第17話  ガラバナの森へいく

 りゅう銀月梠いんげつろうの睨み合いが続いている。童玄どうげんは隆を抱いたまま椅子に腰掛けた。

銀月梠は未だに冷気を発しているために童玄は隆を膝から下ろすことも熱波動を止める事ができない。


「銀月梠、気を鎮めてはくれまいか、小屋の中を見てみなさい。どこもかしこも凍ってますよ。落ち着いて、そこに座りなさい」


 銀月梠を諭すように言うが、無愛想な顔つきは微動たりともせず、黙って童玄と隆を見据えている。素直に言葉を聞き入れるつもりもないようで童玄は眉を顰めて肩を落としてため息をついた。『どうしたらよいものか』困り果てる童玄のところへ、れいは銀月梠を見ないように俯き加減にミルクの入ったカップを持って走り込んできた。カップの中のミルクは大きく揺れている。童玄と隆は銀月梠はカップの中で波うつミルクを心配そうに見やる。


「童玄、隆は大丈夫?曹先生に訊いて慌てたわ、銀月梠様は隆になんて事をなさるのですか?こんな幼子に」


 怜はカップを机の上に置いて隆を自分の膝に座らせて抱き締めた。


「隆、大丈夫」


 身体を温めようと手で擦ったりギュッと抱きしめたり頬を寄せたりする。ホットミルクを手に取って、隆の口にカップを近づけて飲ませてやった。


「熱くない?」


「はい」


 童玄は立ち上がるとカップを手に取り、銀月梠に差し出した。銀月梠は受け取ろうとしない『銀月梠、いい加減にしなさい』手首を掴んでカップの取っ手を握らせた。


 冷えた身体にカップの温もりはすぐに伝わり甘い香りが鼻先に漂うと自ら鼻を近づけてその香りを嗅いでいる。しだいに心は落ち着きをとり戻し、自然とカップを口に近づけた温かく、甘く、優しいミルクは喉を潤し、胃の中に到達すると、とろんとした気持ちになって、ほわっとした気持ちになる。


「ホッ」


 銀月梠が息を漏らした。穏やかで幸せそうな顔をしている。すると小屋の壁や床に張っていた薄氷がしらしらと消えた。童玄は小屋を見渡して息をついた。


「母さん、甘いですね。駿さんが言った?」


「そうよ。よくわかったわね。駿さんがお砂糖を入れると甘くて美味しくなって、心がほあってなるって言ってたから、入れてみたの」


「はい、ほあってなりました」


「よかった。身体は大丈夫?」


「はい、大丈夫です。おじさんはひどいことします」


 隆は両手でカップを包み込むように持って、上目遣いに銀月梠を見上げた。怜は曹より訳を聞かされ、すぐにミルクを温めた。その間中、沸々と怒りが湧き上がってきて皿を一枚割ってしまった。そして再び、銀月梠の気配を背中に感じていると怒りの炎がぼわっと吹き上がり、その勢いのまま立ち上って銀月梠を睨みつけた。


「銀月梠様!貴方ね。子供に、それも、こんな小さな子になんてひどいことするんですか一体どういうおつもりですか、それでもあなたは大人なの!」


 怜は目に角をたて下から銀月梠を睨みつける。両手は胸のあたりでぎゅっと握られて、今にも殴りかかりそうだ。


「私の大事な隆を凍らせようとするなんて!信じられない、隆は童玄の子供なのよ!わかってるの!貴方がしようとしたことは許せません!」


 銀月梠と怜は向かい合って視線を合わせ互いに目を細め対峙する。怜は頭に血が昇り我を忘れ憤慨し過ぎて、銀月梠への禁忌事が、すっかりどこかへ飛んでいってしまったようだ。しばらく二人の間には火花がパチパチと音を立て冷戦の如く冷気がその場を覆った。怜の細めていた目が一気に見開いたと思ったら、


「ぎゃー!私、見ちゃった!」


 と慌てて両目を覆った。


「童玄!」


 と両手で顔を覆うものだから声が篭る。隆をそっちのけで童玄に抱きついた。呆気にとられる銀月梠は『怜の性合はどのようなものなのだ』と珍しい生き物を見ているような目でミルクを飲み干し、カップを机の上に置いたそして抱きつく怜の首を掴んで、その手に冷気を注ぎ、怜の性合を感じとる。怜の首はそのせいで隆のように冷たくなって凍ってしまった。首を掴まれた怜はその手から逃れようと童玄の胸で暴れ出した。


