第4話  真っ赤な人間、目を覚ます

 隆が言う。真っ赤な人間、背中に絵のある。父さんみたいな男はダグラナ森の中で今にも息途切れそうな時から十日が過ぎたその早朝に目を覚ました。


 天井を見上げて、微動たりせず、目の玉だけを動かし部屋をぐるりと見渡している


「意識が戻りましたかな」


 そろそろ目を覚ます頃合いだと分かっていたかのような口ぶりの曹は、囲炉裏の炭を火箸で突っつき火種に、ふわっと息を吹きかけ、火をおこしながら横目で男を見やった。


 火箸ひばしを丁寧に揃えて置き、両手を床につき立ちあがる。


「よっこらしょっ、最近は一声かけなきゃ立ち上がる事もできなくてな」


 菅仕立ての渦巻き状に編みこまれた円座を愛おしいそうにさりげなく撫でる。


 過去の記憶がない曹は自分の生誕祭の日を勝手に決め、怜に祝いの席を設けてくれと懇願し、童玄はそれに合わせて怜と二人で円座を編んで贈った。


 手にした曹は、大層、喜んで涙を流したのだ。それ以来、曹はいつ見ても円座にちょこんと座っている。


 部屋を移動する際にはその一枚を持って移動していたのだが、それを見た隆が怜にその事を話すと、快くなり何枚も菅の円座をこしらえた。今では診療所のあちらこちらに置いてある。しかし曹は最初に貰った一枚を必ず自分の尻の下に敷くため相変わらず持って移動しているのだ。


 患者を泊め置く部屋の真ん中で布団に横になっている男の脇へと近づいて、顔を覗き込んだ。


「李……」


 男は目をぐあっと見開いたと思った途端、いきなり曹に手を伸ばして掴みかかろうとした。曹はヒョイっと身を交わす。


「うっ……痛ってぇ……」


 苦痛に満ちた声をあげ、包帯の巻かれた腹を抑えてつっぷした。


「あーびっくりしました。いきなり私を襲おうなど、あー食われると思いましたがな……。そんなに腹が減ってるなら、もう大丈夫ですな。無理をなさらぬように、せっかく塞がった傷口が、また開いてしまいますから」


「ううっ……痛えぞ……腹は減ってねえか?いや減ってる。はぁ、はぁ、はぁ、きっ……傷口?俺は死んだんじゃねえのか」


 自分の身体を舐めるように見て、なにか想い深げに眉をひそめた。


「ならばここは、天国じゃな。私はさながら天使というわけですな、可愛らしい天使に見えますかな?」


 曹は茶目っ気ある男で、度々相当真面目な顔をして茶利言うところがある。男の瞳を覗き込み、にやりと笑って見せたのだが、

その男は怒ったようにギロリと睨み目を細めて「チェッ!」と舌打ちした。


「どっから見ても、可愛らしい、天使には見えねえな。俺の目には白髪混じりのただのジジイにしか見えねえ」


 と腹をさすりながら睨み返す。曹は負けじと、


「ジジイとな……、なんとも口の悪いお方だこと、どこに目が御付きですかな。私ほど天使が似合う者はおりませんぞ」


 男は黙って、じーっと曹を見続けた。

曹は冗談も通じぬ男だのと、亀のように首をすくめて、円座に座り、はて……どうしたものかと、目の前の壁を見やった。そこに貼り付けられている隆の描いた絵を見上げる。男は曹のその目の動きを見過ごさず、その眼差しの先に目を向けた。


「おおそうじゃった。李静りーじん李静こっちに来ておくれ」


 ペタペタペタペタと素足で廊下を走ってくる音がしたとおもったら素早く曹の前に正座して床に頭をこすりつけた。


「曹先生……わたくしは……なにか失敗をしましたでしょうか」


 ひたいを床にキュッキュッキュッキュッと雑巾掛けのように擦り付ける。


「李静、おでこで床磨きはしなくていいですぞ」


 その様子を見ていた男が「ふっ!」と鼻で笑った。


 李静は頭を下げたまま顔だけ男に向ける。


「お前によく似た奴、見た事あるような気がする……ん?」


「どうなされましたかな」


「いや……」


 男はぐっとかたく目を閉じると、親指と中指でこめかみを押さえつけた。


「頭が痛みますかな」


「……」


「あの人間。目を覚ましたんですね……」


「あの……にんげん?」


 頭を締め付ける激しい痛みに耐え、般若はんにゃようなの顔つきで李静りーじんを凄み見る。


 李静はその鋭い目つきと身体に漂う威厳、

ゾッとするような迫力に慄いて、這いつくばったまま、慌てふためくものだから、脳の思考と身体の動作が噛み合わず、尺取り虫の様に床を雑巾掛けをしながら、曹の背後に身を隠した。


