Ep.7 咎峰柊が暴いた愛

第35話 理解の範疇を超えて

 全身を不快感交差った。外側だけでなく内側までまさぐられ、自分を構成する全てのものをアイツに見られたような、そう表現するしかない感覚に襲われ続けた。


 俺が現実へと戻れたのは、どうやら五月十九日の朝だった。


 悪夢の果てに飛び起きた。どれだけ汗をかいたのかさえわからないほどに、枕やベッドシーツがぐっしょり濡れていた。いつの間にか着替えさせられていたパジャマなんかも、言うまでもなく濡れていた。


 俺は部屋に用意されていた別の服に着替えて、普段執筆するのに使っている椅子に座って、あの時のことを思い出そうとした。





 確か俺は深夜の学校に行って、〈群青システム〉が怖くなったから洗脳強度を下げようとした。けれど、俺の不審な態度からイフが誤解して、それから……。




 俺は悪役になってやろうと思ったんだ。



 そうだ、それだ。


 でも結局は上げることも下げることもできていない。俺がパソコンに触れる前に、イフがおかしなことをしたんだ。


 急に指を目に近づけて、明らかに普段のイフとは違う声で、確かにこう言った。




「ごめん、自分は君を嫌いになれない」と。




 あの声を、あの言葉を、あの日を、あの時の全てを思い出そうとするだけで、俺の内臓がぞわぞわっと震えあがる。そこには恐怖があれば、締め付けられるような痛みもあり、その時を思い出させまいとする謎の力がかかっているように思えた。


「あの時のイフは一体何だったんだ……」


 それがイフではない別の何かというのはわかっている。姿形は全く変わらないのに、中身が丸ごと別人のように変わった、そんな感覚だ。


「それに……あの不快感」


 誰もが知っているような外側から、誰にも知られたくない心の内面まで隅々を見られたような感覚。あれは決して夢ではない。本当に見られたのだ。イフじゃない、得体の知れないアイツに。


 それでも気を失っている間に、どこかで睡眠に切り替わったのだろう。これが夢という括りにされるのであれば、どれだけ良いだろうか。


 いつもの俺であれば、あの時のことを今すぐにでも確認しようとしているだろう。イフに連絡を取るなり、直接電話するなり、今すぐ動くことはできたはずだ。


 それなのに、今の俺はすっかり怯えてしまって何もできず、ただ一人で考え込んでいる。


 しばらくぶりに起きたのに、このまま部屋に閉じこもっている訳にはいかないと、脳では理解しているがそれから一時間弱はこの部屋から出ることができなかった。あの時の恐怖は突然勝手に思い出され、外に出ることさえ億劫にさせるのだ。


 俺はあの出来事がトラウマになってしまったのだろう、と推測する。





 俺が部屋から出て、一階に降りてきたときに家族は温かく迎えてくれた。俺が倒れて帰ってくることは珍しくなく、いつものことに違いは無いのだが、今回ばかりは事情が違う。


 今まで丸一日も眠っていたことは無く、家族をいつも以上に心配させてしまったことを謝罪するが、それも温かい言葉で包まれて返される。俺は改めて家族というものが如何に大事かということを自覚した。


 それから少し遅めの朝ご飯を食べて、今日学校に行くことを告げた。家族は心配するが、俺は大丈夫だと押し切った。


 久しぶりに起動したスマホには通知が溜まっていた。ほとんどが〈チョコチャット〉からで、出版社からのメールが一件も来ていないことにほっとした。


 〈チョコチャット〉に来ていたメッセージを見てみると、その全てはグループだった。誰も俺を本気で心配していないようだ。


 どうやら俺が倒れている間に色々なことを話していたようだ。その全てに目を通してから、熟考した。


 今自分がやるべきことに優先順位をつけて、冷静に考える。その際に過る痛みを無視しながら、とりあえずは学校に行くしかないという結論が出た。


 俺はその日、遅刻の連絡を入れてからゆっくり学園へ向かった。


 そして教室に着くと何人かの友人に心配される。俺はそれに対して全てに「大丈夫」「もう元気になった」と返す。実際のところ全く心が休まっていないのだが。





 俺は学園にいる間、常に一ノ瀬陽菜を警戒し続けた。それはきっと啓斗も同じことだろう。しかし、一ノ瀬陽菜に一切の怪しい様子はなく、いつもと変わらない「頼られる優等生の委員長」だったのだ。


