第6話  なんなんだこの気持ち…… 

 りゅうが駿太郎と対面して一週間が過ぎた。


 今日は抜糸の日である。傷口の大きさや深さから目安より三日ほど抜糸の日を遅らせた。


 まだ多少の痛みがともなう身体で無理がきかない駿太郎は童玄宅の横に隣接する子供たちの学校の小屋の二階の物置部屋に間借りすることとなり面倒を見てもらうことになった。


 本宅の居間の食卓に童玄どうげんと隆と駿太郎の三人は椅子に座り童玄の「いただきます」の合図を待っているのだが、

その前に……。


「本日の昼食の献立は、そんさんから頂いた。とうもろこしのスープと今朝、焼きましたパンとトマトとブロッコリーとじゃがいもを使ったサラダと青梗菜の胡麻油炒め、小籠包です」と、れいは料理人のように気取って言う。


「見ればわかるだろうが」


 隆は慌てて唇に指を立て、


「しっ!駿さん!しっ!」


 と言いながら怜の顔色を伺うよう見上げた。怜の頬がみるみるうちに膨らんでいく。


 怜は駿太郎が共に食卓を囲むようになってから、益々料理に励むようになり食卓に料理を並べ皆が席に着くと同時に一通り料理を説明するようになった。


「駿さん!黙って聞くものよ!」


 怜は少々おかんむりである。


「はい!すんませんな、怜様、怜様の料理はなんでも旨いから、説明なんていらねえだ。あったけえ物はあったけえ〜うちに食わねえとな。なあ、隆たん!」


 隆は返事ができなくて童玄の顔をみるといつものように微笑んでいる。


 駿太郎を立てれば怜が怒り、怜を立てれば駿太郎が怒る。五歳児の隆は判断つき兼ね眉をひそめる。怜は頬を膨らしたまま腰を下ろした。


「では、駿さん、怜、隆、手を合わせてください。感謝して頂きましょう」


「頂きます」


 三人は合掌し終えると駿太郎はすぐに、スプーンを手に取りスープを啜った。


「このコーンスープ、旨えな。本当に旨え〜

怜は本当に料理上手だな。なに食っても旨えな。なあ、隆たん」


「まあ、何食べても美味しいだなんて、嬉しいわ、駿さん、駿さんの好きなものはなにかしら?なにか食べたいものあるかしら?なんでも作るから言ってみて」


「そうだな〜。俺はカボチャのスープも好きだぜ」


「南瓜のスープ?南瓜って煮物にしか使った事ないわ。そのスープ明日作ってみましょうね。童玄もカボチャは大好きよね」

  

 微笑み合う童玄と怜、そうやっていつも二人の仲睦まじいところを見せつけられる駿太郎は食卓の下の隆の足をぽんと蹴っ飛ばす。


 その度、隆は恐縮して「すみません」と言わざるおえない。


「なにが、すみませんなの隆」


「ん?なんでもありません!」


 隆は元気に応えて「ふう〜」と力なく息を吐いた。


「こないだ食った。オレンジの実の入ったクッキー。じゃあねえな。焼き菓子か、あれ旨かったな。オレンジ以外のフルーツ……いや、フルーツじゃねえー。なんだ?あっ!他の果物でもできるのか」


 この頃、駿太郎は話す言葉に気を配るようになった。初めのうちは何も気にせず口から出る言葉をこぐごく普通に発していたが、毎回、聞き返されては話が途中になってしまう。その都度考えなければならなくなった。


 童玄はなにも気にせず駿太郎の言葉で話せばいいと言う。が、たんび、話の腰を折られては途中で何を話していたかをわすれてしまい。三人は顔を見合い頭を傾げる。そのまましばらく沈黙となり時が過ぎる。


 そのうち童玄の様に正しい美しい言葉を使う様になるんじゃなかろうかと思う。


「このスープってコーンをすり潰して、粉にして牛乳と混ぜて作るのか、なぁ、隆たん」


 駿太郎は目の前にいる怜に直接話せば良いものを、左横に座る隆に向いてわざわざ話す。

隆は黙ったまま、駿太郎を見上げていると、


「とうもろこしですよ。とうもろこしとヤギのミルクで作るのよね。隆」


 斜め向かいから怜が隆に言う。隆は少し鼻の穴を広げて思案中。


「隆たん、とうもろこしをコーンって言うし牛乳もミルクって言うし、一緒じゃねえのか」


 いつも板挟みの隆はどうして良いのか分からず結局、愛想よく微笑むしかない。


 童玄のいう通りにして、駿太郎の思うがままに話を進めると、結局こんな感じになってしまう。


 駿太郎はめんどくさそうにため息をつき、


「では、怜の言う通りとしましょう。ヤギのミルクにとうもろこしの粉を解いて、味見をしながらこの美味しさまで作り上げるのは大変なことでしょうね。隆よ」


 童玄の口調を真似て話すと怜と隆はケラケラとら笑いだす。結局のところいつも堂々めぐりでどうにもこうにもならない。傍でそのやり取りを見ている童玄は優しく微笑んでいるだけだ。


