第16話  銀月梠と隆が喧嘩する 1

 銀月梠が長閑村に現れ、五年ぶりの対面を果たしたのだが、沈黙のまま時が流れる。


 面立ちや背格好はよく似ているふたりだが、全体的な雰囲気は似ても似つかない、それを曹は無念夢想で見比べた。


『相変わらず銀月梠様は冷たいお顔をしておられますな』


 曹は何気なく心の中でそれを思う。


『銀月梠様は、どうしてあのように冷ややかな、お心なのでしょうかな』


 曹は何故か虎の尾に触れる。そこが、曹の甘い所である。


『童玄師殿はいつでも優しく、おおらかで、穏やかで、ほんに、わしは気を楽にしていられる。しかし銀月梠様は……』


 すぐそばに目の前に銀月梠がいるというのに思いを心に浮かべては伝わってしまう事を忘れているのか、曹はふと顔を上げると銀月梠と目があった。


 すぐ様、目を逸らし下を向く、


『なんと!恐ろしい目をしておられる。曹よ目を合わすでない』


 自分に何度も言い聞かせ、必死に抵抗しているのである。しかし曹の脳に直接、銀月梠は侵入し、その力によって曹の視線を自分に向けるよう操っているのだ。


 この時、銀月梠は隆の前である事を考慮し、曹の失態を見逃してやろうと思っていたのだ。


 隆と曹は二人から距離を置き、二人並んで椅子に座り、その様子を黙って見守っていた。曹は敢えて隆のそばにいる事で、銀月梠の怒りを避けようとしている。


 あまりの二人の沈黙の長さに痺れを切らした隆は曹の耳元に顔を近づけて囁いた。


「あの、曹先生、銀月梠様も父さんも、なぜお話しされないのですか」


「さあ、どうして話さないのか、訊ねてみたらどうですかのう」


「ぼくがですか?曹先生が訊ねてください」


「隆たんがお訊ねくださぬかのう」


「いえ、曹先生が」


「いえいえ、隆たんが」


「先生は銀月梠様のこと深くご存じなのでしょう」


「いえいえ、隆たんの方が血のつながりがおありでしょう」


「初めてお会いしました」


「初めてではありませんよ。二度目ですからのう」


「二度目?」


「隆たんがお生まれになった時ですな」


 隆は口をへの字に曲げて、生まれた時と言われても記憶に残っていないのだから、

困った。


「さっきから、なにをこそこそ話しておる」


「いやはや、よく聞こえる耳だこと」


 銀月梠は切長の鋭い目で曹を睨んだ。曹は少し慌てた様子で、


「いやはや、隆たんが、隆たんに、なぜ、お二人はお話をされないのかと問われまして、で、どうしてなのか、銀月梠様に訊ねられましたら……たらと」


 隆は面食らったような顔をして曹を見やった。銀月梠は黙って曹を睨みつけたまま、


「なにを話せという」


と冷めた目をして冷めた口調で言った。


「……」


 隆は、童玄と同じ顔した銀月梠の素気ない言葉に言葉が出てこない、二人は兄弟なのに、仲良くないのかと心配になった。


「父さん?」


「どうしました。隆」


「銀月梠様とどうして、お話されないのですか」


 いつもなら直ぐに応えてくれる童玄もなにやら口を閉ざしてしまう。


「父さん……どうされました」


 五年ぶりに再会した理由が理由なだけに楽観的に喜び合う訳にはいかないのである。ダグラナの森へ侵入した駿太郎の事で銀月梠は遥々遠いガバラナの森からやってきた。


 今、現在、龍王バイロンの心が平安である事は二人の意思が受け止めている。しかし再び、怒りを呼び起こしてしまったら、今までの二人の努力が水の泡と化してしまうのだ。ここは思案のしどころで慎重に事を進めなければならない。