 そしていつの間にか放課後になり、今日は収穫が無い日だったと心の内で落胆していたその時だった。


 一ノ瀬陽菜とその友人の会話がふと耳に入ったのである。


「あれ? この可愛い封筒なにー?」


 聞き覚えの無い声だった。チラリとそちらを見るとどうやら他クラスの女子生徒だった。


「んー? それはね、ラブレターだよ」


 平然とそれに応える一ノ瀬陽菜。表情は見えないが、声からして微笑んでいるのではないかと予想できる。


「えっ⁉ ラブレター⁉ 誰から? 誰から?」


 一般的に女子は恋愛話になると拍車がかかるようにテンションが急上昇する。男からしたら、そっとしておいてくれ、というのが本心なのだが、他人のスキャンダルが気になって仕方が無いのが人間の本質であるともいえる。


「私があげるの」


 え? 自殺しようとした一ノ瀬陽菜が、ラブレターを誰かに送る?


「えええっ⁉ 意外~! 結構陽菜ちゃんって大胆だね」

「ずっと好きだったから、そろそろ良いかなって」

「頑張れ~! 応援してる!」


 普通、自殺しようとしている人間は未来に向けて何かを残すことは無い。予定をつくったりすることもよく思わないケースがほとんどで、恋愛なんて例外を除いてないだろう。ましてや、今から誰かにアタックするなんて、到底理解できない。


 恋愛は、これから先に誰かと一緒に過ごして関係を深めていくもの。それが、先日自殺しようとした人間にできるものか?


 それとも、〈群青システム〉の何らかが作用して、普通行わないはず動作も行ってしまうようになっているのか?



「あ、ここにいたんだ!」



 すると、また別の声が教室の後ろの入口から聞こえてきた。



「岩村先生が君らのこと呼んでたよ? 部活関係だと思う」



 岩村先生というのは一年生の数学教師で、テニス部の顧問でもある。

 確か一ノ瀬陽菜はテニス部だから、呼ばれてもおかしくはない。



「え? そうなの?」


 一ノ瀬陽菜が返す。


「うん、なんか今度の大会についてだって。すぐ終わるから早く来いって言ってたよ」


「わかった。行こっ」


 別の女子生徒がそう言って、一ノ瀬陽菜とその周辺にいた女子は去っていく。荷物が残されたままで、ラブレターもそのままの状態で置かれていた。


 俺は倫理的にやってはダメだとわかっていながらも、「調査」という理由をつけて、「自殺に関係する資料か調べるため」と自分に言い聞かせて、そのラブレターを拝借した。


 幸いにもそれほど接着力が強くないシールが一枚止められているだけで、これなら綺麗に剥がせそうだった。


 そして、俺は恐る恐る中身を見た。






 『お父さんへ


 私はお父さんのことが大好きで、亡くなってしまった時は本当に悲しかった。でも、学校に行っている間もお父さんに見守ってもらえて嬉しいとも思ってる。

 私は高校一年生になって、新しい土地で新しい友人と過ごしてるけど、やっぱりお父さんを超えるような人はいない。

 私にはお父さんしか見えていないの。お父さんがいない生活はとってもつまらなくて、色が無くて、面白くなくて、優等生になってるつもりだけど、褒めてくれるのはお父さんじゃない別の人。

 たまに、家に居る男に褒められるけどちっとも嬉しくない。気持ち悪いから早く消えてほしいくらい。

 ごめんね。お父さんへの手紙なのにつまらない話ばかり書いちゃって。でも、私は本当に家に居る男が嫌いなの。

 あれと血が繋がっている妹の朱理あけりは気持ち悪いし、あんな男にニコニコしてる母親も嫌い。

 いっそ消してしまおうか、と思った時もあった。

 でもその時にはいつもお父さんの顔が浮かんできて、嫌いな人のことは考えないようにしてきた。だって、愛しているお父さんのことを考える方が遥かに有意義だから。

 それでね、今日はとっても大事なことがあるの!

 お父さんに会いに行くんだ! 離れてる時間が長かったから、本当に久しぶりだね!

 愛してるよ。待っててね。


 陽菜より』





 俺は手紙をそっと封筒に入れ俺が触る前と同じようにしてから、元の場所に戻した。



 何事もなかったかのように自分の席に戻り、俺はそそくさとリュックを背負って教室を出た。するとちょうど一ノ瀬陽菜とその友人が戻ってきたところだった。


 そして、彼女らが教室に戻ったのを確認した後、息を吐いて呟いた。




「遺書じゃねぇか……」

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