第6話 僕なんか

 恐らくこの高揚感は、後になって後悔へと変わっていくアドレナリンのようなものだろう。後から痛みを自覚するように、自分が関わったモノへの恐ろしさを知るのだ。


「それで、僕はどうしたらいいんですか? あとスマホ、どうにかしてくれません?」


『スマホはすでに解除した。だからといって〈チョコチャット〉を消そうと思うなよ』


 もちろん、そのつもりは全くない。


 いつもの僕なら真っ先に消して、関係を断っていただろう。でも、今回の件は関係を断ったとしてもよくない出来事が次々に起こることを知っておきながら日常に戻らねばならない。


 仮に人が消える異変が起きたら、寝覚めが悪い。


 それなら内側で防いだ方が、きっといい。


「ありがとうございます」


『他に質問があれば聞くけど、どう?』


「そうですね……」


 思うところはあった。もっと聞きたいこともあった。

 でも、どれも一瞬の感情で打ち消されてしまった。


「この洗脳って、先生にも影響があるんですか?」


『十七回生の画面を見た人が対象になるから、先生もそうだな。まぁ彼らは大人だ。不安定な子供じゃない。自制心くらいある……はず』


「万が一、先生が暴走した時は警察も……」


『別に、警察なんて怖くないよ。ボクが怖いのは……』


 イフは何かを言いかけて、そのままやめてしまった。


 その先が気になったがそれ以上追求する気にもなれなかった。

 彼女のことを知りたいと思いながら、内面に踏み出すのが怖い。そんな僕が居た。


「あ、じゃあもう一つ。どうして、この計画に僕を招いたんですか。僕なんか普通の人間で……パルクール以外なんにもできなくて、運動神経も成績も特別良いわけでもないし」




『ボク、「僕なんか~」っていう言葉、この世で二番目に嫌い』




「え?」


 急にイフの声が重いものに変わった。彼女の発言は、常に冗談を交えてヘラヘラしている、軽めの口調なのだが、こればかりはその違いに驚く以外のことができない。


「一番目は?」


 シオリが聞く。


『あれだね、……「大丈夫」って言葉』


 大丈夫、くらい日常でいくらでも使うだろう。

 呆れるような、飽きられているような、哀愁漂う彼女の言葉。


『質問に答えよう。必要な人材だったからだ』


 僕が必要な存在? そんなわけない。でも、もしかしたら……と考えてしまう僕がいる。そんな僕が大嫌い。


「僕は主人公じゃないです。少なくとも、僕は……」


 空っぽな人間だ。

 そう言おうとした。でも、押し留める何かがあった。


『ああ、「主人公」とか、「モブ」とかいう言葉も嫌い』


 一刀両断である。


「じゃあ僕はなんて言えばいいんですか。能無し?」



『通話切る』



 ブツッ……。



 本当に切られてしまった。ただ自分を下げただけなのに、そこまで不機嫌になるのか? 悪口を言われたわけでは無いし、どうしてイフはそんなに嫌がるのだろう。

 もしくは、僕がイフの地雷を踏みまくってしまったか。


 いや、後者に違いないだろう。


「今までこんなことあったか?」


 ヒイラギが紹介者であるシオリに問う。


「面識も無いし、数回喋っただけだし、知らないし、無いよ」


「面倒だな……。なぁアルト。他に聞きたいことあるか?」


 なんせ説明役が突如としていなくなったのだ。聞きたいことも聞けなくなってしまった。


 そんな僕を配慮してか、優しい眼差しで僕の方を見つめる。


「あ、じゃあえっと、このウイルスを仕込むのって、いつですか?」


「未定だ」


 間髪を入れず回答が返ってきて、上手く表情を操れずありのままの困った表情を浮かべてしまった。


 トゥルン。


「あ、イフ、帰ってきた」


 シオリがそう言って、パソコンの画面を覗くとイフのアイコンが表示されていた。


『荒れたから頭を冷やしてきた。悪い』


「まぁタイミングは良かった。なあ、このウイルスとやらはいつ紛らせるのだ?」


 僕の代わりにヒイラギが問う。


『早ければ早いほどいい。それはヒイラギが一番望んでいることだろうし』



 ヒイラギが、望んでいる?



「ど、どういうことですか」


 焦って僕が割り込むように聞くと、イフはいつもの調子に戻ってこう言った。


『この計画——いや、一番最初に「異変を起こしたい」と言ったのがヒイラギだからだ。原案者、発案者とでも言うべきかな?』


 僕のヒイラギを見る目が変わったのは言うまでもない。

 向こうもそれに気づいて、伏し目がちになる。


『ボクは悪い事とは思わないけどねー。実際、利害が一致してる人もいるし』


 知れば知るほど闇が深そうなこの三人。空っぽな僕とは大違い。


 こんな些細な心の本音も、イフに言うを機嫌を損ねる。だったら言わない方がいいかもしれない。


「明日でもいいし、来週でも、一か月後でもいい。実行さえしてくれたら俺は」


『じゃあ明日だ』


「は、早くないですか⁉」


『問題ない。もう既に準備は出来ている。あとはクリックしてEnterを押すだけだ』



 するとシオリが純粋な目で疑問を口にする。


「私達にも洗脳って、かかるの?」


『君たちのアカウントにはダミーを流す。私にもだ。誰も見抜けないさ、きっと』


 僕の心は、興味はイフから離れようとしていた。


 その理由はよくわからない。僕の言ったことを否定されたからかもしれないし、そもそも彼女とは馬が合わないだけだったからかもしれない。


 否定されただけで、馬が合わないだけで、すぐに離れるような僕じゃないとわかっているからこそ、不思議でしかなかった。


 囚われていないのに、離れられない。


 束縛されているわけでもないのに、逃げられない。


 逃げようという気さえ、生まれない。


 でも現実逃避はしたい。イフの言葉の針が刺さって痛い。


『まぁでも百パーセントないとも言えない。万が一の事故だってあるだろう。心当たりが生まれた段階ですぐに言ってくれ。解決策は探しておくよ』


 イフの言葉が頭に入ってこない。


 ずっと、否定されたことが引っかかって、何が何だか、何もできそうにない。


「浮かない顔だな。やっぱり不安か?」


「んぇ?」


 ヒイラギに話しかけられ反射で返事をするとおかしな声になってしまった。


「何もないよ。悩み事」


 上手く誤魔化せただろうか? あまり嘘は好きじゃないし、下手でもある。


『他に質問はある? 無いなら解散。あとは〈チョコチャット〉でよろ』


 そう言ってブツッ……という先ほども聞いた音が鳴る。彼女は通話を抜けたようだ。


「ああそうだ、特別欠席にはなってるけど、いつでも授業に参加できるように言ってあるから、後はご自由に。俺は教室に行く」


「じゃあ僕も……そうします」


「私も……」


 そう言って、その場は解散となり特別校舎三階を去った。

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