第12話 五歳児隆に心配させるの巻

 夕食を終えた童玄一家、


「それじゃあね。隆たん」


「はい、翠さま、今日はご馳走様でした」


「はい隆たん。気をつけて帰ってくださいね」


 翠は童玄に対して丁寧に頭を下げると、優しく微笑みながら隆に手を小さく振る。


「すぐそこだけどね」


 浩はにやにやと薄笑いを浮かべて怜を見る。


「浩!母さんを茶化さないで」


「だって!本当に、すぐそこだし、気をつけて帰ってって、すぐそこだから〜。そうでしょ。すぐそこ〜ねっ〜隆〜た〜ん」


 隆は可愛らしく微笑んだ。すると浩は


「隆たんは〜本当に〜かわいいね〜」


 と頭から顔まで撫で回す。


「もう!やめて、浩……隆が困ってる」


 隆はいつでもされるがままだ。浩は甥っ子の隆が可愛くて仕方がない。どんぐりお目目の大きな瞳が愛嬌たっぷりで、下膨れの頬もふにゃふにゃしていて触り心地がとても良い。


 怜は浩の手を隆の顔から払い避けるがそれでも浩は隆を撫で回す。


「だって〜本当にかわいいんだから〜痛っ」


 浩は翠に尻を叩かれた。翠はキッ!っと目を細めて睨んで、


「やめなさい、浩!」


「はい、はい、母様〜隆たんが可愛いすぎるからでしょうが〜」


 浩はフン!と顎を突き上げ壁に据え付けられている棚の上に置いてあるランプに火を灯した。


「では、母様、今日はご馳走様でした」


「童玄様、またいらしてくださいね」


「はい、またお邪魔させていただきます」


「じゃあね、母さん、浩」


 怜は母をギュッと抱きしめた。外に出ると浩は童玄にランプを渡す。家屋から一歩外へ出れば真っ暗闇だ。長閑村は見渡す限り暗闇でひっそりと静まり返っている。


 この夜空に月はない。長閑村の夜空に月は滅多に御目見えすることはないのである。


 楊宅から目の前の丘を登れば、我が家が見える。しかし、慣れた畦道といえども小川に落ちては危ないと童玄は足元を照らすランプを右手に持って、左手は隆と手を繋いでいた。


 その横を怜は大事そうに器を抱えて我が家を見上げる。


「あら?駿さん火を灯してないわ」


 ふと足を止め三人は共に我が家を見上げた。宅も小屋も真っ暗だ。


「もしかして、駿さん寝てるのでしょうか」


 隆は童玄を見上げる。


「寝るにはまだ早いのではないかな、だけどランプの火くらい灯すでしょう。駿さんの部屋が暗いのは、なにかあったのかも知れませんね。急ぎましょう」


「もしかして!傷口が開いてしまったとか!とか?大変!」


 怜は駿太郎の腹から出血している妄想を膨らませて、足早に丘を駆け上がる。童玄と隆も後に続いて、二人はそのまま小屋へと入り、怜は宅に入ると手土産の料理の盛った器を食卓に置き、手際良くランプの火を灯した


