第4話 黒幕の輪郭
五月、少し運動すれば汗ばむ季節。学園までの残った少ない道のりを三人は歩いていく。六月と比べたら湿度もまだマシな部類に入るだろう。それでも、僕らにとってじとじととしたシャツは快適とは言えない。
「ヒイラギは、知ってるんですか? イフの本名とか、正体とか」
無言の時間が妙に苦しくて、捻りだした質問だった。まず僕には、この質問より前にしなければならない質問があるが、多分、今じゃない。
「緑繊学園の一年五組の誰か、までは絞れたがそれ以上はわからないな」
「一年五組っていうのはどうやって……」
「本人が「自分は特別推薦だから、テスト以外は休んでもいいんだよ」って言ってたんだよ」
この緑繊学園には普通科、マルチメディア科、特別推薦統合クラスの三種類の学科がある。そのうち、四組がマルチメディア科、五組が特別推薦統合クラスとなっている。
イフが所属しているであろう五組は、学校関係者と親族以外の「社会的にある程度その実力が認められている者」の推薦が三人分必要、という条件さえ満たせば、受験なんてしなくても入学ができるのだ。
良いように言えば、それだけ本人の人望とそれに至るまでの努力を認めてくれる入学方法。悪いように言えば、コネ入学。
「本当に実力があるのか、コネか、どっちでしょうね。彼女」
僕が思わずそう呟くと、横目にヒイラギが反応してくれる。
「イフは「一般家庭に生まれた」って自分で言ってたんだ。嘘じゃ無ければ実力だ」
仮に入学する人が大企業の娘だとしたら、その企業と親しい企業の社長さんを集めてしまえば馬鹿でもこの学校に入学できるということ。
「嘘じゃないと良いですね」
雇うはずの人、シオリはそう呼んでいた。
かなり情報を与えられているのにわからない。輪郭は見えてきているのに、中が真っ黒で塗りつぶされているみたいで……余計に気になる。
「イフのことを知りたがるのはいいが、もうすぐ学園に着くぞ」
ヒイラギの言葉でハッとして辺りを見回すと、もうすぐ目の前に学園の門があった。通学路って、こんなにも短かったっけ? と、ふと思う。
あの家を選んだのは紛れもなくこの僕で、家から学校まで歩きたくないって思ったのもこの僕。一緒に登校するという、学校ならではの楽しみを全力で拒否しているような僕の家。こう、楽しいものなら少しくらい遠くても、良かったな。
「学生証を」
学園の中に入ろうとすると、門の隣のプレハブ小屋に警備員さんが声をかけてくる。
気さくなおじちゃん、という言葉がぴったり当てはまりそうな中年男性。中途半端に伸びた髭が不衛生にも感じられるが、そこまで気にする余裕はない。
そういえば、この学園、登下校時以外のときに学園に入ろうとすると学生証の提示が必要となるのだ。恐らくセキュリティ的なものだったり、出席等の確認のためにやっていることなのだろう。
にしても、急に話しかけられるとこちらもびっくりする。
「はい」
冷たい、静かで落ち着いた声でシオリが警備員さんに生徒手帳を渡す。それにつられるように、僕とヒイラギが生徒手帳を渡していく。
「うん、ちゃんとうちの学校の生徒だね。どうぞ」
そう言って、警備員さんは三人分の生徒手帳をまとめて返してくれた。それを代表してシオリが受け取って、僕らに返してくれる。
学園の敷地内に入っても、僕たちの沈黙がすぐに解けることはなかった。校舎内に入っても、特別校舎に移動しても、階段を上っても、沈黙は続く。流石に空気が重くなって、彼らが黙る理由を考えることで気を紛らわせた。
授業中? それとも話題不足? 今は〈不確定要素〉として活動していない? 立入禁止の場所に行くから静かにしている?
どれもありそうで、どれもなさそう。この人たちの考えていることはわからない。
「ここ、三階だよ」
特別校舎三階。立入禁止フロア。はじめの電話で、イフが来いといった場所。
黄色と黒のロープが張られた通路の向こう。廊下全体に埃が積もっているのか、新しい校舎の床は汚れている。通路には雑多に置かれたダンボールや、不要な教材類なども並べられていて、足の踏み場はかなり限られている。
どうして、このフロアを立入禁止にしたのだろう。
「ここにイフがいるんですか?」
特に何も考えず、いつの間にか口に出していた。
「さあ? ここの奥の教室で説明してって言われたから、指示に従っただけ」
そうシオリが言う。彼女らも、イフの指示に従っていたのかと驚く。
結局のところ、全ての黒幕はイフなのか?
「ぼーっとしてないで、行くよ」
何も恐れていない、その強さに少しだけ、羨ましいと思った。
埃臭い廊下を進んで案内されたのは、普通の教室と大して変わらないサイズの部屋だった。ヒイラギが前に出てきて、鍵を使用し扉を開ける。
電気はついておらず薄暗い、でも確かに生活感のある教室。中央入口よりに置いてあるテーブルと安っぽい椅子。テーブルの上には雰囲気に合わないノートパソコンが、電源が入ったままで置かれている。
『やあ、みんな。ぜひ、パソコンの近くまで来てくれ』
イフの声が、教室中に響いた。
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