 昼食を済ませると、使った食器を木桶に一纏めにし井戸に持ち出て洗うのが、駿太郎の日課となった。


 世話になって起きながら、なにもしないでいられるほど駿太郎は不遜では無い。手際よく綺麗に食器を洗う姿を見て、


「駿さんて、洗い物上手よね。なにかそういうお仕事してたのかしら?」


 怜が小さな丸太を持ってきて、駿太郎の横に置いて座った。


「見てるくらいなら布巾で拭け」


 と手拭いを怜の膝にのせた。


「まあ、自分で洗い物するって言っときながら、これだものどう思う。童玄」


 立ち上がり布巾を隆の膝にぽんと置いて、童玄の腕に手を絡ませて寄り添った。


「チェッ!」


 隆は駿太郎が洗い終えた食器を順番に拭きながら、駿太郎の顔をいちいち見上げてると


「なんだ。隆たん」


「駿さんの鼻の下のほくろ、ほくろっていうのわかりますか」


「おお、ホクロくらいわかるぞ!」


「父さんと同じところにありますね」


「ああ、鼻の下にホクロのある奴は大勢いるぞ!あっちにもこっちにもいやがる」


「そうですか?ぼく、父さんと同じところにほくろがある人を見たのは駿さんが初めてです」


「そうか?俺の周りには百人はいたぞ」


 隆がニヤリと笑った。


「百人もですか、駿さん、うそついてますね」


「あん?」


 と顎を突き上げた。隆も顎を突き上げて真似をする。駿太郎は怜の持ってきた丸太の上に尻をのせると膝が楽になった。


「おお!これ助かるな」


 顎で丸太を示すと隆はサッと立ち上がり自分の丸太を取ってきてそこに座った。


「本当ですね。ひざが楽です」


「隆たん!それはねえだろう。五歳のくせして!」


「ごさいのくせにのくせってなんですか?」


「あん?なんでもねえ」


「駿さん!教えてください。ぼく、たくさんの言葉を学びたいのです」


「学ばなくてもいい言葉もあるだろうよ」


「でも、駿さんが話してる言葉には知らない言葉たくさんあります。ゆ•に•く•ろとか」


「あはははは!おほ!それ、牛蒡男に訊いたのか?」


「はい!村中みんな言ってますよ。ゆ•に•く•ろって、ゆ•に•く•ろってなんですか?」


「メーカーだろ」


「めーかーってなんですか?」


 駿太郎は黙って隆の顔を見やって


「めんどくせぇな」と言って、にひゃひゃと笑った。


「その後、お花お手入れもお願いしますね」


 怜はそう言い残して童玄と家の中に入っていった。花のお手入れとは、開花して枯れるまでの間に花弁を摘み取る作業だが、それで終わりではない。それを独特な手法で染料化する。


 未だかつて花を愛でたことがない駿太郎にとっていささか滑稽な姿だがその後の染料に変わる工程が駿太郎には新鮮だった。


 滑稽であることは、自分が一番よくわかっているのだが、怜に逆らうとほっぺたが落ちそうになるくらいの旨い食にありつけなくなると思い、そこは素直に大人しく従っておくのが最善だと判断した。


「正解ですね」と童玄は笑う。


 すっかり隆は駿太郎に懐いて、ひと時も離れることなく今も一緒に食器を洗い拭いて片付ける事まで共にやっている。二人は気も合うようで、互いを尊重しあっているようだ。


 居間のソファに座っている童玄と怜、怜は少女に戻り童玄にぴったりと寄り添い、ふたりの姿をにこやかに見守っている。


※※※※※


 駿太郎が診療所より小屋の二階に移り住んでからは、村人たちも、夜な夜な一階の学校で集会を始めた。


 駿太郎の先のことを考えて早速動き出したのである。皆は、久しぶりの新参者を歓迎し、駿太郎の家を新築しようと躍起だっている。


 集まる村人のために、怜は朝から焼き菓子や酒の肴を作ったりして、それなりに楽しんで準備をしていた。


 勉強机を真ん中に寄せ、料理を並べて、準備万端。皆自宅から湯呑みを持ってきて、酒作り職人の朴が持参してくる酒を注いでいく。


「俺は別にこのまま、この二階に住まわせてもらって、動けるようになったらみんなの田畑の作業手伝うのでいいと思ってるんだけど、それじゃあ駄目なのか?」


 木の枝を、ひと差し指と中指に挟み、口に咥えて、口から離すと、フッと息を吐く。


「一家の主人となるものが家を持たぬという事はあってはならぬ」

 

「大袈裟だな!エンジェルジジイ、のんびり暮らせりゃいいんじゃねえのか」


「えん……えん?その、そう先生の事なんて呼んでるんです。駿さん」


 楊浩ようはうは眉をよせて駿太郎の顔をじっと見る。


「エンジェルっていうんですよ。楊くん、天使という意味だそうな。私は天使の曹でございますからな」


 小屋には曹と李静りーじんと自治の主要者たち十人が集まっている。小さな村である故、皆家族のように仲が良い。皆は長老のような曹を見て、「天使ですか?曹先生が……」顔を見やって首を傾げていると、


