第15話 銀月梠 外伝
孤独とは心を強くする
長い年月ひとりである
ひとりとて、寂しさを感じた事はない
銀月梠は神である故
宿命のままにそこに在る
※※※※※
空上の地、ベッキッキュ島には、龍王バイロンの配下の神である
その、ギリング城には父親の
春絽の犯した罪は龍王バイロンを激怒させた。そのため家族全員、ベッキッキュ島からの追放を宣告されたのだ。泰安は童玄と銀月梠の二人をギリング城に残して欲しいと懇願したものの、受け入れては貰えなかった。
春絽の姿は既になく、泰安の部屋で銀月梠は童玄と共に別れを惜しんでいた。
銀月梠は涙を流す童玄の後ろ姿をじっと見つめながら待っていた。父が童玄を抱きしめた後、自分のことも抱きしめてくれると思っていたからだ。
だが、父が銀月梠を抱きしめようと手を伸ばしたその時、父は一消えてしまう。
父の姿が見えなくなって、銀月梠は茫然とした。
「父さん……どこ行ったの?」
声にならない声で童玄に訊ねると、童玄は銀月梠の方へと振り向き、手を差し伸べて抱きしめようとした。
「近づくでない!」
童玄の手を伸ばした姿は解けるように消えてしまう。銀月梠も把懿亂のその声に驚き、龍王の目を見てしまい、目が合ったその瞬間に闇の中に立ち尽くしていた。
「ここは……どこ?」
闇に問うても誰も応えてはくれなかった。
「童玄はどこ?」
銀月梠、童玄ともに七歳の時である。
二人はこの瞬間に引き離され、別々の場所へと放り出されたのである。
銀月梠はひとり、闇の中にいる。
右へ行けば良いのか、左へ行けば良いのか、そこがどういう処なのかも知らず、たったひとり、どうすれば良いのか、ただ歩いた。
泣く事はいけないことだと思った。
童玄は泣いたから二人とも消された。
幼い銀月梠はそう思った。
だから、歯を食いしばって、歩いて、歩いて、自ら道を切り拓くため、歩き続けて、自分はなにをするべきなのかを考えた。
歩いているうちに、なにか思案が浮かぶだろうと、銀月梠は暢気に考えていたけれど、なにも浮かばなかった。
だからと言って立ち止まる事もしなかった。
前へ前へと進めばきっとなにか、見つかるかもしれない、銀月梠はふと一瞬立ち止まる。
「あれ?夜なの?」
今が夜中である事を知らなかった。
暗闇の世界にいることを気づくまでに随分時間を要した。
初めは誰も声をかけてはくれなかったが、
次第に森の精たちは銀月梠から目が離せなくなりほっとけなくなった。
孤独な銀月梠の様子を見兼ねて声をかけ始めたのだ。
ーー銀月梠様、暫し、お待ちくださいますようお願い致しますーー
「なにをまつの?」
銀月梠が向かう先に闇などない。
その眼には全てが見えている。
ーー私の処においでなさいーー
「わたしのところ?それはどこ?」
ーーいやいや、私の処はいらしてくださいーー
「誰のところに行けばいいの?」
何処からともなく、あっちらこちらで、いろんな声が聞こえてくる。心が少しほっこりとした。
ーーそうね。その方向で間違いないのだけれど、少し休んで、その小川の水をお飲みになってーー
銀月梠は辺りを見渡した。
小川のせせらぎが聴こえる。
今、初めて、直ぐそこに水が流れていることに気がついた。
「ありがとう。考えてみたら喉が渇いていた」
ちょろちょろと水の流れる音が耳に優しい、水は透き通りきらきらと輝いている。淵に膝をつき、微笑みながら水面を見つめて、両手で水を掬い上げ、ひと口飲んだ。
「あー。美味しい。ここのお水はすごく美味しいですね」
年端も行かぬ幼子は、頼りなく、世話を焼きたくなるものである。この先の過酷な試練を乗り越えなければならない、それもたったひとりぼっちの旅である。とても切ない困難が銀月梠には待っている。
ーーさあ、そのまま真っ直ぐ、向かって来てくださいますようーー
「はい!向かいます」
森の木々たちは、全ての経緯を知っている。銀月梠に同情することは龍王に楯突く行為と同じであるが故、みな手をこまねいて遠巻きに見ていたのである。しかし、そのうち精たちは守りたいと思い始め愛情を注ぐ、それは、銀月梠が素直で純粋な子供だったからだといえよう。
龍王の冷遇な扱いにも反抗心や拒絶心を持たず、ただ素直にそれを受諾した。