「先生!なんですか、あの迫力は、私を食う気かも知れません」


 曹は男の顔を見て、確かに食いつきそうな体貌をしていると思いながらも、


李静りーじんいくら腹が空いたとて、お前のような牛蒡ごぼう男は食う気にもならんでしょうな」


「先生……そんな……」


 悲しげな顔をして見せるのだが、元々、李静の目は開いているのか、開いていないのか、分からないほど細いから、いつの時も感情を察知することは至難しなんの業だ。


「俺は人参よりも牛蒡ごぼうの方が気に食わねえなぁ。あれのどこが旨いのかわからねえ」


 李静は痩せのぎすで、顔からつま先まで茶けた色合いの肌をしている。日々畑仕事をしている事もあって日に焼けているし、主に牛蒡を中心に栽培しているので、育ての親が牛蒡に似てくるのかも知れない。

李静は焦茶色の長パオを着ているから尚のこと牛蒡に見えるのだろう。


 曹の背中からひょこっり顔だけ出して男をみた。


「気に食わねえ?気に食わねえとは、どう言う意味ですか?気に食わねえって、食う気にならないってことですか?人参も牛蒡も身体に良いものなのに、ねぇ、先生」


 男は李静から視線を逸らさず「チエッ!」と舌打ちし、布団に手をつき腹を抱えて立ち上がろうとするが、10日余りの眠りから覚めたばかりの脚には力が入らず、身体はゆらりと揺れて倒れそうになった。

「あっ!」李静は素早く立ち上がりその脇に入り込んで男を支えた。


「すまねえな」


「いえ」


「無理をなさらぬ方が良い、まだ身体は本調子ではないのですよ。急に立ち上がるなど、もっての外、しょんべんですかな?」


「しょんべん……じゃあねぇ……その絵が気になってな」


 三人とも壁の絵を見た。


「あれは、童玄師匠の息子様の隆たんが描いた絵です」


「どうげん師匠?りゅうたん?この龍はどこかで見たことがある。妙々たる絵だな」


 男は目を凝らして絵を見つめる。妙々みょうみょうたる絵というだけあって繊細な筆遣いで、墨の濃淡が実に絶妙な色合いで、眼球鋭く今にも飛び出て来そうなほどリアルな黒龍の絵だった。


「どこかでって?」


 李静は貴方の背中の絵でしょ。という目で上目遣いに顔を見た。男はなぜ自分の背中の絵の絵だと気づかないのか不思議に思う。

李静は、細い目で曹の顔を見つめたけれど、曹は全然気づかず、男の顔をじっと見ている。


「先生、私は先生を見てます。先生はどうして、この人間を見てるのですか」


「李静は私を見てるのかね。全然気づかなかった。もっと目を見開きなさい。そうでないとわかりませんがな。ねえ」


 と男に振ったが男は知らん顔して絵を見ている。


「さっきから、人間、人間って言うけどな。そう言う時は人って言うもんだろうが」


「隆たんが、真っ赤な人間!って言ってましたので」


「真っ赤な人間?」


「そうです。貴方のことを真っ赤な人間って、人間と人とは一緒の意味ではないのですか」



「李静、人間というのはやめなさい」


「だけど、隆たんが……」


「とりあえず朝飯にしましょうかな。李静、朝食の準備は出来ておりますか?」


「あっ!はい、先生」


「ところで、あなた様をなんとお呼びしたら良いですかな。御身の名は覚えておられますか」


 男は曹に振りむいて、口角を上げ、ニヤリと笑った。


「ああ、覚えているとも!俺の名前は、恐神駿太郎だ」
















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