 隆は先ほどから、なんとなく違和感を感じていた階段に視線をむけた。


「隆よ!お前はどこを見ておる?」


「あの……あの、階段のちょっと上の方になにかいませんか?」


 銀月梠は階段に視線を向けた。


「なにかとは?なんですかのう。わしにはさっぱり、なにも見えませぬがな」


 隆は目を凝らしてじっとみている。


「どこですかのう。私にはさっぱり見えやしません。階段の何段目くらいですかのう?どうしてわしには見えませんかのう」


 曹は未だに気配というものを感じることができない。


「曹!」


「はいはい、銀月梠様、なんでございましょう」


「修行が足りぬのだ。童玄、こやつに甘くはないか」


 銀月梠は怒り持った声を押し殺し言った。

隆は曹の顔を見やった。曹は目を開き、首をぶるぶると首振り人形のように振り続ける。


 曹は相当、銀月梠が苦手のようで、先ほどからずっと背中が小刻みに揺れている。

怖さのあまり震えているのだ。


「曹先生」


 初めて見る曹の怯える姿を見て銀月梠がどれほど脅威なのか隆にも感じる事ができた。


 精把乱は階段をゆっくりと降りてきて、隆の前で膝をついて目線を合わせてじっと顔をみた。隆は目の前にモヤモヤした得体の知れない物体に目を見開き曹の袖を引っ張り揺する


「どうされましたか、隆たん?」


「曹先生、見えないのですか?」


「はい、なにがです?」


「目の前にいます」


「なにがです?どこにです?」


 曹は目をぱちぱちとさせながらその物体を見ようと躍起になってるのだが、目を何度こすっても、擦っても、全くもってなにも見ることも感じることもできない。


 怒りを鎮めようと拳を握り締めている銀月梠のこめかみの血管が浮き彫りとなり、ぷっちっとキレる音がした。


 銀月梠は腹に据えかねて椅子から立ち上がると曹を睨みつけ、


「お前と同類だろうが!それでもまだ!見えぬのか、ほんに!童玄!お前の甘さがこの結果だ。曹!」


「ひえ〜、童玄師殿〜」


 曹は素早く童玄の背中に隠れた。


「隆よ!見てみよ!この曹の失態を」


 隆は童玄の背中に隠れ、震えている曹を見て、愕然とした。


「せんせい……」


 隆は茫然自失となって、それはそれは小さく細く声にならないほどだった。それに加えて目の前には、もやもやしたものがいる。それをじっと見ながら、自分を見ているふたつの目をじっと見返す。


「あの、なんでしょうか?あなたは誰ですか?」


 右手を伸ばしてその物体に触れようとしたが触ることができない。


「父さん、これ、なんですか?」


 童玄は背中に隠れる曹を気遣ってそこから立ち上がる事ができない。


「隆、なんだと思いますか」


「分かりません。このようなもの見たのは初めてです」


「触ってみなさい」


「どうやって触れば良いのですか」


 言いながら目を凝らす。その目の横に見えるとんがった耳をきゅっと捻った。


 すると精把乱の遮蔽物が解けて実体がじわじわと現れた。


「あっ!もののけ!」


 曹が童玄の背中に隠れつつ叫んだ。

銀月梠は曹を睨みつけていた視線を隆に向けた。隆の伸ばした手が精把乱の耳を掴んでいるのを見て


「なぜ、それを知っておる!」


 と。銀月梠は問うた。透明になる遮蔽物の解き方は神のみぞ知る不織事の秘中之秘の事である。それを五歳の隆が知っている事などあり得ない、銀月梠は驚きを隠せなかった。


「童玄、隆に教えたのか!」


「私はなにも、このことは他言無用の事、故決して口外しません」


「何故、隆は知っておるのだ!」


「あの、なんとなく……です」


「なんとなく……だと」


 精把乱は全体像を現した。右手を胸にあて深くお辞儀をした。


「日の神殿、お久しぶりでございます。初めまして、隆様お会いできて光栄です。それに私の遮蔽物の解き方をなぜ知っておられるのですか?驚きました」


「ぼくもです。初めて形ある精に会うことができました。嬉しく思います」


「私の姿を見ても、驚きはないのですか」


「なぜ?驚くのですか?」


「それは……」


 精把乱は首を折り曲げるように俯く、いじけて階段の一番下の段に腰を下ろして、くの字に身体を縮めた。


 隆は思わず童玄を見やった。

そしてなにか傷つけるような言葉を言ったのか考えあぐねた。


 勝手に耳に触れたことがいけなかったのか、他人に触れさせてはならない決まり事があるのか、いろんな事を思って精把乱に駆け寄って膝を折り、顔を見上げ、手を握った。


「ごめんなさい。ぼくなにか悪い事をしましたか?」


 童玄も銀月梠も隆と精把乱を見つめている。


「気にすることはない」


 と冷たくいい放ったのは銀月梠だ。


「大人げないだけだ。精も大人になる事を早く知らなければならない、いつまでも幼い者ではないのだからな」


 冷ややかな視線、冷たい言葉を放った瞬間、小屋の中の空気が急激に低下した。隆の吐く息が白くなる。その寒さに震えが止まらなくなり、息をするのも辛く身体を震わせながら、