だからこそ、ガバラナの森はこんなにも早く銀月梠を受け入れてくれたのである。
その声に誘導されるままに身を任せて、
なにひとつ疑う事なく信じて歩いた。
ーー先ずは住処を作りましょうーー
とその声が聞こえてきた途端に疲れを感じ、その場に座り込んだ。
「つかれた。ふう〜」
膝を立て膝小僧に顎をのせて、唇を尖らせた。目の前には不思議と惹きつけられる樹木がある。銀月梠は「よいしょ」と立ち上がりその幹に触れた。
「初めまして、銀月梠です。ぼく、お家を建てたいのです。ここに建ててもいいですか?ここが気に入りました。ぼくは、ここで頑張って、いつの日か龍王様に赦してもらえるように頑張ります」
そう宣言した銀月梠は、なんだか凄くやる気が湧いて来た。疲れはどこかに吹っ飛んで、樹木の周りを楽しげにくるくる回る。
「ぼく、ここに住みたい」
その樹木の生えたつ間隔に魅力を感じた。
ここが自分の住処だと直感し、円の中心で、ぐるりと木々を見回した。
ーーお気に召しましたか?では、その隙間に戸を作りましょうかーー
「はい!」
銀月梠はその声の言う通りに戸を作った。
ーー取り付けてみましょうーー
「はい!」
いう通りに取り付けてみた。一丁前の戸口である。早速戸口を開けてみる。
「ただいま、おかえり」
ひとりで言って、
「ふふ」
ひとりで笑う。
まだ戸口しかできていないのに銀月梠は嬉しくてぴょんぴょん跳ねて幹に抱きついた。
等間隔に樹木が円を描くように並んでいる。その木々を使って壁を造ってみようと考え、精の宿らない樹木を材料にし、板を樹木に打ち付けて、その中心にある樹木に主柱を見立てて屋根をつけた。銀月梠は腰に手をやり満足げに微笑む、
「ありがとう」
姿は見えないが手伝ってくれた者たちに
感謝を述べた。
「この家は、ぼくの基地だよ。童玄もいたら良かったんだけど」
最初の基地の構造は間仕切りなどなく、
ただひとつの部屋のその真ん中に大の字になって眠った。地面に眠ると翌日身体が痛かった。だから銀月梠は考えた。
必要なものはなんだろう。
そして毎日少しずつ用途に応じて、建て付けをしていった。
歳を重ねていくうちに基地の中は段々と形を変えて別宅も増えいつの間にか森に馴染んだ奥ゆかしき佇まいとなった。
年月が経ち、戸口を入ると右手にソファとローテーブルを置いて、そのローテーブルには永遠に消えることのない灯火を燃やし続けるランプを骨董屋で見つけ、もらって来て置いた。
ソファは銀月梠が大人になったある日、大工の弦雷雲が全身全霊を込めて造り上げた渾身のソファの枠組み、眠らず届けに来たのである。無論、銀月梠が直接受け取ったわけではない。弦は俯いたまま、銀月梠の声だけを訊いた。
「童玄によろしく伝えてくれ」
「はい」
ただその一言だけだった。しかし床に頭をつけたまま伏しているとその額の先に褒美が置かれた。弦は薄めを開けてちらりとその物を確認し、思わず「あっ!」と声を上げてしまった。弦が褒美に貰った物は大工道具のひとつ、特殊な接ぎ方に使うしのぎノミである。
「それを、褒美につかわす。それを使いもっと精進して参れ」
「ありがとうございます」
弦はノミを手に取り頭を下げたまま、戸口を出て、外に置いたあったランプと荷車を引き、長閑村に戻って行った。
途中、荷車に腰を下ろし、ずっとその特殊な接ぎ方に使うしのぎノミをあっちからこっちから舐めるように見ては、にやけている。
何度見ても、同じ接ぎ方に使うしのぎノミなのだが、もう、どうしようもなく嬉しくて、どうしたら良いのかわからないほど心が踊って、止めることができなかった。
夜が明けて、そこが長閑村とガナバラの森の境だと気づいた。童玄が目覚めたと思い慌てて長閑村に急ぎ帰って行った。
そのソファは、童玄が婚姻した時の贈り物である。そのしっかりした枠組のソファに緩衝材を入れ柔らかく仕上げたのは裁縫の名手である翠である。感触もよく座り心地も満足した。翠は、銀月梠が喜んでくれる事を願い丹精込めて仕上げた。銀月梠はそのソファをずっと大切に扱っている。
そのソファの横にはカウンターテーブルが立て付けられ、壁の棚には多種多彩の酒瓶が並んでいるまるで小洒落たカウンターBARだ。
