第18話  神の雫を飲む

 銀月侶が隆を連れ、村から去った後、再び闇とかした長閑村の民達は、童玄から家に戻るよう促され肩を落として帰宅の途についた。


 ランプがひとつ家の前で消えてはまたひとつとランプの灯火が減っていく、童玄は最後のランプを持った住人が家の中に入ったことを感じると怜と家の中に入って行った。


「童玄、珈琲豆が置いてあったんだけど、これってもしかして」


「精把乱が置いて行ってくれたのでしょうね有り難いことです」


「精把乱って、お会いする事ができないのが残念です」


「そうですね」


「隆には見えるのよね」


「隆は気配を消しているもののけも見えていたようですね」


「隆ってすごいのね」


 怜は目に見えない精把乱に一言でもいいからお礼が言いたいと思っている。


 5年前の隆の誕生の時に祝いの物を贈られてもお礼ひとつ言えなかった。


 銀月梠のことも今日初めて顔を見ることができたが、それでも長く話している時間などない。


 今日こんにちのように会えることなど滅多になく、この先もいつ会えるのかさえ予測も出来ない。永遠に会えないかもしれないのだ。


 曹は珈琲豆の匂いを嗅ぎつけ戸口の所でそっと中の様子を覗き見て童玄に声をかけてもらうのを持っている。


「曹先生、李静さん、珈琲を飲んで帰られますか」


「童玄師匠、私も一緒に頂けるのですか」


 李静は細い目を益々細くして喜びを表した。


「はい、李静さん、さあ、入ってください」


 精把乱の手縫の巾着袋を手に抱えて、


「豆を挽きますね」

 

 皆にそれを見せると台所に入って行った。


「なにか、お手伝いさせてください。怜様」


 李静はそう言いながらついていく、


「ありがとう、李静さん」


 二人は台所の作業台の前に並んで立った。土瓶に水を注ぎ入れ釜に置いて火種に息をかけて火を起こしお湯を沸かす。


「この道具は何ですか、」


「これは銀月侶さまがお作りになられた珈琲豆を粉にする道具、ミールっていうものなのよ」


「この茶色い豆を粉にするのですか?銀月梠様はこのような道具も作られるのですか」


「そうよ。なんでも作られるお方なの」


「へえ〜」


 李静は初めて見る茶色の豆粒を一粒摘むと居間のソファに座る曹にかけより腰をかがめて、


「曹先生、見てください。この豆が珈琲豆なんですって。これを粉にすると、どうなるのか見て確かめてきます」


 と、肩を揺らして楽しげに台所に入って行った。李静はもの珍しそうに覗き込む。


「このね。小さな穴の中に豆を入れるのです。李静さんくるくるするの好きでしょ」


「えっ!別に好きではありませんよ」


「先程、くるくるくるくるしてたでしょ」


「あれは、好きでくるくるくるくるしていたわけではありません。勝手に身体がくるくるくるくる回るのです」


「そう?そうなの、ではこの取手をこんな風に回してみて」


「こうですか?」


 ミールの本体を支えて取っ手を気持ちよさそうにくるくる回す。


「上手だわ、李静さん」


「あの、怜様は隆たんがいなくなったのに寂しくないのですか?」


「うーん。そうね。寂しいけど寂しいなんて言ってはいけないの、隆はこれからとても大変な事をしなくてはならないから、いつかはこんな時が来るってわかってるから覚悟してるの」


