第19話  隆の部屋

 真っ直ぐ見える先の銀月梠が入って行った戸を眺めている隆は、


「精把乱」


 と声をかけた。精把乱は銀月梠の部屋の戸から隆に視線を向ける。


「どうなさいましたか」


 ひょろりと背の細高い上の方にある顔を見上げて、


「おじさんは、なぜ父さんの弟なのに、父さんのようではないのでしょうか」


「なぜでしょうね。私にはわかりません」


「ねえ、精把乱?」


「なんですか」


「そうやって、ずっと姿を見せていてくださいね。ぼく、子供なのでなんとなく透明になられると目が痛くなります。なぜ痛くなるのかわからないんですが、こうして姿を見せてくれていると、痛くなりません」


「はい、隆様のおっしゃる通りにいたします」


「ねえ、精把乱」


「なんですか」


「隆様の様はなぜつけるのですか?みんなは僕のことを隆たんと言ってました。だから隆たんと呼んでください」


「長閑村の住人は人間ですから、わたくしのようなもののけがそのようにお呼びするのはいけないことなのですよ」


「いけないこととは?」


「いけないこととは?そうですね。私が精だからです」


「精だと、なぜいけないの?」


 精把乱は口をグッとつぐんだ。隆は目をまんまるにして、ひょろりと細高い精把乱の上の方にある顔を目にぐっと力を入れて見上げている。しばらく見上げたまま時が過ぎる。精把乱は黙ったまま何も言わない。


「精把乱?」


 精把乱は首を傾げ、困った顔をして、


「隆様のおっしゃることは難しくて、私の頭の中で絡まっております」


 ぴくりと身体を動かし精把乱にしがみついた。


「えっ!からまる?なにが、からまるのですか?からまるとはなんですか」


「絡まるとは、絡まるとはそうですね……」


 精把乱は宙を見上げて一点をじっと見つめて隆の手を離すと背中を向けてふわりと身体を浮かせて台所へ入って行った。


「精把乱?どうされましたか」


 精把乱の後について台所へと入っていく、精把乱は台所の奥にある自分の小部屋のベッドの下の椅子に座って何やら本を開いてじっと眺めている。


「精把乱?なにを見ているのですか」


 そばに近寄りその本を覗き込んだ。隆には難しい文字が羅列されていて、なにが書いてあるのか全くわからない。隆はじっと横顔を眺めている。


 横顔を見ている隆の顔が視界に入りあまりの熱視線に恥ずかしくなった精把乱は透明な姿になっていく、


「あっ!駄目です。消えたら」


 隆が大きな声で叫んだけれど、緊張すると勝手に透明になってしまうため精把乱自身もそれを止めることはできない。


「精把乱!もしかして寝たのですか、寝てはいけません!精把乱、どうしたらいいのでしょう。あっ!」


 なにかを思い付いたかのようにパンと手を叩いて拍子を打つと、銀月梠の部屋の戸を叩くなり直ぐに開けて中に入った。突然入ってきた隆に視線を向ける銀月梠は穏やかな顔をしている。


「おじさん!精把乱が消えました」


「それがどうした?あの者はそういうもののけだから、消えるのが特技なのだ」


「とくぎ?とくぎとはなんですか?」


「お前の好きな事はなんだ」


「ぼくの好きなこと、それは学ぶことです」


「なにを学ぶのだ」


「ダクラナの森へ入って新発見することです」


「例えばなんだ」


「たとえば新しい花とか森のせいと話すること、それと、父さんのお話しする難しい言葉を覚える事とか」


「得意な事はなんだ」


「得意な事?そうですね。よくわからないのですが、困っている事がわかります」


「困っている事……。それは他人が困ったなと思ったらそれがわかるという事か?」


「はい、ハウおじさんが畑で腰が痛くなって動けなくなったことがありました。その時、声が聞こえました。『助けて〜。誰か〜。動けないよ〜』って、僕はその声が浩おじさんだと分かったので走って助けに行きました」


「そうか」


 銀月梠は手元の書物に目を向けて続きを読み始めた。


「おじさん……。僕の質問に応えてくださいあの……。おじさん」


「まだ、なにかあるのか」


「僕の質問に応えてください」


「なんだ?」


「なんだとは?」


「なんだとはの、とはとはなんだ」


「えっ?」


 二人は見合ったまま微動たりしない。


「僕の質問していることの答えが出ていません」


「自分で考えろ。そこにある書物を持って部屋に行け、お前の部屋は精把乱が案内する」


「その精把乱が消えました」


「見えるだろう」


「だから見えなくなりました」


「感じる事ができるだろう」


「感じると疲れるのです」


「疲れないように鍛えらば良いであろう」


「どうやって、鍛えるのですか」


「自分で考えろ」


「どうやって考えるのですか?」


「自分で考えろと言ってるんだ」


「父さんは教えてくれました」


「私はお前の父さんではないからな」


 銀月梠は再び書物に目を向けた。


「……」


 隆は「ふー」とため息をつき肩を落として部屋を出ると、書物室の棚を見上げた。どれもこれも隆にとっては難しいものばかりで、どれを読めば良いのか分からず、台所の戸を眺めて、またため息をついた。


 台所の反対側を見ると戸がひとつあった。そこから館の外に出ると小川の向こうに一軒家がある。隆がその家をじっと眺めていると部屋の中に明かりが灯った。小川に架かる橋を渡って窓から部屋の中を覗くと誰もいない、隆は戸口の取っ手を握って静かに開けた。そこにはベッドと机が置いてある。机の上のランプの灯りがゆらゆらと揺らめき引っ張られるようにそのランプに近づいた。


「ここが僕の部屋ですか?このお家が僕を呼んだみたい、今日からよろしくお願いします」


 隆が部屋に話しかけると、壁に取り付けられているランプがふわりと点灯した。












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