Ep.8 アルトの音源分離

第37話 必要なのは少しの勇気

 帰宅して少ししてから、僕のスマホに通知が来た。


 どうせ〈チョコチャット〉だと思い、ロックを解除するとやはり僕の予想はあっていた。



 どうやらヒイラギが送ったようで、その内容は「一ノ瀬陽菜の遺書」だった。


 本人は【思い出せるところまで書いたが、所々間違っているかもしれない】と保険をかけていたが、その内容のほとんどが合っているはずだとも言っていた。


 自信があるのか無いのかよくわからない奴だ。


 僕はその遺書の内容を熟読したあと、イフからまた新しいメッセージが来たことに気付いた。〈不確定要素〉のところに送られていた。



「一体どうやってこんな情報を……」



 送られてきたのは一ノ瀬陽菜の個人情報。彼女の父の死亡時刻や死因、そして一ノ瀬陽菜の自殺を止める材料になるものが長文で送られてきた。


 中には性格や行動パターン、生活ルーティーンも詳細に書かれていて、その細かさはストーカーを超えている。というより、こういう情報を一切の躊躇いなく調べて僕たちに知らせるイフの神経は一体どうなっているのだろうか。


 ……もしかしたら僕も調べられていたのか? と考え全身が震える。



「……ん?」



 またイフからチャットが来た。今度はグループでは無く、個人チャットだった。




【いつでも出られる準備をしておいてくれ】

【万が一の事態になったら、アルトにも動いてもらわないといけない】



 いつ何が起こるかわからない今夜。どんなことが起きても対応できるように準備しておくことは大事かもしれない。


 けれど、僕の家から遠い場所で死のうとしていたら、僕には止めようが無い事だ。




【自殺する場所のめどはついているの?】




 僕が返信すると、すぐに返ってきた。




【彼女にとって侵入リスクが低くて、人が死ねるくらい高い場所】




 僕はその言葉の意味を考えた。


 彼女にとって侵入リスクが低いということは、きっと彼女にとって身近な場所か、監視カメラが無いような場所を示す。〈不確定要素〉の方に送られた情報と照らし合わせながら考えるが、これといった答えに辿り着かない。


 そしてここは人工島。異常なスピードで開発が進んでいるのもあって、高層ビルも数多い。この地区は住宅街が多いが、島全体でみると飛び降りられる場所なんていくらでもある。




【そう言っている間に、ターゲットが動き出した】




 イフの返信に目を通し、いつでも家から出られる準備をした。


 そして、すぐに答えを聞くのではなく、僕は僕なりに彼女の行き先を考えた。


 イフが送ってくれた個人情報の中には、彼女の実の父親の記述もあった。


 それは都内の会社で社員が飛び降り自殺をしたというネットニュースの引用。末尾にはURLも載っていたのでそれをタップする。


 そのネットニュースは、イフがまとめてくれた通りの内容しかなかった。遺書の存在を示唆されているが、内容までは載っていないようだ。


 無駄足だったか、そう思ってサイトから去る。そして〈不確定要素〉の情報に目を通すと、死亡時刻はやはり五年前の今日、二十三時二十七分。



「同じ時間に死のうとしてるなら……」


 僕は時計を見た。二十三時十八分。



「え……」


 もう時間が無い。今更ながらに気付いた。

 すると僕のチャットにまた新しいメッセージが送られてきた。イフからだ。




【学園前に現れた】

【急いできてくれ】

【進んでいる方向から普通校舎に向かっている】




 学園が彼女の選んだ死の場所だったのか。


 僕は荷物という荷物を持たず、スマホをポケットに入れて玄関から出た。


 真っ暗でありながら空の青さを感じる深い夜空。点々とする星が僕を見守り、半月の光が僕のいるこの場所に明かりを届けていた。


 僕は何の迷いもなく、目の前の柵に足をかけて飛んだ。住宅を仕切るフェンスやブロック塀の上を颯爽と走る。先日の朝は遮られた場所も難なく過ぎて、小さな水路が目の前に迫ると、勢いよく飛んで両手を地面に付けて衝撃を和らげた。


 似たような動作を暫く繰り返し、僕は学園に着く。


 普通校舎の屋上を見上げると、そこには人影が見えた。


 息を整え、考える。


 どうやったらあの場所まで短時間で行ける?


 階段では効率が悪い。じゃあ何を使えばいいんだろう。



「……一か八か」


 覚悟を、決めた。





 普通校舎の窓に向かって、助走をつけてから「左、右、左」とリズムに乗せて高くジャンプする。あと少しのところで二階の出っ張った壁に手がかかりそうだったが、指先をかすっただけでそのまま落ちてしまう。


 両足で落ちて、バランスを崩すことなく着地はできるが、足全体が痺れに苦しめられる。


 痺れに苦しむ足を無理やり動かして、また同じことを繰り返した。


 今度は手が二階の出っ張った壁にかかった。そのままもう片方の手もかけて、腕の力だけで全身を持ち上げた。



「ここまで来れば……」



 もうこっちのものだ。

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