「えっ……。どういう事ですか?こんな時が来るって?怜様?」


「何かしら?」


 怜はにっこり微笑んで李静を見ると、その微笑みに李静はドキッとした。


「あの〜」


 くるくる、くるくると回しながら、首を右に倒したり左に倒したりと、くねくねくねくねしている。


「器用な李静さんね。どうしてそんなことできるのかしら」


「なにがです?」


「手と身体の動きが面白いわ」


「面白いですか、あの〜。翠……。あっ!なんだか感触が変わりました」


「いいわ、きっと粉になったのよ。李静さん居間で待っててくださる。すぐに珈琲を持っていきますから」


「あ〜、はい」


 台所から出て柱の陰で李静は怜の後ろ姿をじっとりと見ている。


「やはり怜様の後ろ姿はよく似てらっしゃいますね」


 李静は肩を落として、とぼとぼと居間へ行き童玄を見やった。


「どうされましたか李静さん、怜に台所から追い出されたのですか、あそこは私も入れてはもらえませんから」


「いえ、そんな事はされてはおりません」


「それなら、どうしてそんなに落ち込んだ顔をしてるのですかな」


「先生、怜様は翠様によく似てらっしゃいますから……」


「ん?そりゃあ、似てますとも、母娘なのですからな。何を言ってるのやら、李静はもう眠たいのですかのう」


「李静さん、その椅子にお掛けなさい」


「はい、童玄師匠、先生、私はまだ眠くなんてありませんよ」


 と頬を膨らませて下を向いた。童玄と曹は見やって微笑んだ。落ち込む李静の顔を眺めていると、珈琲の香りが立ちこめた。


「おー!この香りですな。久々に芳しき珈琲の香り、わしは、ほんにあのふわふわ焼き菓子と珈琲がぴったりと思うのですよ」


 怜は三人の前に湯気の上がるカップを置いた。


「まあ、先生、それって、ふわふわ焼き菓子催促されてます」


「わかりましたかのう」


 と戯けて見せる。


「隆の分を仕舞ってあるので持ってきますね」


「すみませんのう」


 李静は初めてみる珈琲と香りを嗅ぎながら


「童玄師匠、これが珈琲なのですか?泥水のような色合いをしてますね」


 童玄の顔を見ながら、


「本当に飲めるのですか」


 疑心暗鬼でカップを持って啜った。


「なんとも苦い味ですね。先生、すみませんのうって言いますけど、先程、ふわふわ焼き菓子、散々召し上がられたのでしょう。珈琲はとても苦いので、それは私が頂きますから」


「なにを言い出すのやら、怜様は私にくださいますのですぞ」


「いえ、私が頂きます」


「私がしょくすのですぞ」


「私が頂きます」


 この二人の声が台所に聞こえてきて、怜はそのやり取りが永遠に続きそうだと思って、最初から半分ずつに切り分けて二人の前に置いた。


「さあ、召し上がれ」


 二人は幸せそうにふわふわ焼き菓子を口に運び珈琲をふうふうしながら啜り飲み、二人が幸せそうに味わっていると童玄が、目を閉じてうつらうつらと船を漕ぎはじめた。怜は童玄を見やって、


「童玄、まだ眠らないで」


 その声に童玄はハッとして目を開けた。


「童玄師殿、時間がない!李静、急いで食べるのですぞ」


 怜も曹も珈琲をふうふうしながら飲もうとするが熱くて飲めない、状況を掴めない李静は二人を交互に見やる。


「申し訳ない、多分、銀月梠が……」


「銀月梠様が戻られましたかな」


 曹はとりあえずふわふわ焼き菓子を一気に口の中に詰め込んでごくりと飲み込んだ。


「珈琲が!」


曹が勿体なさそうな雄叫びを上げたと同時に、


「すみ……ま……」


 童玄がテーブルに伏せてしまった。童玄が眠りに落ちた瞬間に曹は椅子の背もたれに寄りかかりいびきをかき、李静は床に滑り落ちて頭をごつんと床に打ち付けた。怜もそのまま床に倒れて眠りに落ちた。


 それは銀月梠が無事にガルバナの森に足を踏み入れたからである。



ガラバナの森の門をくぐり抜けると足元を照らす灯籠に火が灯る。


「隆、眠くないか」


「大丈夫です」


 隆はずっと先まで火が灯っていく様を眺めているとその辺りの景色が闇ながらも見えてきた。


「この森は夜なのにどうして眠くならないのですか」


「そのうち眠くなる。今のところは、というだけのことだ。そのうち瞼が勝手に閉じるだろう」


「勝手にまぶたが落ちるのですか」


「落ちるのではなく、閉じるだ」


「おちると聞こえました。おじさん」


 と銀月梠を見上げて微笑む隆の笑顔に銀月梠は眉を顰めた。


「おじさん、どうして怒ってるのですか」


「怒ってなどない」


 隆は眉を顰めて同じ顔をした。


「こんな顔をしています」


 いちいち言い返す隆に呆れ、隆の顔を見ないようにして外方そっぽを向いた。


「精把乱、屋敷に戻ったら、まず、隆に聖水を飲ませてやってくれ、長閑村とガラバナの生活が逆さまになる身体の気を変えなくてはならぬのでな」


「はい、銀月梠様」


 隆はさりげなく闇の中の銀月梠の手をそっと握った。握られた手を思わず見やる。

 不思議なことに隆の色が隆の身体から濃く色づいてふわりと身体を包み込んだのが見えた。『ん?』銀月梠にとって初めて感知することで『なぜ、隆の色が私に流れてくる。これはなんだ』それは、微かであるが温もりのような熱が身体を包みこむような感覚だ。銀月梠の冷気と混ざり合って気を抜けば隆の魂を植されそうだ。