「父さん!これなんですか?口から白いものがでます。身体が勝手に震えます」


 寒さを知らない隆はこれを寒いと伝えることができない。


「銀月梠、気を鎮めてください、隆が凍りかけてます」


 曹の無精者を目の当たりにした事と精把乱の意気消沈した態度が癪に触わり、銀月梠の辛抱もここまで、怒りが一気に爆発した。


 童玄が忠言しても、それでも銀月梠は怒りを鎮めない。


「その姿が醜いと思っておるのだ!」


 隆は銀月梠から精把乱に視線を戻し悲しげな顔を見上げた。


「どこが醜いのですか?樹木の妖精なのですから、樹木の様ではないと樹木の妖精とは言えません。ぼくはそう思います。立派な樹木の妖精の姿をしてますよ」


 精把乱の隆を見つめる目は悲愁で満ちている。この憂苦の深さは、はかり知れない。


「大丈夫ですか」


「そんな幼い隆に慰められて恥ずかしくないのか、精把乱!」


 銀月梠の声は尖っ先の槍のように突き刺さる隆は鼻の穴が広がっていくのが自分でもわかった。弱っている者に対しての銀月梠の冷たい態度が許せなくなった。

隆は勢いよく振り返り両手をぐっと握り締めて、銀月梠を睨み上げた。下膨れの頬が空気でぱんぱんに膨れ上がっている。


「おじさん!そんな言い方しないでください

精把乱はとても傷ついてます。それなのに、そんなひどい言い方は、かわいそうです。傷ついた人をもっと傷付けることはいけません」


「おじさん……私はおじさんではない!銀月梠だ!それに、なにに傷つく?なぜ、傷つかなければならない!それが精把乱の姿であろうそれを受け入れなくて、一人前の精とは言えぬ!その姿が気に入らないのであるならば、一生、遮蔽物を使い透明であれば良いのだ」


「ひどい!おじさんには心はないのですか!ぼくは、そんなひどい事をいう。おじさんは嫌いです」


「嫌い?嫌いとはなんだ。お前に好かれなくても構わぬ!お前はまだ子供ゆえ何もわからないであろう。生意気を言うでない」


「子供でも、言ってはいけないこと、やってはいけないこと、父さんに教わりました。おじさんは、神様なのに知らないのですか!学んできてないのですか!いけない事を注意されないからわからないんですね」


「なに!お前は私を愚弄する気か!それに

私はおじさんではない!銀月梠だ」


「おじさんです。ぐろう?ぐろうってなんですか?ぼくわかりません。ぼくのわかる言葉で話してください!」


 銀月梠は初めて大きな声を出して心から湧き出る怒りを表にぶちまけた。相手は子供の隆であるが、容赦なく本気で怒っている。


 隆も銀月梠を相手に怯む事なく思いの丈を小さな身体で懸命にぶつける。初めて怒りを相手を目の前にしてぶつけ合うこれを喧嘩ということを隆は知らない。二人共に初めての経験である。


 今までひとりだった銀月梠は怒りを露わにすることなど無かった。まるで二人は兄弟のようにやり合っている。童玄はこれまた、おおらかに黙って見守っているのだ。


「童玄師殿、どうなされますのやら、あの二人、止めませぬと」


 曹はあたふたとしている側で童玄は微笑みながら二人を見ている。


「おじさん!精把乱に謝ってください」


「なぜ!私が謝らなくてはならぬ!」


「ひどい事を言ったからです」


「ひどい事だと!」


「そうです!ひどい事いったから!」


「真実を言ったまでだ。お前には分からん!」


「わかります!ぼく、わかります」


「子供のくせに生意気を言うな!」


「子供は関係ありません。なまいきってなんですか」


「生意気もわからんのか!」


 銀月梠は隆の襟首を掴み上げた。怒った顔は益々蒼白く、黒い袖から見える手や指先からは冷気が溢れて隆の身体を凍りつけていく、隆の手足がピン!!と真っ直ぐ硬直し始めた。童玄は素早く立ち上がり隆を抱き抱えると、銀月梠の手首を掴んだ。


 童玄の身体から蜃気楼のようにめらめらと熱気の波動が浮かび上がると隆を包み込んだ。


 隆はほっと息をつき童玄の首に手を回して目を閉じた。そして目を開き、ぐっと目に力を入れた。


 それは、あの日、駿太郎と初めて会って、息を止めて、駿太郎と同じ目をした。息をしろ!と頭突きされた。あの時と同じ目だ。


「曹先生、すぐに怜の所は行き、温めたミルクをふたつ、持ってくるように伝えてください」


「はい!すぐに」


 曹は慌てて小屋を駆け出て行った。


「銀月梠、少し落ち着いて、とにかく、そこに腰を下ろしなさい」


 銀月梠は隆を睨む、隆もまた銀月梠を睨み返し、二人は目を逸らす事なくずっと睨み合ったままである。

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