銀月梠も、そのカウンターで、立ち飲み酒を嗜んでいる。カクテルは自分で作り自分で呑む。残念ながら共に飲酒する友人はいない。
そのカウンター横には、ひとつ、押し戸がある。しかし、その奥は、闇神の銀月梠が一歩も入る事ができない禁足地の台所である。
そのため、台所には側用人がひとり住み込んでいる。その者は、そこ物一切、誰にも触らせない確固たる精神でそこを在り処としていた。
食事の準備や身の回りは全て、
台所の壁に四角い小部屋を造りつけるとき、銀月梠は押し戸に背を預け、精把乱の大工作業を眺めていた。
「困った時は声をかけなさい.私が手伝ってやろう」
子供の頃を思い出す。ひとりで板を打ち付けているとなかなか上手くいかないもので困っていたら精把乱が手を貸してくれた。
「大丈夫です。銀月梠様、これくらいのこと容易い事ですから」
長い手足で器用になんでもこなす。
上は寝床で下には椅子と机が設けられた。
精把乱は小さな部屋を好み、そこで眠り、時に読書をする。
中央の押し戸の向こうには、壁中が書籍で埋め尽くされ書物室となっており、本棚には物の見事に本がびっしりと並んでいる。
一席だけ落ち着いた色合いのシングルソファが置いてある。ソファの柄はラナの花柄である。これは隆が生誕した際、祝いに駆けつけた銀月梠への怜が送った礼のソファである。
銀月梠はそのソファを貰った日から、そこに座って一日中読書に耽り、愛読はカクテルの作り方である。趣味にも万事、力を注ぐ、
その傍には丸卓が置いてあり、そこにはいつも、精把乱の手作り菓子とそれに合わせたカップがセットされるのが、常日常であり、銀月梠は珈琲でも紅茶もなんでも嗜む。銀月梠のお茶する姿はなんとも神々しく美しい、
本棚の間にある押し戸の向こうは、銀月梠の寝室がある。大人三人は寝られるであろう大きなベッドには天蓋が備え付けられ、品位の高い薄紫色の高貴色が眼福になり心穏やかに眠りにつける。これもまた、弦作である。
ベッドの脇を通り抜けて観音扉を開くとその先は、由緒正しき神道が森に向かって長く伸びている。その路を行けば、ダクラナな森につながり、長閑村へと行ける。唯一それが童玄と繋がる心結路である。
その横には並行して小川がせせらぎ、足元を照らす灯篭の灯火が、水面に映り、陽炎のように揺らめいて、幻想的な景色をそこに浮かび上がらせている。
銀月梠の一日は、童玄が眠ると目を覚まし、童玄が目を覚ますと眠りにつく、
夜、目覚めて直ぐに食事を摂る。それは至って普通の食事である。
目覚めれば、きちんと食卓には料理が並んでいる。
いつ頃からだろうか、夜、目覚めると、食卓には料理が並んでいた。気配を感じつつ、食事を済ませると皿が勝手に洗浄され戸棚の中に入って行った。気づかぬふりして日々過ごし、その者が自ら語りかけるのを待った。
「銀月梠様、またダグラナの森に侵入した者があります様で」
「その様だな。また、あやつか、困ったものだ。月、月、月!と五月蝿い輩をなんとかせねばななるまい、それより其方の無私な祖業は誉めて遣わすが、たまには、身を隠さず姿を現し話さぬか」
「では……」
精把乱は常に私的な感情を出さず我利我欲を持たず常に銀月梠に献身している。
精把乱は自らを無にする業を持つ、自由自在に遮蔽物を操れる
透明になれる精であり、その方が楽に生きられるという事らしい。
例えば、銀月梠の食事の準備をするとする。
野菜をまな板の上に置く時は野菜が宙を浮き勝手に板の上に落ちてくる。
その野菜を包丁で切る時には包丁が宙に浮き勝手に上下し野菜を切り刻む。
野菜を炒める時にはまな板から勝手に野菜が鉄物の中に落ちて、竹の箸が勝手に鉄物の中をかき混ぜるとか、
読書の時は、書物が勝手に棚から卓の上に
静かに落ちて、風が頁を捲るかの様にパラパラと音がしたり、
紅茶を飲む時カップが傾き茶が身体の中に入っていく様子が伺えるとか、
銀月梠の心には、精把乱の気配も姿も見えているため、なんの問題ないのだか、独り言を言ってるような情景よりも相手がいて会話をしているという風情なことも、たまにはやってみたいと思うことがある。
ひとりきりではない。必ずそばに精把乱がいるのだから、と、この頃、銀月梠は孤独に囚われることなく、どこか自由を得た気がしていた。
