第30話 そして時は合う

 屋上手前まで階段を上ってきたとき、私は無意識に足の進むスピードを上げていた。周りの景色の移り変わりが早いとか、そんなことに気付けるわけが無い。

 盲目の純愛、なんて言葉が似合うだろうか。きっと似合うに違いない。


「ふふっ……」


 ダッダッダッダッ……。


 誰も聞いている人はいないだろうと思い、お構いなしに足音を立てて上る。いちいち隠している方が面倒だし、歩くのも遅くなる。


 ここを上りきったらお父さんと会える……!


 そう信じて、私は屋上の扉を開ける。


「……」


 見える限りは誰もいない。良かった。


 ここに他の誰かがいたら……、という可能性を一切考えていなかった。実際誰もいなかったからいいものの、もし誰かいた時のための良い訳を考えていないのは自分らしくない。


 優等生の私は、もっと用意周到に、念入りに、完璧に、物事をこなすのに。


 ああでも、今の私は優等生じゃない。


 ただお父さんが大好きな高校生だ。


 屋上の柵、ギリギリまで近づく。少し高いが、これぐらいなら超えられそうだ。


 まずは行動。一切の恐怖を持っていない私は無敵だった。


「飛び降りたいの?」


 突然後ろから大声で話しかけられる。


「えっ。だ、誰?」


 振り返ると、緑色と白色の混ざった髪の女子生徒がいた。

 少なくとも同じクラスの女子生徒ではない。

 ……その横にいる、男子生徒には見覚えがあるが。


「……さぁ?」


 ここに来て正体をはぐらかされる。本当に面倒だ。


 ああどうしよう、目的まで当てられている。言い訳なんて通用しない。


 私はただお父さんに会いたかっただけなのに!


「……邪魔しないでくれる? 関係ないでしょ」


 苦し紛れに出した言葉は普段の一ノ瀬陽菜とは大違い。


 横で黙っている男子生徒の目が鋭く突き刺さる。


 その心配と恐怖、そして疑念を交えたその眼が嫌いだ。


「飛び降りたいなら止めないよ。さぁ死んで」

「えっ……」


 そのまま動けない。その言葉が尖った長い釘となり、私の身体に打ち込まれ動けなくなる。


 死のうとしていることがバレたのに、止めないの?


「さぁどうぞ。早く、いいよ」


 呆気に取られて足が動かない。飛び降りようにも、ここから逃げようにも、全く言うことを聞かない足のせいで恐怖に包まれる。


「……」


 横で黙って見ていた男子生徒は同じ一年一組の甘里啓斗。普段読書ばかりしている大人しい男子だ。特に目立った点が無く、問題も起こさないからただのクラスメイトと思っていたけど、こんな問題児と一緒に屋上で過ごす人だったなんて。


 ある意味、意外だった。友達がいないと思っていた訳ではないが、そのお友達とやらが不良で……何というか私自身も混乱しているところはある。


 ただ、一つ確かに言いたいことはある。友達選びをミスったんだね、と。


「っ……」


 甘里啓斗は隣にいる自殺を推奨する女子生徒の腕を無理やり引っ張りだす。


「な、なに」


 予想以上に抵抗力が高かったのか、途中から腕を引っ張ることをやめた。次は何をするかと思えばそのまま女子生徒を担いでその場を去った。






 ただ一人、屋上に残された私は飛び降りる気にはなれなかった。


 きっとこれも何かの運命。お父さんがまだ会うなと言っているに違いない。まだその時じゃないんだ。きっとそうだ。しかるべきタイミングというものがあって、それをきっとお父さんは知っている。


 じゃあ、そのタイミングとやらが来るのはいつだろうか。


 それまで私は何をすればいいのだろうか。


 目的を失った私は静かに屋上を去った。

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