第5話 可能性の濁りの無さ

 僕たち三人はイフに言われたとおりにノートパソコンの近くに移動した。テーブルの周辺に配置された椅子をシオリが集めて、三人で画面を見られるようにして座る。


 呼び出された場所に来てもイフはいなかった。予想通りといえば予想通りではあるが、少し残念な僕がいる。何を期待していたんだか。


『時間が無い。ボクからは手短に説明するから、随時わからないところがあったら言うように。よろしく頼んだよ、二人とも』


 イフの機械越しの声が、一切の雑音が紛れることなく滑らかに聞こえる。彼女の方から聞こえていた、他の誰かの声はもう聞こえなくなっていた。


『……時間は無いが、気楽にいこう。息抜きがてら質問に答えてくれ、そう難しいものでは無いから』


 そう言う彼女の言葉を完全に信用できないまま、息抜きをする気分にもなれない僕の肩は強張ったままだった。


 受験でも、ここまで緊張したことは無いのに。何が違うのだろう。何もかもが違うのだけれど。そんなことを考えてしまう。


『ボクたち、緑繊学園に通う生徒は自分が持つ携帯端末に、必ず入れなければならないアプリがある。まさか忘れたとは言わないよな?』


 この質問が僕に向けられていると気づくまでに数秒かかってしまい、返事が遅れる。


「……緑繊ガーデン+プラス、みたいな名前だっけ」


『せーかい。そのアプリはどんなことができる?』


「学園内のアンケートに答えたり、課題の提出、あと、連絡とか」


 学年ごとにグループが分けられており、僕たちは十七回生のグループに所属している。平均して、一日に二回は何かしらの通知が来る。そのほぼ全てが大事なもので、中には成績やお金に関わるものもあるため、一日に一回はチェックしないといけない。


『うん、良い認識だ』


「それが、あなた達の言葉で言う、計画にどんな風に関わってくるんですか?」





『そのアプリに、人に洗脳を施すウイルスを流し込むんだ』





 イフの嬉々とした声が何故か心地良いと思ってしまう。同じように僕の心はイフの声と共鳴していた。脳と心が乖離している、そんな気分にもなった。


 頭では駄目だとわかっている。そんな犯罪めいたことに手を出していいものか、僕の望む非日常は犯罪と同じだったのか、と心の芯に問いかける。返ってくる答えは、「違う」だった。


 それでも自分が渇望した非日常の入口。進まないなんて、愚か者すぎる。望んでおいて、遠ざけるなんて。


『ボクには痕跡を残さず、それを仕込む技術がある。今回のウイルスはちょっと特殊でさ、アプリを開いたその瞬間に洗脳が作用するっていう、国の技術をはるかに超えた一級品。これを十七回生のグループに仕込んで……経過を楽しむってわけだ』


「あの、質問です……」


 声が震えていた。今となってはどうも思わない。


「その洗脳っていうのは……」


 最後の言葉が出てこない。喉の奥で止まってしまって、それ以上を言おうとすると抑えていた何かが溢れてしまいそうで。


『プログラム上で〈役〉を与える。その役というのは……そうだな、将棋で例えよう』


 しばらく「うーん」とか「どう言ったら……」と悩むような呟きが数回聞こえた後、何かを閃いたようで、饒舌になった。


『役「王将」が与えられたAくん、役「歩兵」が与えられたBくんがいたとしたら、二人とも洗脳されているから、無意識にBくんはAくんの忠臣のような振舞い方をし、命令に従う……そんな感じか?』


「〈役〉だけを与えるんですか? あらかじめ用意されたシナリオ通りに動かすのが洗脳じゃないんですか?」


『〈役〉だけだな。何をするかは本人次第。人は力を得ると豹変するし。それこそ、洗脳で「自分の欲望を増幅させる」くらいの効果は入れているさ』


 それだと、何もしないけど洗脳された人、とかも出てくるということになる。それはそれで安心だが、それ以上にもっと怖いことが起きそうな予感がしていた。


「僕たちは、傍観者?」


『ああ、元からそのつもり。非日常を眺めて、面白がって、学園生活を楽しくする。それだけ』


「やる内容にしては、案外軽い欲望なんですね」


『文句か?』


「いや、拍子抜けというか」


 実行するモノはとても大きく、それこそ、この学園の未来を大きく変えかねないものだった。なのに、実行する人たちの目的はとっても小さいモノ。



 でも、与える影響は人を殺しかねない。




「僕、最近言葉の濁りが分かるようになってきたんですよ」


『……ん?』


 空気を変えた。自分語りはその場の流れを大きく変えることができる、日常に潜む手段。


「さっきイフが発した言葉たちって、濁りが全くないんですよ。まぁ嘘をついていないなって」


『ほお……?』


「どこで頭のネジを落としてきたか知りませんけど、根は良い人なんですね。イフ」


『……それが言いたかっただけなのか? ここまでのくだりは』








「だから、その話、乗るって言ってるんですよ」





「「……!」」


 ヒイラギとシオリが僕に向ける目の光が変わったように感じた。


「そりゃあ、怖いですよ。高みの見物ができるとはいえ、半分以上犯罪じゃないですか」



 その恐怖に勝つメリットがあった。

 僕の背中を押すナニカがあった。

 ナニカというのは、言わずもがな、イフのこと。



「こんな計画を淡々と話しておきながら、ドブみたいに濁った言葉を吐いてたら断っていました。人間性って大事ですね」


『ボクは今、かなり怒ってるけど。協力してくれるなら何も言わないことにする』


 不機嫌なことが十分に伝わってくる。わざと褒めるような貶すような口調で、結局はハッピーエンドに結び付けたのだ。


「意外……だった」


 シオリが驚きと呆れを混ぜたような表情で僕を見つめる。



「意外も何も、喉から手が出るほど望んでた非日常ですから」


 謎のやる気と希望、そして期待に満たされた僕の心を邪魔するものは何もない。その心に包まれている間は、どんなことだってできそうだった。

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