑むりゅうのその表情には自信が満ち溢れている。


 父、童玄どうげんを尊敬し、いつも、褒められたいそんな思いから、隆は五歳でありながら、学ぶ事を怠らない。


 童玄が目を覚ましたと同時に目を覚まし、朝食ができるまでの時間も森へ駆け出でて、学ぶべきことを模索している。


 隆が草原の小径こみちを歩けば、草花がゆらりゆらり、それは不思議なほど足並み揃えるよに演舞えんぶし、


 木漏こもれ日の森を歩けば、木々が音を奏でるように、ざわざわと揺らぎだす。


 童玄はそこに棲みつく御霊みたまほのおを感じる。

無風だのに……揺れている。感慨かんがい深げに木々を見上げた。


 見渡す限り木々が生い茂り、誰の侵入も許さない聖域の森、それをこの子は平然と踏み入り歓迎されている。


 相変わらず自然を味方につける子供なのだと頼もしく思い、小さな背中を見つめた。


『そういえば、私も隆と変わらぬ歳間としまでここにきたのでしたね』


 自分の幼き時を重ねた。


※※※※※


 聖域の森、ダグラナは童玄どうげんの父の信仰領域であったが、その長子の春絽しゅんろんが不祥事を起こし龍神であり龍王でもあるバイロンの怒りをかった。

 龍王バイロンは問答無用に春絽を追放し、春絽が何処へ行ってしまったのか、父親の泰安たいあんは心を痛め嘆いた。


 龍王バイロンに「どうかこの子たちだけでもなんとか恩情を持って頂けたら」と心から訴えたも、聞き入れてもらえなかったが、しかし最後の別れをする事だけは許された。


「すまないね。童玄、父さんのせいで、幼いお前にこんな試練を与えてしまった。本当に申し訳ない。修行を積み、父さんと意思が通ずる事ができるようになることを私は待っています」


 泰安はこの短い時の中では、全ての思いを伝えることができない。強く抱き締める事でしか失望感に耐える事ができなかった。


 童玄は奥歯を噛み締めた。ぐっと堪えていた想いが溢れて、涙となった。泰安の姿は色が褪せるように静かに消えてしまう。


「父さん……」


 童玄は不意に後方に振り向いた瞬間、ふわりと身体が宙に舞い、なにもない世界に浮遊していた。


「ここはどこ?」


 辺りを見渡しても何もない無色無臭の無空間だ。すると、


「このダグラナの森はお前に託す、父と兄の罪をお前がその身を持って償い、私が求める村を人を創造してみよ。この先、私はお前たち家族を許す事はできぬだろう。しかし、其方の心次第では私の怒りも鎮める事ができるかもしれぬ。よいか童玄、私の思う世界を創ってみせよ。さすれば、お前たちの未来も築かせてやる」


 龍王バイロンの声だけが響く、童玄は気づくとダグラナ森の門番セコイアスギの間にひとり佇んでいた。


※※※※※


「みんな!父さんを連れてきたよ。僕の父さん!みんな知ってると思うけど」


 童玄は隆の声で我にかえった。


 隆は大きな声を張り上げて自慢の父親を森の木々に紹介して声をかけていく、そしてまた、振り向いて、嬉しそうに、きりりと口角を上げた。


 森の中は静寂に包まれている。神秘の森は清らかで美しく、侵されることなく聖域としてそこに存在る。


 ダクラナの地より湧き出でる原生水により、自然と造られ情趣あふれる形状をし、石がその趣を一層増す。石によって流水は音を奏でるそれがせせらぎ、小川は長閑村に向かって流れ、民に田園に農作物に潤いを与えてくれる。


 その小川に架かる橋を渡り、少しばかり小川に沿って歩くと隆がいきなり立ち止まった。


「父さん、ほら!あそこです」


 と指を指し示す先には、隆のいう、真っ赤な人間が倒れている。童玄の顔を見上げ、ほらね!という表情をして頷くと、二人は共に走った。童玄はうつ伏せに倒れている男の横に膝をつき、顔を覗き込む、唇は青くくすみ、右手は小川の中に浸かっていた。


 童玄は頸動けいどうに指を当て脈を取る。微かに脈を打っている。生きている。微かだが息はしているようだ。しかしひどいあり様だと童玄は心を痛める。右手を水の中から掬い上げ地にゆっくりと置き、さりげなく傷口を確認した。


「ねっ!父さん!父さんみたいな。まっかな人間でしょ」


「そうですね……」


 隆の言う通り、確かに真っ赤な大柄な男が倒れている。童玄と同じくらい背の高い男だ。しかしその色は本人の血液のようで大量に出血し、着ている衣服が真っ赤に染まっているのだ。尚も傷口から出血をしているようだ。


 それに、その身に付けている衣服は、童玄の知る限り他国の物と相違無い。


 このまま連れて帰るのは不可能だろう。

そしてこの状態では助けられないかも知れぬと困惑する。


 思わず童玄は周りを見渡した。どこでこんなひどい目に遭わされたのか、どうやってここに辿り着いたのか、いろんな思いが一気に駆け巡る。


 こんな惨たらしいことをやってのけるあぶれ者などはこの村にはいない、他国でやられ、逃げて来たことに間違いないのだ。となると、もしかしたら……。童玄は警戒し辺りを見回してみた。