「やめて!童玄助けて!」


「怜、落ち着いきなさい」


 童玄は焦る様子もなくいつもの口調で優しく言うが怜は必死に抵抗をするものだから童玄と二人で床に倒れた。銀月梠も手を離さない床に寝転がる怜の首を掴んだままだ。


「曹先生!助けて!」


 曹は小屋の窓の外からそっと中を覗き込んででいたが、慌てて窓から離れて頭をぶんぶんと左右に振っている。


「怜様は今なんとおっしゃたのですかのう、わしにはなんにも聞こえまんぞな。聞こえませんぞな」


 銀月梠の傍になど近づきたくはないのである。できることならこんな距離で顔を合わせたくないのが心情で今すぐにでも診療所へ逃げ帰りたい。いつの時も叱責されてばかりの曹『触らぬ神に祟りなしじゃ』と心で呟く、その呟きは思ったら最後そのまま、すぐに銀月梠に届いてしまうのに、正念の入らない曹はつい本音を発信してしまう。


 村人達には小屋の中の声は聞こえていない。黙って月を眺めている。曹はみなの顔を覗き込むが、誰も曹に気づかない。静かに月を見上げ酔いしれている。『これも、銀月梠様のお力ですかのう。くわばら、くわばらじゃ』


「童玄、私、消えてしまうのね。私は貴方とお別れしなくてはなりません。どうしましょう。童玄」


『人目も憚らずなんとも見苦しい』


 遠隔感応で童玄を見やり、


『お前の嫁は異な者であるな』


 と童玄に伝えた。銀月梠は怜の首から怜の性格を読み取っているだけなのだが、掴まれたそこは冷たく凍ると同時に痛みにもなる。


『私、死ぬのね。痛いわ童玄、さようなら。愛してる。私のこと忘れないでくださいね』


 怜の憂う心が銀月梠に伝わる。


「フッ!」


 鼻で笑う銀月梠を見て童玄も優しく微笑んだ。互いに見合い、


「童玄、今夜、隆をガバラナへ連れて行く!良いな、それしか術はないようだ」


 銀月梠はニヤリと笑んで隆を見た。童玄と怜は起き上がって童玄は椅子に座り直し、隆と怜は、同じ顔して童玄の背後に素早く隠れ銀月梠を睨みつけた。


「童玄の背後に隠れて、なにをしておる」


 二人をみて首を傾げ呆れてしまった。


「ぼく、おじさんとは行きません、父さん、ぼく行きたくありません、なぜなら、おじさんは、ぼくのことを、かちかちにしたから」


「童玄、隆をこの人と行かせるなんて、私は絶対に許しません。この人は隆を凍らせたんでしょ絶対に駄目ですからね」


「はい!母さんの言う通りです。父さんぼく、ぜったいに行きません!かちかちになりたくないのです」


 童玄はため息をついた。


「困りましたね。怜、隆、駿さんを助けたくはないのですか」


「駿さんを助けるってどういうこと」


 怜と隆は隠れていた童玄の背中から顔を出して隆は童玄の顔を見つめた。


「隆、駿さんを助けるためには、銀月梠と共にガラバナの森へ行かなくてはならないんです。そこで隆の昼夜の眠りを変えなくてはなりません」


 隆は歯を食いしばり目に力を入れた。


「ぼく、おじさんと行きます。ガラバナの森に行って、駿さんを助けてきます」


 童玄は隆の肩に手を添え、息子の勇ましい姿に微笑んで頷いた。


「怜は?」


「もちろん、助けたいわ」


「ならば、隆は銀月侶とともにガラバナの森へ行くしかないのですよ。怜、いいですね」


 ガラバナの森は究極の闇である。

隆は闇の森への進入は初めでのことで昼夜逆転させなければならないその事は幼い子供には関門のおこないであり至難の業である。


 怜は童玄の腕に寄りかかり隆を見送った。


「無事に帰ってこれますよね」


「そうですね。駿さんを救い出してくれれば良いのですが」


「どうして、隆ではないといけないのですか

貴方ならすぐにでも救い出せると思うのですが」


「怜、私はこの長閑村からは出ることはできないのです。隆を信じて待ちましょう」


 長閑村の空から潭月が消えると、民たちはランプを手に互いの顔を見合い、童玄の周りに集まった。


「さあ、皆さん、いずれ駿さんも戻ってきます。それまで待ちましょう。さあ家に帰ってお休みください」














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