 三人が屋敷の前に着いた。


「凄い!」


 隆は感嘆の声を上げた。


「これが!おじさんがお造りになられたお家ですか?」


「そうだ」


「凄いです!どうして、この様なお家が造れるのですか?銀月梠様!」


 キラキラと瞳を輝かせ尊敬の眼差しで銀月梠を見上げる。


「おじさんではないのか?」


 隆を見下ろす銀月梠、


「そうでした。おじさんでした」


 微笑みながら銀月梠を見上げる隆、『どちらも間違えではないのですけど』と呟く精把乱は後ろから二人の仲睦まじさを微笑ましく眺める。銀月梠は戸口を開け中に入ると部屋のランプが自然と順番に灯された。


「今のは、銀月梠様……。おじさんが、力を使って灯りを灯されたのですか?」


「私はなにもしていない、勝手に灯されるのだ」


「どうやって?どうやって、勝手に灯されるのですか」


「どうやってとは?どうやって……」


 銀月梠は首を傾げながら部屋の中に入ると入り口傍のソファに座った。隆の疑問に思うことなど考えたこともない。その灯籠には心があり私を思い火を灯す。それを隆に説明してわかるものかどうか、隆は銀月梠の目の前に腰を下ろした。


 今まで気にも留めたことがない事だ。自然と灯るのだから灯るのが当たり前で、なぜ点灯するのかなど深く考えた事はない。隆といると不思議と考えさせられる。


「精把乱、頼む」


「はい、ただいま、お待ち致します」

 

 隆は宙に浮いた足をぶらぶらとしながら楽しげに部屋中を見渡している。自然の木を使った部屋の構造が面白くて知識を得るかの様にしっかりと見ている。


 今まで眠っていた部屋の中の樹木の魂が息を吹き返した。この部屋の冷気が穏やかに緩やかに流れ始めた。いったいこの子にはどんな力が眠っているのだろう。この無垢な隆の力がどのように作用するのか期待に胸を弾ませる自分がそこにいる。


 しばらくすると精把乱は聖水の壺と濾過器ろかきを持って隆の前に置いた。隆は見たことのない不思議なものが目の前に置かれて、一層瞳を輝かせる。


 濾過器ろかき真鍮しんちゅうあつらえた物である。一本のパイプの左右対称に円錐形の真鍮しんちゅうがついている。その片方の円錐の中から真空の管が円錐の真鍮に巻き付いて中心部は細くくびれたパイプを通り抜け再びもう半分の円錐形の真鍮に巻き付いた形をしている。


 それを銀月梠の前に置くと垂直に立ち上がり、宙に浮いた。その下に純銀のカップを置き、精把乱は宙に浮く濾過器の中心に溢さぬように聖水を注がなければならない。


 精神統一の技巧が必要となる。無心になり呼吸を整え、静かに聖水を落とす。

 一滴、一滴、ゆっくりと濾過器に落とすと管の中の聖水が流れていくのが見えた。


 銀月梠は手をかざし目を閉じている。隆はその聖水の流れる様を見つめていると細く、くびれたパイプを通り抜けた聖水が金色に輝きながら管を抜けて純銀のカップに落ちてきた。それが暫く続くと流し込んだ聖水の量の三分の一の滴がそこに残った。


 精把乱は聖水の壺と濾過器を持って台所に戻って行った。銀月は純銀のカップを隆に差し出す。隆はそれを手に取ってカップの中を覗いき見た。


「おじさん、きらきらと輝いてます」


「それが神の雫だ」


「精把乱はたくさん入れたのに、たったこれだけですか?」


「神の国を通り越し浄化された雫だけが戻ってくるのだ。隆よそれを頂きなさい」


「はい、いただきます」


 隆は気後れもせず恐ることなくカップに口をつけ雫をグイッと飲み干した。飲み干したあとテーブルの上にカップを置いてじっと意識を集中させる隆だが、なんの変化も起きない。隆は意識を集中し過ぎて目の玉が真ん中に寄っている。


「何をしておる」


「おじさん?何も起きません」


「なにも……とは、すぐに、なにかが起きるものではない」


「な〜んだ」


「な〜んだとは、なんだ!」


「な〜んだとは、なんだです」


「なに?お前は、お前は!神を愚弄する気か!」


「ぐろう?ぐろうってなんですか?苦労ですか?」


「精把乱!こやつをこやつの部屋に連れて行け!」


 いきなり怒鳴った銀月梠に対し隆は腹を立て互いに頬を膨らませた。銀月梠は勢いよく立ち上がり風を切るように自室へと入って行った。その背中を見つめる隆は立ち上がって


「精把乱、困ったおじさんですね。すぐに怒るんだから」


と頬を膨らませ精把乱と目が合うとにこりと微笑んで見せる。精把乱は思わず微笑んだ。







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