「天使って、かわいい女の子のことじゃなかったかい?ねえ先生。曹先生はどっから見ても爺さんだしな。天使って面じゃ無いような……」


 口火絵を切ったのははうだ。覇は天使を頭に浮かべ曹と見比べる。似ても似つかないイメージに可笑しくなってケラケラと笑った。するとみんなもつられて笑いだす。


「何がおかしいのですかな?どっからどう見てもエンジェル曹でしょうが」


 真面目な顔でいうものだから、みんなはもっと笑って場はとても盛り上がった。闇の長閑村にそこだけ煌々と灯りが窓から漏れ、なんとも楽しげな笑い声がする。


「それより駿さん?その木の枝を口に咥えてフッと息を吐くのは何か意味があるんですか、なんだか滑稽です」


 李静りーじんは滑稽だと言いながらも、ここへ来る途中に拾った小枝を口に咥えてフッと息を吐いて駿太郎の真似をする。


「それ!私も不思議に思ってたんだ。なんですそれ?」


 診療所の横並びにある金物屋と茶葉の育成をするとうが問うた。長年煙草を吸っていた形跡のある人差し指と中指にある痕、駿太郎のその手が煙草の吸う仕草を覚えているようで、勝手に手がそうなってしまう。


「ああ、これか、これおまじないみたいなもんや。気にするな、気が楽になるだけ」


「たしかに、気が楽になりますね」


 煙草も吸ったことのない李静りーじんが気取って言うものだから、はうまで真似したくなって李静りーじんの小枝を奪い取り駿太郎の真似をする。


「うん、たしかに気が楽になったような気がするような気がする」


 再び闇夜に笑い声が響きわたった。


 こんな夜が、連日連夜、続いている。


※※※※※


「よっしゃ!終了〜」


 二人揃ってガッツポーズ。食器を全て棚に収めると濡れた布巾をそこに置いた。


「洗い物終わったぞ!童玄、俺、このままエンジェルジジイのとこ行って、抜糸してもらってくるわ」


「ぼくも一緒にエンジェルジジイの所に行ってきます」


 隆はすっかり駿太郎に感化され、舎弟のようにぴたりと寄り添い、肩を貸す。仲睦まじく家を出て丘を下って行った。


「ねえ、童玄、あの二人、相当気が合うみたいね」


 庭に出て、二人を見送る。


「そうですね」


「童玄、寂しい?」


「そうですね。この短期間で隆は少しずつでは、あるけれど、しっかりとしてきたような気がします。怜、二人は当分戻ってこないでしょう。これからどうしましょか」


「どうするの?童玄」


 怜は童玄の腰に手を回し童玄の胸に寄りかかり童玄の顎に軽くキスをした。

いつも凛々しく優しさ溢れる童玄が男の顔を覗かせた。


「ベッドに行きますか」


 その声も眼差しも色気が増す。怜はこの時の童玄の声を聴くとムズムズしてくるのだ。


「部屋で何するの?」


 怜は一応、恥ずかしがる振りをする。童玄がそんな変化を魅せるときは、決まって激しい童玄が現れる。


 二人は微笑み合って、ふにゃふにゃと身体を擦り合わせながら家の中に入って行った。


 丘を下って畦道を歩く、左手にはいろんな野菜畑が連なっている。ほうれん草、とうもろこし、人参、大豆畑と多種多彩である。


 その畑の向こう側には、米や麦の田んぼがあり、長閑村は何処までも何処までも広い。


 森深く水源から湧き出る水が小川をせせらぎながら流れてくる。それは畦道に沿って遥か彼方まで続き、畦道から小川を跨ぎ一軒ごと橋が架けられ、隣の土地との区切りとして花壇が作られ、どこの家も色とりどりの花が咲き乱れている。


 花の世話をする様になって、やたらと花が気になり始めた。色合いを見て花の状態を観察する。いつの間にやら駿太郎は植物博士になったようだ。



「なあ、隆たんよ!抜糸が済んだら、俺を見つけたところ案内してくれねえか?」


「どうして?どうしてそこに行きたいのですか?」


 不安げな顔をして、どんぐりまなこをうるうるさせる。隆にそんな顔をされると駿太郎は眉をポリポリかいて、空を見上げて「はあー」とため息ついた。


「おめえよう……そんな顔をすんじゃねえよ

なんだよ!その目……。乙女みてえな目をしやがって男だろが」


「だって……駿さん、帰りたい?」


「どこに?」


「駿さんのお家に決まってるでしょ」


 駿太郎は今まで感じた事のない感情が芽生えていることに気づいた。まだ出会って間がないこの隆が心を占める。我が子のようなかけがえのない存在になっていくような。己の心はなにを想いどうしたいのか、よくわからない。


 以前の駿太郎は公園で遊ぶ子供を見たら、蹴っ飛ばしたくなたし、保育園の近くを通るとあの甲高い声の集合体がウザくて仕方なかった。それなのに、左横について歩くこの、どんぐりお目目の下膨れの色白の穢れのない真っさらさらの天真爛漫の無垢な隆が愛おしくて仕方ねえ。


『なんなんだこの気持ち……』


 心はそこにいる隆を感じながら、遥か遠くを眺めて苦慮していた。



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