第40話 凍りついた空城
駿太郎は大理石のテーブルに並ぶ菓子の種類の豊富さに驚いた。
この空の上のギリング城に一体どうやってこれだけの菓子を並べる事ができるのか、
チュロス、マカロン、デザインケーキ、チーズケーキ、駿太郎イチオシのレアチーズケーキ、いちごのショートケーキ、ガーナショコラケーキ、モンブランケーキ、フルーツロールケーキ、みたらし団子、五平餅、よもぎ餅、大福餅、おはぎ、きな粉餅、あんみつ、お汁粉、曹の好きな長崎カステラ等など。
よりによって駿太郎がこの世界に来る以前に足繁く通っていた洋菓子屋と和菓子屋が併設されている甘味処「こてまり」とデザインが同じ菓子ばかりである。
「バイロン、この菓子だけど」
「美味いぞ、さあ、隆、好きなものを食べなさい」
「はい、バイロン様」
返事はしたものの、初めて見るものばかりで戸惑い、駿太郎を見上げる目が潤るんでいる。
「この菓子だけどよ。見覚えある物ばっかなんだよな。
「細かいことは気にするでない、隆には初めて見るものばかりであろう。食べてみるが良い」
駿太郎の問いにかけに応えようとしないバイロンを睨みつけながら、
「隆たんよ。これ食ってみろ」
駿太郎は長崎カステラを皿の上に乗せてやった。隆は駿太郎が進めたものだから安心してカステラを少し
「駿さん、これ、母さんの作るふわふわ焼き菓子です」
「ああ、同じ味がするだろ。カステラって言うんだ」
「か・す・て・ら、ですか、ゆ・に・く・ろと同じですね」
「いや、全然違う」
「バイロン様、とても美味しいです」
「そうであろう。私は、これも好きであるぞ」
隆の前にマカロンがふわりと飛んできて、皿の上にぽろんと落ちた。隆は桃色のマカロンをそっと手に取って口に入れて恐々と齧る。
「うわ〜とても甘くて、美味しいです」
「そうであろう。そのお茶を飲んでみなさい」
緊張気味の頬が少し火照り桃色になった。
隆は目の前にあるお茶腕を両手で持ってふうふうと息をかけ冷ましながら飲んだ。
「これはなんのお茶ですか、とても美味しいです。僕この味、大好きです」
「そうか、そうであろう。私のイチオシの韃靼そば茶だ」
「はあぁ?韃靼そば茶だと!イチオシ……イチオシって、おめえ一体全体これだけの物、どこで仕入れてきたんだよ。これって、あの店のものだろ」
「どこの店のものか、私が知るはずもなかろう。私はこの城から離れる事は出来ぬのだからな」
その言葉の裏に隠されている情感など繰り言を言える同士のいないバイロンはひとり
孤独に耐え忍んでいる。その苦しみは計り知れない、隆はバイロンの弱みに気づいた。
「駿さん」
「なんだ隆たん」
その時、甘い匂いに釣られてユウが目を覚ました。テーブルの上で鼻をぴくぴくさせ、起き上がると目の前の菓子を見渡し一目散にショートケーキの苺に齧り付いた。
「うむうむうむうむ、美味ひい〜」
その様子を黙って見ていた駿太郎は、
「なあ、おい!ユウ」
「ん?なに駿太郎」
苺を頬張りながら振り向くと顔中、生クリームだらけである。
「おめえ、それ初めて見るものじゃねえのか?なっして、疑いもしねえで食えるんだ」
「ん?なんの事?」
「隆たんは初めて見るものばかりで食えなかったんだわ、おめえはなっして、そのショートケーキにまっしぐらで食らいつけるんだって訊いたんだよ」
ユウはショートケーキから離れて、すっとぼけた顔してバイロンを見つめている。バイロンも黙ってユウを見ていた。二人の様子が
奇妙に感じた駿太郎は立ち上がりユウの襟首を掴んで自分の顔の前にぶら下げた。
「おい!ユウ、応えろよ」
「駿さん」
「なんだ隆たん」
駿太郎が隆に気を取られている間にユウは素早く駿太郎の手から逃れた。
「チッ!」
ユウを睨みつける駿太郎。
「僕、気づいた事があります」
駿太郎はバイロンを睨みつけ、隆に目を向け目線を合わせるように腰を屈めた。
「バイロン様は、お辛い事があるようです」
「そうみたいだけどよ。俺の訊いことに応えねえのが!ムカつくんだよ。だったら隆たん自分で訊いてみたらどうだ」
「はい」
隆はもう一度、韃靼そば茶を啜り飲み気合いを入れた。
「バイロン様」
「なんだ。隆」
隆は大理石の椅子から降りてバイロンの傍に立ち、
「僕になにかして欲しい事があるのですか」
「……さて、どうであろうな」
「僕は助けてって思っている人の声が聞こえてくるのです。おじ……銀月梠様にそれは僕の特技だと言われました。今、僕にはバイロン様の心の声が聞こえてきたんです」
