第10話  間借り屋の二階にて

 童玄宅の横の小屋の戸は解放され開いたままである。この小屋は日の出と共に開き日が沈むと閉じる。


 一階は子供たちの教育の場で机が並び整理整頓がされ、黒板には童玄の丁寧な文字が書かれている。


 絵に描いたような先生ぷりで教え方もそりゃ素晴らしく、分かり易い、俺も童玄に教われば、もっと勉強できてたかもと思う駿太郎。


 傷口は不思議なほどに目立たなく痛みもすっかりなくなった。


 駿太郎は小屋の二階のベッドで横になり天井を見上げている。本宅の童玄一家は怜の母の楊翠宅へ出向いていった。


 母親と一緒に暮らしている弟の浩の縁談話の件で翠から相談があると言われ赴いている。駿太郎も誘われたが断った。家族五人水入らずの所を、邪魔するのは忍びなく思ったからだ。


 『ちなみに今、俺が横になっているこのベッドは大工の弦雷雲げんらいうんさんが作ってくれたんだとさ』


 『見知らずの俺のためにわざわざって、有り難ぇよな。弦さん宅はここから結構、遠方にある。エンジェルジジイの診療所よりまだ向こうだ』


 エンジェルジジイのその診療所は村の中心部にあり、何かあっても同じ距離で往診できるようになっている。


 童玄の話は本当に理にかなっている。『あいつは本当に頭がいいんだろうな。あそこまで完璧だと、誰も頭が上がらねえって理解ができる』


 『尊敬されるの当たり前の前田のクラッカー。なんだクラッカーって』


 『そんでもってこのベッドが横になると瞬殺でぐっすり眠れる。睡眠導入剤なんていらねえぞ』


 『つうくらい、寝心地最高だな。まあ、ベッドのクッションはこの村の女達が作ったって事だからみんな助け合って生きてんだと知った』


 『その昔は、俺の国……でも物々交換で、生活していた時代があったと話に聞いた事があるような、ないような。ところで、この「俺の国」って言い方、エンジェルジジイが言った言葉だ。やけに耳に残りやがる。そして使いたがる?使いたがってるのか?正直いうと、段々薄れていく過去の記憶の中の言葉も忘れているような気がするんだ。童玄の言葉使い真似し過ぎてるせいかも知れねえ。なっ!』


 『だけど、俺は意外にここでの生き方は好きかもしれねえ。おっ!そうそう、不思議と今のところ腹の中は疼く気配がねえんだ。ここの気候のせいだろうかと思いながら腹をまさぐる。傷口も痒くねえ』


 『その昔、喧嘩負け知らずの俺は、かなり無茶をやってきた』


「名誉の負傷」などと大口を叩いていたあの頃は創傷の後が痛むこともあった。


 そんな時は決まって翌日には、雨が降ったものである。駿太郎が意識を取り戻してから、この村は一度も雨が降っていない。


 どうやって水は湧き出でるのかと気になった駿太郎だ。


 このところの駿太郎はやたらと事を追求したがる。多分、それは隆の影響が大きいのではないかと思っている。


『雨が降らねえのは不思議だよな。だからズキズキするような痛みも起きねえのか、てか、完治が早くねえか』


 『まあ、あの世まできて辛い思いしなくてもいいって話なのか……もしれねえ』


 『つうか、ここは本当にどこなんだ。

なんとなく中国みたいな雰囲気だろ。でも中国語を話している奴は一人もいねえ。なっして日本語が通じるのか?うわっ、隆たんみてえじゃねえか』


 『童玄にそのところを、訊きてぇ気もするんだけど、なんか、あいつにそんな事、訊いたら馬鹿にされそで……ちょっと躊躇ってる』


 『ここに辿り着いて、多分、一ヶ月くらい経ったんじゃないかと思っているんだが、

カレンダーがない故、今日が、何年、何月、何日、なのかさっぱり分からん!』


 『それに付け加えて時計もない。今、一体、何時なんだ!』


 『俺の住んでた部屋にはあらゆる所に、カレンダーがかけてあったと思う。例えば、玄関、トイレ、洗面所、キッチン、リビング、書斎、寝室と、そう時計もあっちこっちに置いていた。と思う。多分……置いてた。気がする』


駿太郎は日々時間に追われて生きてたいたんだろうかと考えてみる。記憶の中に垣間見える。ここでの生活は、日が昇ると目を覚まし、日が沈むと寝支度をする。


『まるで原始人みたいじゃねえか』


『まあ、郷に入っては郷に従えって事なんだろうけとど、そんでもって、村人達が俺の家を建てるとか言ってくれてるんだが、

俺はこの間借り屋の二階で充分だ


 『意外に居心地よくて、この木の匂いも落ち着くし、なんてったって!怜の飯がすげぇ旨いときてる。あの飯が食えなくなるのは、死活問題だ』


 『通ってくるのは、ちょいと小っ恥ずかし気がするしな、なんとか新築の話は断らねえといけねえ』


 『しかし、あの摩周湖みたいな湖、我心の泉だったよな。あの空に浮かんだあのモヤモヤした中に微かに見えたあれってなんだったんだろうな』


『あいつが神様つう奴だとすると、俺は神様に会ってしまったって事になる。俺は信仰なんてしてなかった気がするし、そんな神なんぞいるとも思ってなかった筈』


 『信じるのか?信じないのか?俺次第って事だから、信じるのか?信じないのか?信じるのか、信じないのかのか?どうちなんだよ!駿太郎』


 『イラつく!』


 『神の存在なんかあるわけねえ、神がいるなら、こんな不平等な世の中じゃねえだろうって、思ってた。思ってた!間違いなく思ってた。よく海に向かって叫んでなかったか?


