第31話 愛した証拠

 それからの時間はずっと空っぽで、心ここにあらずの状態だった。


 気になっていることは二つある。


 まずあの時私の自殺を助長したあの女子生徒は一体どこのクラスの誰なのか。そして二つ目は同じクラスの甘里啓斗くんに見られたという事実。あの状況を変えてくれたのは彼だが、決して信頼しているわけでは無いし、彼の目に映った事実を塗り替えることもできない。


 そして今は五時間目の古典の授業なのだが、彼は私のことを一切気にすることなく授業を受けている。


 そういえば、午前中と比べてこのクラスにいる人数が減ったような気がする。どうしてだろうか。昼休みに何か騒動が起きたのだろうか。


 私には関係のないことだけど、クラス全体の半分の人数しかいなかったら誰でも気になるでしょう。


 私のことも、クラスのことも、何も気にしていないように振舞っているのが甘里啓斗。もうよくわからない。


 考えるのも面倒だ。何か別の手段はないか。


 今までずっと我慢してきた欲望。やりたいことをやる解放感。


 今の私がしたい事……二番目は……。








 あっという間に放課後になった。あれだけ午前中は長かったのに、どうして午後はこんなにも短いのだろうか。


 物理的時間が短いというのも理由のうちだが、それよりもっと、私の中で絶対的なものがあった。


 二番目にやりたかったことを見つけたのだ。


 お父さんに会えれば、こんなことはしなくてもいいと思えるような欲望だ。でも、その計画を一旦中断された今、二番目を実行して、時間を置き、その後本命を叶えればいいと思った。


 頬が緩み、その表情には不気味な笑みが完成する。



 そんな彼女を監視カメラが捉えていた。





「ただいま」


 不気味な笑みはエスカレートし、迎えてくれた母親でさえも不安な表情をする。


「おかえり。……大丈夫? 何かあったの?」

「ううん。なにもないよ」

「そ、そう……。ゆっくり休むのよ」


 母親の声を聞かず、そのまま洗面台で手を洗う。

 いつ実行しようかなぁ。


「あ、そうそう。お母さんこの後買い物行くんだけど、陽菜も来る?」


「ううん。やりたいことがあるから」


「そう……。気分転換になると思うんだけど……勉強もそこそこにするのよ?」


「うん、大丈夫だよ。自分のことは自分で管理できるから」


 母親の買い物時間はそこそこ長い。今から出かけるとなると、夕食ギリギリまでは返ってこないだろう。それに加え、朱理のお迎えもついでに行くとなると、男が帰ってきたときにこの家に居る人は私だけとなる。


 これ以上のチャンスは無い。


 母親が出ていき、車のエンジン音が遠ざかる。万が一のことを考え、一応車庫を確認するとそこに車は無かった。


 父親が帰ってくるまであと一時間。準備できることは何だろう。


 包丁。雑巾。中の見えないゴミ袋。のこぎり。ブルーシート。消臭剤。庭にショベルがある。大丈夫。どれも日常で使うことがあるし、我が家で使うもの。新しく買ってくる必要は無い。



 ピーンポーン。



 インターフォンが鳴る。予想よりも早い。まだ心の準備は出来ていないが、殺す準備ならできた。大丈夫、私ならやれる。


 インターフォン越しにその姿を確認しようとすると、そこに男の姿は無かった。




「あーけーてー」




「……え?」



 幼い女の子の声。この声を私は知っている。


 男と母親の間に生まれた卑しい子。


 朱理だ。



「どう……して」



 ドンドンドン。ノックの音が響く。


 ハッとする。そういえば、朱理の通う幼稚園は週に一回バスで送られて帰ってくる曜日がある。


 それがまさか今日だったとは。いつもの私なら忘れていないはずなのに、どうして今日という日は色々なことを忘れているんだ。


 私はゆっくり玄関に近づき、ドアを開ける。



「おかえり」

「もー、おそいよ」

「ごめんごめん、別のことしてて」


 そう言ってやり過ごす。私の恐怖は朱理に伝わっていない。


 ただ、なんてことなく過ごす朱理を見て、何かが心にチクチク突き刺さる。





 ふと、思うことがある。




 私はお父さんのことが大好きだ。朱理にとってのお父さんはあの男だ。


 私にとってあの男は嫌いだ。でも朱理が私と同じ感情を抱いていたら、朱理は私と同じようにあの男が大好きだろう。


 朱理が私のように、私のお父さんを嫌って殺そうとしていたら? お互いが同じ立場で同じことを考えていたら?






 私のお父さんはもう死んでいる。けれど、朱理のお父さんは生きている……。







 あの男を殺すことは、正真正銘無駄なことなんじゃないか?






「ねぇ朱理」

「なあに? ねえね」


 キョトンとした目で私を見る。


「パパの事好き?」


 目が輝く。


「うん! 大好き!」


「そっか。パパが帰ってきたらそのことパパに伝えたら? きっと喜ぶよ」


「うん! そうする!」







 やっぱり、私がお父さんに会いに行く。


 誰にも邪魔されない深夜の学校に侵入して、そのまま飛び降りてしまおう。


 朝になったら死体を発見されるんだ。それがこの世に残すお父さんに会いに行ったという証拠になる。


 ありとあらゆる証拠は消すつもりだけど、私がお父さんを愛したという事実だけは何としても残したい。




 私は迫りくる夜のために、遺書を書き始めた。




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