「駿さん!ただいま!美味しい料理ありますよ」


 隆は声をかけながら階段を上がる。童玄はランプをかざし部屋をしげしげと見た。

 部屋の天井から吊り下げられているランプに火を灯すとその灯りが部屋全体を照らし出し見渡すことができた。


「父さん、部屋がきれいになってます。でも駿さんがいない」


「この様に整理整頓し、この物置き小屋をひとつの部屋のように姿を変えてしまうとは、駿さんはとても几帳面ですね。片付けた後、どこへ出かけて行ったのでしょうか」


「父さん、曹先生のところでしょうか」


「そうかもしれないですね」


 二人は急な階段を難なく下りると怜が階段下で待っていた。


「いないの?」


 二人が頷く、


「どこへ行ったのかしら?行くとしたら、曹先生の所しかないわよね」


 怜は一階のランプにも火を灯した。小屋の一階は明るくなったけど三人の表情は暗く、なんとなく落ち着かない様子で、揃って小屋の外へと出た。


 真っ暗な闇を眺め見る三人、暗い夜道の向こうのほうでランプの灯りがふわふわと小さくひとつ見える。どうもこっちに向かってきているようだ。


「駿さんだ!」


 沈んだ顔から一気に高揚した隆は笑顔になる。


 童玄の手を引っ張って前に歩み出た。童玄も怜もほっとして安堵感に包まれる。


 そのランプの行先を眺めているとどんどん近づいてきて、暗闇に浮かぶランプの灯火が直ぐそこに来た時、三人は一気に落胆した。


「童玄師殿、どうなされました。怜様も隆たんも、なにやら浮かぬ顔して」


 小屋から漏れ出る灯に浮かぶ三人の姿を目にしたそうが声をかけた。一緒に来た李静りーじんが素早く隆に駆け寄り顔を覗き込む。


「隆たん元気がないですね」


「……李静さん」


 李静は隆の前に腰を下ろしてランプを地面に置くと顔を近づけ額に手を当てた。


「隆たん、大丈夫ですか?曹先生、隆たん顔色が良くないです」


「あれれ、どこか具合でも悪いのですかな?」


 曹も隆の顔を覗き込み、優しく頭の上に手をのせた。


「隆、大丈夫?」


 怜は寂しそうな表情の隆の頬を両手で優しく包みこみ、


「ねえ、先生、駿さんどこへ行ったか知りませんか」


 気落ちしている隆の肩に手をかけて腰を下ろした怜は曹の顔を見上げた。


「なんですと、駿さんがいない。怜様、どこへ行きなさった?」


 怜は思わず眉間に皺を寄せて口を尖らせた。


「先生?私が訊ねてるの、どこへ行ったか知りませんかって」


「いやはや、わたくしも駿さんに用事があってこうして参ってきたのですが、どこへ行ってしまったのやら?」


「行ってしまった?」


 隆は曹のその言葉を受け止めて考えた。


『なあ、隆たん、俺を見つけた所に連れて行ってくれねえか』


 駿太郎があの時、何気に言った言葉を思い出した。それ以上なにも言わなかった駿太郎だったから、隆はすっかりその事を忘れていた。童玄と繋いだ手に力が入る。


「隆、どうしました」


 隆は眉を寄せて童玄を見上げた。


「父さん……もしかしたら、駿さん、ダグラナの森へ行ったのかもしれません」


「えっ?森へ……」


 二人は真っ暗な闇の山の方を向いた。


「それはいけませんな。童玄師殿、これは、一大事ですぞ!」


「童玄師匠!先生!大変だ!駿さんは神の森へ入ったんですか!それは!一大事!出てこれない」


 李静はパニックを起こし地団駄を踏みながらくるくる、くるくる、回っている。


「李静さん……」


 隆は口をぽかんと開き滑稽な李静を見やった。


「李静さん、落ち着いてください」


 童玄は手を差し出して静止を促す。


「そんなの!無理です!落ち着いてなんていられません!神の森に入ったら、入山したら、勝手に入ったりしたら!二度と出てこれなくなります!死んでしまいます!」


「父さん!駿さん死んでしまうんですか!」


「李静!その、くるくるくるくる、くるくるくるくると回るのは、そんなに面白いのですかな」


「えっ?面白い?先生!私は面白くてくるくる回ってるのではありません。身体が勝手に回るのです」


「まあ!李静さん……身体が勝手に回るの?不思議な身体ね」


 相変わらず暢気な怜だが、隆はグッと目を見開いて、


「母さん!なにをそんなのんきなことを言ってるのですか!駿さんが、死んでしまうんですよ」


「李静!」


「なんです!先生!」


「くるくるくるくる回ってるくらいなら、村の一軒一軒の母屋をくるくると覗いて、駿さんがいないかどうか確かめて来たらどうですかな」


「はい!先生!そうします!」


 李静は足元のランプを手に取ると、


「隆たん!駿さん捜してきますね」


 今、来た道を大急ぎでかけて行った。その後ろ姿を見送った童玄は、隆の頭を優しく撫で


「隆、心配いりませんよ。駿さんは無事に戻ってきます」


「本当ですか?」


「童玄が言うなら間違い無いわ、隆、大丈夫よ。ねえ、先生、先生の大好きなふわふわ焼き菓子ありますけど、どうなされます?」


「なんですと!どうなされますもなにも、そんな事、決まっておりますがな。ふわふわ焼き菓子!もちろん頂きますとも!」


「先生、どうぞ母屋にお入りください」


「童玄師殿、では、お言葉に甘えてお邪魔いたしますな。隆たん!ふわふわ焼き菓子ですよ。ふわふわ焼き菓子!」


 曹はふわりと跳ね上がる。ふわっふわっと雲の上を跳ねるように童玄と怜の後に着いて行った。


 隆はいくら童玄が大丈夫だと言っても心配する気持ちは変わらない。


 ひとり、闇夜を眺め、李静が戻ってくるのを待っている。


 隆はまた山を見た。いつも見ている森の残像が闇の中にうっすらと浮かび上がる。


「神様、駿さんを殺さないでください。お願いします」

 

 隆は唇をグッと噛み締め、目を閉じて祈りを捧げた。



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