第35話 沈みゆく二人
「駿さん、僕、川の中に入ります。僕は大丈夫です」
「隆たんよ!水の流れが激しくなるってどういう事か知らねえだろ。ただでさせ、この小川は広くて流れも早い、長閑村の小川とは違うんだ。同じような川に見えても違うんだ。流れる水を甘く見るんじゃねえ!危ねえんだぞ、隆たん、俺の言ってる事わかるよな。入ること自体危険なんだ。絶対に入っちゃいけねえ」
「それなら、駿さんはどうやってこっちに来れるのですか?僕がやらなきゃ、駿さんはそっちからこっちに来れないんですよ」
「ああ、そうだな。そうなったら仕方ねえ、このまま死ぬまでこっちで生きるしかねえ、時々、隆たんにがそこにきて話し相手になってくれたらそれでいいよ。隆たんに危険なことなんてさせられねえ。隆たんに何かあったら童玄や怜が悲しむぞ」
「父さんと母さんが悲しむ……」
「そうだ。
説得する駿太郎の言葉を聞き入れようとしない隆の頑な心が見える。駿太郎は焦りを感じた。
「隆たん、俺の言ってる事わかるよな。俺のいう事を聞かねえ奴は子分じゃあねえからな」
隆は口を閉ざし駿太郎を黙って見つめる。
「隆たん、隆!俺の話を聞いてるのか!」
駿太郎の声にも耳を傾けない隆をユウは逆さまのまま顔を見上げ、哀しげな顔を見て声をかけた。
「隆たん?隆たん、駿太郎が怒ってるよ。返事しないと、駿太郎また怒るよ。隆……『隆よ。行きなさい』」
ユウの口からと銀月梠の声が聞こえてきた。
「おじさん?」
「『隆、自分の心を信じるのだ』ねえ、隆たん」
「おじさん……」
「僕、おじさんじゃあないよ。ユウだよ」
隆はユウの目を凝視したままぴくりとも動かない。
「隆たん?」
銀月梠は常に自分の心を信じるように促す。幼い隆には至難の業であることはいうまでもない。
一冊の絵本を読み解き、数日、銀月梠と過ごしただけの五歳の幼児にすぎず、無理難題を押し付けている事には変わりない、
銀月梠が七つの時から見聞してきた事を思い出せば、二歳の差など大差は無いと判断し無謀であるとも思いもしない。
たとえそこが
この幼き隆は時を越える申し子なのだ。
童玄はどのような事があろうとも我が痛みや苦しみを心の奥底に抑え込み、
怜の心を労わる策のひとつに記憶の抹殺を為した事さえある。身を削る思いであった事はいうまでもない。銀月梠の心にまで伝わるこの以心伝心は隆にも引き継がれている血統である。
隆はゆっくりと小川に向かって歩き出した。
「隆たんなにするの?」
ユウの声はどうにも隆の心に届かぬようだ。無心の境地にいる隆はすでに覚醒の
「隆たん!駄目だよ!小川に入ったら駄目!」
ユウはめいいっぱい力の限り、隆の指先を広げて逃れられた。すぐ様、隆の袖を掴んで引き留めようと懸命に引っ張るがびくともしない。
「お願い!隆たんやめて!」
ユウの叫ぶ声に駿太郎は、
「なにやってんだ!隆たん!やめねえか!」
駿太郎は目を向いて大声で叫んでも隆は小川の中に足を踏み入れた。
「隆たん!隆たん!隆たん!やめてー」
小川の流れが急激に早くなり川の水は唸りを上げて激しく音をたてながら隆に向かって流れてくる。ユウは必死に隆の服を引っ張るも容赦なく龍王バイロンの涙は隆を飲み込んでしまった。
「駿太郎!」
ユウは首から下が水中に沈んだ。
「駿太郎!」
ユウも隆と共に水に吸い込まれて行く、ユウは必死に水面から顔を出し叫んだ。
「駿太郎も!駿太郎も小川に飛び込んで!」
隆とユウは水中に沈んでいった。
「隆!」
駿太郎は
駿太郎は水中で隆を探す。足先を揺らし底へ底へと
『隆たん、どこだ。どこにいる。おい!妖精どこだ!返事してくれ!』
水中を魚のように華麗に泳ぐ姿は龍の如く清らかで美しい。
『駿太郎』
あちこち見渡し隆を探す。
『おめえ誰だ!今、忙しい!話しかけるんじゃねえ』
『隆を救え』
『救えだと、救えったって、どこにいるのかわからねえ!隆たんが見えねえんだよ!』
『駿さん』
『童玄……か?隆たんが流された。俺の周りにはいねえんだ』
『銀月梠、私は今眠りの中である故、隆の場所がわからぬ、駿さんを導いてください』
銀月梠は書物室のソファに座ったまま目を閉じて気を集中させていると精把乱は静かにそっと器に盛った抹香に火をつける。
ふわりと立ち上がる煙は銀月梠に吸い寄せられるように身体を取り巻いた。
気を鎮め集中する際の技法に欠かせない抹香は銀月梠の身姿が変化する。
銀色の
『そこから西方向に進め』
『西方向ってどっちだよ!おめえよ、わかるように説明しろ!』
銀月梠のこめかみに血管が浮き出る姿を精把乱は驚き口元を抑えた。
『銀月梠様が
壁にそっと身を寄せた途端に書籍ががたがたと動き出した。精把乱は揺れる書籍を見上げてすぐに銀月梠に目を向けた。
銀色の情調が
『銀月梠様』
精把乱は銀月梠に向かって手を合わせ隆の無事を祈った。怒りを抑え銀月梠は思いに耽る。童玄や隆、そして駿太郎にだけ
『右方向だ』
『わかった!右だな』
しかし、駿太郎は息の限界を感じている。『このままじゃもたねえ、息ができねえ、隆たんを助けるこたができねえ』意識が朦朧とし目を閉じてしまいそうになる。
『やべえ、息ができねえ、もう駄目だ』
駿太郎は息が続かず意識を失いかける。
『お前はなにをしておる!』
ソファから立ち上がり銀月梠が叫んだ。
『目を開けろ!目を開けるのだ!』
《おじさん……俺には……むりだよ》
意識を失った駿太郎は水中の底へと沈んでいった。
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