第7話  ふわふわ菓子ってなんだ

 駿太郎は上半身裸になって、敷かれた布団に横たわり、そば枕と後頭部の間に両手を入れて、天井を見上げている。


 隆はその傍らで、正座をして、そうの処置する手の先をじっと見ていた。糸切りバサミで糸を切るとプチップチッと小さな音がする。切られた糸はピンと突っ立つその先を刺抜きで摘んで取り除いていく、


「駿さん……痛くない?」


「ああ、全然平気だ」


 ちくりと感じるだけでほとんど無痛だ。


 あの時のぐさりと入った尋常じゃねえ痛み、あれに比べりゃあ、なんにも感じねえ、

あの出刃庖丁の先を思い出す。あの残虐な光景、目を閉じれば瞼の裏に蘇る。


 俺の腹の中で、ぐちゅぐちゅぐちゅと音がした。奴は躊躇もしねえで、グイグイ刺し込みやがったな。この命ある事が不思議でならねえ。刺された記憶も感覚もしっかり残っている。この傷口が何よりの証拠だ。


 全身血だらけの俺、奴も真っ赤に染まっていた。血みどろのこの手で奴の頭をガシッと掴んだ。顔に滴り落ちる俺の血を、奴は舌をべろりと出して、ぺろりと舐めて笑いやがった。


「お前もこれでお仕舞いだな」


 あのクソ野郎が吐いたその言葉を最後に俺は意識を失った。と思う。


 目が覚めた時に時事を聞かされ、隆たんが俺を見つけて、童玄が延命の藻草とかいう薬草を湿布してくれたおかげで、俺は命びろいをした。ってことなんだけど……。

腑に落ちねえことがある。


 ここは一体……何処なんだ。


 まさかここは天国というところで、隆たんは天使の中でも一番上等な天使で、すなわち、このヤブ医者みてぇな面したエンジェルジジイは本当の天使なのかも知れねえなぁ。


 どう考えても生きてる気がしねぇ。あの時、俺は見たんだ。よく言われる死ぬ間際に見るあれだ。生まれてからのこっち、俺の人生の節目、節目の歴史つうもの、これが噂の走馬灯。


 やっぱりここは天国なのか?だけど俺が天国に来れるはずがねえ、俺の行く先は間違いなく地獄に決まってるからだ。考えてもみろ!喧嘩三昧の人生で、何人半殺しにしたか、わかりゃあしねえ、ムカつく奴らを片っ端から叩きのめしてやり、悪りぃ事ばっかりして来たんだからな。


 その俺が、今、この隆たんに心奪われてるって、どういうこっちゃ!人間死んだらアホになっちまうんだろうか、


 それとも、改心したと言うことか、それならやっぱりここは天国に違いねえ。


「終わりましたぞ。くっついておるの、これで大丈夫だのう」


 隆は嬉しそうに曹の顔を見た。


「先生!ありがとうございます」


「いえいえ」


「ありがとよ、エンジェルジジイ。つかぬことを聞くけどよ、おめえ、マジでエンジェルジジイなのか?」


「はい!マジで?エンジェルジジイでございますとも、なにか?」


 駿太郎は起き上がり腹を見た。綺麗に傷口は塞がっている。


「上手いもんだな。エンジェルジジイ、あんた腕は!いいんだな」


「腕は!の、はって、なんですか?私は他にも素晴らしいところだらけでございます」


「オメエ、謙虚って言葉知らねえのか」


「謙虚?知ってますとも、でも、謙虚の必要ありませんでしょ。そもそも私は素晴らしい医者なのです。堂々たるものでございますとも、それよりも、駿さんから謙虚という言葉が出てくるとは……。そのような言葉を知っておられることが、驚きですな。なはははは」


 曹の背後で李静が細い目をしてニンマリと笑っている。


「チエッ!」


 李静は和紙の上に置かれた短糸をそのまま、きれいに折りたたんで、使用した道具一式、木盆ごと手に持って部屋を出て行った。


「いくらだ?と言っても金持ってねえし、ここでは、どうやって払えばいいんだ」


「そうですね。村人は育成しております野菜や果物、創作物やら卵やら、手料理では、煮物、焼物、酢の物、汁物、菓子にパンに、見ての通りの円座に鉄物、絵の上手い者はあの様に掛け軸、人形、竹細工。ほんにいろいろですな」


 駿太郎は黙って曹をみていると、


「あれ?謙虚なことおっしゃいましたね」


 目を大きく見開き鼻の下の人中をぐわんと伸ばして変な顔をした。


「なんだ?その顔」


「いやはや、なにをしてもらいましょうかな。

完治し力仕事ができるようになって、返して貰いましゃうか、そうですな。隆たん、怜様が創作したあの、口の中に入れると溶けてなくなるあの、なんて言いましたかな。甘くて噛まなくても、口の中で溶けるあの、焼き菓子、名はなんて言いましたっけな。小麦粉と鶏卵と砂糖を使って焼いた。口の中で溶けるもの」


「なんだそりゃ。さっきから口の中で溶けるものばっか言ってんじゃねえか」


「そう言われましてもな。口の中で溶けるんですから、駿さんまだ食べたことないのですか、そりゃもう美味しいんですよ。口の中に入れるとすぐ溶けてなくなる……」


 曹は駿太郎の細める目を見て声をしぼめた。


『そんなこと言われましても、口の中で溶けるんですから』


 曹はなにらや口の中でモゴモゴ言いながら、部屋を出て行った。駿太郎と隆は曹の後ろ姿を見送ってお互い顔を見やった。


「先生、あのふわふわ菓子を食べたくなったんでしょうか?」


「ふわふわ菓子っていうのか?」


「はい、母さんは創作料理を得意としています。そのふわふわ菓子は元々失敗して、できた焼菓子なんですが、それが、とてもとても美味しかったんです」


「失敗は成功のもとって言うからな」


「しっぱいはせいこうのもと、どう言う意味ですか?」


「意味、わからねえ」


「今!駿さんが言ったんですよ!しっぱいはせいこうのもとって」


「失敗が成功に繋がったってことじゃねえのか、詳しくなんてわかるわけねえだろ!」


 隆は大きな目をさらに大きく見開いて唇を尖らした。駿太郎はその唇を指で摘んで、


「あはは!」


 楽しそうに笑う。隆はその手をギュッと握りしめた。駿太郎も隆の小さな手を優しく握り返すと隆は嬉しそうに微笑んだ。


「よっしゃ!、帰って怜にそのふわふわ菓子作ってもらって、エンジェルジジイに食わしてやるか」


「はい!」


「どうせ、また今夜、小屋に集まるんだろうからな」


 二人は診療所を後にして、丘の上の我が家と間借り屋に戻って行った。


 結局のところ駿太郎はこの長閑村を天国と思ったようで、隆たんは一等上等な天使、その天使によって、悪たれ恐神駿太郎は改心させられたようで、こうしてここは天国と思い込んだ恐神駿太郎の長閑村での生活が始まった。






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