バイロンは隆の心を見透かすように見つめながら黙って長い爪をピシッと鳴らした。
三人はギリング城のテーブルから別の場所に瞬間移動し立ち尽くす。
「ぎゃあぁぁ!寒いぃぃー」
ユウは全身を震わせる。みるみるうちに顔に付着している生クリームが凍った。
「ああ、寒みいってもんじょねえ。なんだ、いきなり南極大陸か」
そこは皮膚に刺さるほど冷気が占める銀世界、凍りついた無機質な景色が無辺に広がっている。
隆の全身ががくがくとし唇が蒼くなりブルブルと震え出した。駿太郎は慌てて隆を抱き上げた。小さな身体を自分の身体に引き寄せる。
「おい!ユウ!」
ユウの表情は蒼白になり、羽が凍り始め駿太郎は素早くユウを掴んで自分と隆の間に挟んだ。
「ユウ、顔の……その、クリームすぐに落とせ!ここは、一体何処なんだ」
隆はユウの頬の凍ったクリームを取ってやった。
「ありがとう……隆たん」
ユウは目を閉じて震える身体を隆の身体に押し付けながらずっと昔住んでいた地であることを思い出した。穏やかで暖かく可憐な花が咲き誇る景色。
「どうして、こんなことになってる」
遠方に見える八つの門、全ての扉が開いているのがわかる。
「駿太郎、あっちにある門だけど見える?」
「ああ、あっちにもこっちにもあるぞ、一、ニ、三、……八つある。あれがどうした」
「門があるという事はここはバイロン様の住むお城があるはず」
駿太郎は寒さ凌ぎに足踏みして周辺を見渡した。駿太郎が立っている位置から真正面の高地というより天空に浮く城がある。
「あの空の上に浮いてる城の事か!」
ユウは二人の間で小さく丸まっている。
「そう空に浮いてるお城ある?」
「ああ、ある。空に浮いてる城」
駿太郎が吐き出す息が真っ白である。
「ここは
「ユウ、白い花なんて咲いてねえ、氷に覆われてるのが……その花のことか……氷漬けの花なら……あるけどよ」
駿太郎の表情がくもる。
「どうして凍ってしまったの」
駿太郎は空城を見上げながら、なにかに引き寄せられるように歩きだした。
「駿さん、これを寒いというのですか」
「ああそうだ。寒いっていうか、極寒だ。隆たん、寒いって思う様な経験はないのか」
駿太郎は寒さに凍りつきそうになる足先を足先の先を使って擦り続け、隆の背中も摩り続けている。
「おじさんに凍らされそうになり……ました。母さんが……怒りま……た」
隆は寒さで口が上手く動かず会話がぎこちなくなってきている。
「おじさんって銀月梠の事だよな。どうしてまた、銀月梠とかいうおじさんに凍らされたんだ」
「駿……さん、寒い」
「どうして凍らされたんだ。隆たん」
なんとか気を紛らわそうとしているが、
「駿太郎……僕ら凍りついてしまうよ」
「ああ、そうだな。それより、ユウ、これ見てみろ、この女どっかで見たことあるよう気がするな。どこで見たんだろうか……あっ!教会のマリアだ」
二人は顔を上げ氷の銅像をみあげた。
「綺麗な女だな。この女、誰だ」
涙を流す若い女が手を組み合わし願っている姿がそのまま凍りついた状態でそこにある。
駿太郎は辺りを見渡して『まるで、氷河期のマンモスみてえだな』そんなことを思うと心が痛む、その痛む心はこの寒さのせいではなく、この現実に打ちひしがれ、そして今またひとつの記憶が蘇ってきたことにある。ユウはそっと正面に見える凍る女の顔を確認した。
「このお方は……ミルロン妃です」
「はあ?ミルロン……ミルロンって誰?」
「ミルロン妃はバイロン様の妃」
「バイロンの妃ってことは嫁ってことか」
「そう……。どうしてミルロン妃が凍ってるの」
「しゅん……さん、僕……」
「隆たん、大丈夫か、大丈夫じゃねえよな。バイロン!限界だ!戻してくれ!」
三人は一瞬でギリング城の中に戻ってきた。バイロンは三人を見据え、長い爪をピシッと鳴らし暖炉に火を灯した。駿太郎は二人を抱いたまま暖炉のそばに走り寄り火の前に座り込んだ。
そこにボロンが三人に見合った大中小の毛布を其々にかけてやった。メイドのルシアが隆とユウにホットミルクの入ったカップを渡し、駿太郎には四十度はあるウォッカを差し出した。それを見た駿太郎はバイロンにグラスをかざして一気に飲み干すと、暖炉の火にあの日の目をして睨みつける。刺された瞬間に聞こえてきた声を思い出した。
【死んでいる場合ではない、戻ってこい、駿翁、其方の役目はまだ終わってはいないぞ】
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