龍王からの処罰は今もって無い、という事は、精把乱と共に生きても良いのだと理解する。
精把乱が銀月梠の前に姿を現した。
その姿は樹木の様だ。身体は鱗の様に幹で覆われ人間のような形をしていて髪の毛は緑色で丸く膨らんでいて、ブロッコリーのような形をしている。銀月梠によって形付けられ、その姿となった。精把乱は樹木の精である。
※※※※※
あの日、いつものように、ひとり枝に座って脚をぶらぶらさせていた。精把乱は寂しがりやでシャイである。誰とでも仲良くなれないおとなしい精で、同精の者たちとも心通わす事ができなかった。
突然、目の前に現れた銀月梠に見惚れてしまった。穢れのない真っ直ぐな瞳に囚われて離れられなくなった。
「誰?人間の子供?」
精把乱はとても興味を持った。まだ幼さ残る子供であるのに、こんな闇の中一人でいた事に驚く、普通の子供ではない事だとすぐに理解した。
ーーきっと友達なんかになれるはずないんだ。ぼくは醜い精なのだからーー
姿のない精把乱はずっと、そっと、間近で銀月梠の日々の生活を覗きみていた。
そして、銀月梠の真似をした。
小川で顔を洗うと横で一緒に洗ってみる。
本を読んでいる時、横からそっと本を覗きみる。ご飯を食べる時、ずっと口元を眺めている。散歩する時少し後ろをついて歩く。長閑村が朝になると銀月梠がベッドに入る。と、精把乱も床に横になった。
ある日、銀月梠がどこかへ出かけ行くので、後をつけてみたけれど、道の途中で見失ってしまった。どこへ行ったのか気になって仕方ないけれど、仕方なく、もと来た道を戻って、家の前の門樹木の藤の枝に座って帰宅するのを、ずっと待っている。
と、多くの書物を重そうに持ち帰ってきた。精把乱は戸口を開けてやった。
銀月梠が楽しげにそれを本棚に並べて、眺めるその姿の傍で同じように棚をみあげている
書物に憧れを持った精把乱、毎日その本棚の本を眺め見ていたのだ。
手に取って読んでみたいと願うも、精の精把乱には本を手に取ることができなかった。
樹木は触れることができるのに、なぜ本は手に取れないのか、
「書物はこの世界の者が作った物ではないから、仕方ないんだ」
独り言のように呟く銀月梠、精把乱は、銀月梠を見やった。
ーーどうすれば、この本を手に取って読むことができますかーー
と訊ねた。
「もう少し、待って、私が必ず精把乱に本を読ませてあげるから」
銀月梠はその心根を思いやり、毎日気配を感じながら、呪文を学び、唱え、形を与えてやった。気づくと精把乱は本を手に持っていた。
嬉しさのあまり涙を流していると、
「どれを読んでも構わない、好きな時、好きなだけ読めばよいからな」
と微笑んでいる銀月梠を抱きしめた。
神である事を承知していたが、感動のあまり一線を超えてしまう。慌てた精把乱はすぐに膝をついて詫びた。
「大丈夫だ。精把乱、まだ私も未熟者、本当の神にはまだ程遠いから」
その恩を精把乱は忘れることなく、それからずっと、銀月梠のそばで献身的に支えている。ただ身体中は幹であるが故、その事が精把乱にとって多少の苦痛にもなっていた。
要は見栄えの事である。そのため身を隠し日々過ごし、少しでもその容姿を隠そうとしている。
その事も銀月梠は承知の上だが、敢えてそこは、そのままにしている。
精として、神から与えられた魂のままの姿がそれである。人間には生まれ変わる事はできないのだから仕方ない。
※※※※※
「童玄が私の事を想い浮かべたようだ。精把乱、長閑村に向かうぞ」
「はい、銀月梠様、お供致します」
ーー隆、大きくなったな。幾つになった、お前が生誕して以来だなーー
銀月梠は目を閉じて長閑村を透して視た。
人々が集まり闇の中で闇に陥る人々の魂を感じる。
「闇が深くなっております」
「わかるか、精把乱」
「はい、日の神様がお困りのご様子」
「では、参ろうか」
童玄が願えば銀月梠はガナバナ森から外に出ることが許される。
自動的に観音扉が開いた。
銀月梠は童玄と繋がる心結路の石畳へ進むと灯篭の蝋燭が目覚めたように灯を起こし、誘導灯のように銀月梠が歩むにつれ点灯していく、
二人は闇に堕ちようとしている長閑村へと急ぎ向かった。
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