 不審者の気配は感じらない。


 しかし、この森のどこかに、この男をむごい姿にしたやからが身を潜めているかも知れぬと思うと隆がここにいる事は懸念せざるおえなくなる。


 いつその輩が現れるかもしれないと思うと、少しばかりの時も隆をここに置いていくことはできないと思った。


 この男を村に連れて戻るには、担架と数人の男手が必要になる。童玄は考えた。隆をここから遠ざけたい。自分ひとりなら何とでもなる。


「隆、今から、父さんが言う事を覚えられるかな?」


「はい!父さん、ぼく、父さんの言うこと、おぼえます」


「では、隆、そう先生に怪我人がいる事、担架と男手がいる事、ちゃんと言えるかな」


「たんかってなに?」


「ベッドみたいなものだよ」


「おとこでってなに?」


「この男の人を担架に乗せて、曹先生の診療所に連れて帰りたいんだ。治療しないと、死んでしまうからだよ。この人を運ぶおじさんたちが必要だから、先生と一緒に呼んできてくれないか」


「はい!父さん!ぼく、ベッドとおじさんたちをもってきます」


 少々言葉が違ったのだけれど、童玄は微笑んで、優しく頭を撫でてやった。


 隆は頭を撫でられ、照れ臭そうにはにかんだ。そして元気よく走って行き、橋の所で一度、振り返って笑顔で童玄に大きく手を振って、また懸命に走って行った。


 このまま曹がここへ来て、治療を施す事を待っているだけでは、この男の命はこと尽きてしまうだろう。


 このまま、手をこまねいていても仕方がない。手遅れになってしまう前になんとかしなくては……。ここに辿り着いた事が、そもそもこの男にはこの先へ繋がる言霊あるからだろう。確か、この近くに薬草があったはずだ。


 童玄は迷う事なく薬草のある場所へ、そこへ向かって歩き出した。


「何年ぶりだろうか、この森へ来たのは」


 来なかったのは、来る必要がなくなったからである。


 ここ、ダグラナの森の主は龍神龍王バイロンである。龍王バイロンに許されている者だけがこの森に入山する事を認められ。他の者達は決してあの門番セコイアスギの境界を越えることはできない。


 曹が医者として診療所を開所するに至るまで童玄がこの村の医者をしていた。薬草になる草木の知識を持っていた事で、皆の具合の悪い時など薬草を調合していたのだ。いつの日も、誰からも頼れる童玄である。


「あの頃は、皆のために、よくここに薬草を探しに来ていたものだ」


 童玄は龍王バイロンの仰せの通り、この村を作り、民になる者を探し、住まわせ、田畑を作る方法を教え、村人全員で住処を建造し、家族を作らせ、幸せに過ごさせている。


 これは、全て、童玄が成した事であり、村人は童玄を神とたたええ、全ての者に慕われているのはいうまでもない。しかしながら、龍王バイロンの褒めの言葉は未だにない。


 神の如くたてまつられる童玄は、それを肯定も否定もしない。時に己が神であるかの如く未来が見えた。それは宿命が故、ひとり孤独と向き合い得た力である。


 童玄は長い年月、龍王バイロンに赦しを乞うべき修行をしてきた。家族が共に暮らせる事を願いながら、しかし怜と結ばれ隆を得た時、この長閑村が永遠である事を願い、人として生きる道を選びたいと思うようになった。


 その想いは、既に龍王バイロンには見通されているのだろうと思っている。だから今もって、「ゆるす」証が得られない。


 今はこの平穏な長閑村の民達や怜と隆と幸せに暮らしていたい。それを心の奥底で強く望んでいる。


「これは延命の藻薬もそう、これを湿布すれば傷口は直ぐに塞がるだろう」


 地に跪き、森に手を合わせ、感謝を宣べる。


「お久しぶりでございます。龍神龍王様、この藻草を少々頂いて参ります。どうか、あの怪我人たる者をお救いください」


 深く深く頭を下げた後、祠のある天宮を見上げた。


 童玄は男のところに戻り上向きに寝かせた。顔を見た途端、この男は誰だ?と眉を顰める。何処かで会ったことがあるそんな気がする。だが、何処で会ったのかはっきりと思い出せない。


 男の身体には幾つもの切傷があり、殺傷も三箇所見られた。藻薬を揉み解し、樹液を出し刺創箇所に貼り付ける。


 男の身体に触れた途端、童玄の身体に男の記憶が流れ込む。森の木々が大きく揺れ、風がくるくると渦を巻きながら吹き抜けていく。肌を刺すような冷気が漂い、淡い霞が二人を包み込んだ。


 然りに気になるのは、我が身に伝わるこの痛み、この痛みは男の心痛なのか、なにやら予感めいたものが脳裏を駆け巡り、童玄に自然と涙が流れた。


 不吉な予感など受け入れたくないものだ。

童玄はグッと目を閉じため息をつく。


 これは遥か、いにしえの時代より導かれし

運命の出逢い、巡り合うべきして巡り合う。

時代を超え、次元を超え、今こうして再び遭遇する。身体が震えだし、呼吸が止まりそうで、童玄は拳を握りしめた。


 乱れた気を収めようと努める。そうしなければ息もできない。童玄はゆっくりと息を吐いて、吸った。男の顔をまじまじともう一度みた。


『貴方は誰なのか……』


 そして木々の間から見える空を見上げ、

受け入れ難い未来が、直ぐそこまで近づいている事を心に留めた。


 目を閉じて、ゆっくりと息を吐く、この幸せを壊さないでください。そう願う。けれど童玄は回避することなどできない事は知っている。


 この男が、ここ長閑村に来た理由は、


 由々しき事態の序開である。

       



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