 だけど俺はこの目で見たし、感じた。

隆たんから抜け出て行ったあの物体。


 この時点でマンガみてぇな世界観だけど、確かにみた。俺は今、その真っ只中にいるってわけで、それを受け入れなければならねえのか「はあ〜」今、目の前に長パオが二枚、壁にかけてあるどう見ても真っ白なんだ。まるで棺桶に入る前に着せられる白装束みたいだよな。なのに袖を通すと紅色になる。なんでだ!意味わかんねえ。


 ほんとにマンガの世界。


 どう解釈したらいいんだ。頭がおかしくなりそうだぜ。


 つまり、俺色が紅色つう事だよな。童玄曰く、解放の色?理解不能……。意味わからん!考えるのやめた』


 駿太郎はベッドから起き上がり、ベッドの縁に座り部屋を見渡した。今までは傷が痛くて何もやる気にならなかったけど、このごった返している部屋は、駿太郎的に許せなく感じ動き出した。


 駿太郎は見た目と違って意外と豆で部屋の模様替えなど趣味で特技だったりする。


『俺はインテリアデザイナーとかだったりしてな』


 などと呟きニヤリと笑う。


 この部屋は階段を上がってきたら竹を編んだ昔風の籠が所狭しと積み重ねてあって、適当に置いてあるだけでベッドが置いてある所まで、なんとか通れるスペースがあるだけである。元々物置として使われていた部屋だ。


 下手をしたら階段下に転げ落ちそうになりそうな、境のないそこに籠を重ねて置いてみたらどうかと考えて並べてみた。


「おー。壁ぽくなったじゃあねえか」


 そこに籠を置くだけで壁ができて区切りとなった。


 籠を隅に寄せると、四畳半程の広さの部屋になった。

『それなりにいいんじゃねえかな』

簡単に持ち上がらない籠がひとつある。駿太郎は籠の蓋を開けて中を見ると、書物がぎっしりと詰まっていた。


 ひとつ手に取り開いてみると、難しい漢字ばかりで読めた物ではなかった。そのまましまって力一杯、籠を押し隅に寄せた。


 駿太郎はパンツ一丁で、腕を組んで満足げに微笑む。


「俺って、センスいいよな。ふふん!」


 綿のゆるゆるパンツでは格好がつかない。

背中の黒龍の刺青の威光も半減。


 小さな窓からは丘下が見える。


「いい眺めだな。最高やん!」


 パンツ一丁の姿もまあまあの眺め、


「部屋着が欲しいな……」


 取り敢えず真っ白な長パオに袖を通した。

着るとやはり紅色に染まる。


「マンガやな……」


 駿太郎はガックっと項垂れた。


「郷だな……郷」


 と言い聞かせる。


「怜に、部屋着を作ってもらうか」


 駿太郎はふと長パオに隠れていた後方の柱を見た。


「俺みてえだな、傷だらけ」


 小屋の大黒柱には無数の傷がつけられている。駿太郎はその傷を指でなぞる。


「傷っていうより印みてぇだな」


 ああ……。なんとなくわかった。


 これって、よく昭和のドラマなんかで子供の成長を記すやつじゃあねえのか?


 なって言ったっけかな。


「はしら〜のき〜ずは おとと〜しの ごがついつかの せいくらべ ちまき食べたべ にいさんが〜 はか〜ってくれた せいのたけ」


 だっけ?鼻歌なんか歌ってら、


 あははは〜……はあ〜。


 駿太郎はベッドに腰掛けた。

そろそろ、畑の手伝いやら、果物の収穫やらなにか手伝いみたいな事しないといけない気がする。一日中ぶらぶらしてるのもつまらねえし、そういうわけにもいかねえし、なんて思いながら、さっきからどうしても、柱の傷が気になって仕方がない。


 窓からは心地よい風が部屋の中を通り抜ける。ふと、窓の外に目を向け、風の向かう先が見えた。それをずっと眺めていると、その先にある森が、なぜか気になってしまう。


「そういやぁ、あの森には行ったことがねえな」


 今日は夜まで、童玄一家は帰ってこない。


「なんか一人でいると独り言ばっか言ってるな。隆たんがいねえとつまんねえな。探検でもしてくるか」


 駿太郎は窓を閉めて階段を下り外へ出て。ふらふらと森に向かって歩きだした。








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