第33話 世界の温度
『〈十界〉って言うのは仏教の話だ。まぁここで細かく解説しても意味わからないと思うから軽めに言っていこう。準備は良いか?』
「うん。移動もしたし」
僕は電話をしながら移動を続けていた。少し進んだ先に、外階段がある。僕は今その外階段に座っているのだ。
ここなら多分他の人は来ないし、声もそこまで響かないだろう。
『十界っていうのは、生命の状態、境涯を十種に分類したものだ。仏法の生命観の基本となるものらしい。十界の法理を学ぶことによって、境涯を的確にとらえて、それぞれの境涯を変革していく指針を得る……みたいな話。これは理解しなくてもいいよ。重要なのはその先』
「う、うん」
『最初にも言った通り、十界は地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の十種類に分けられる。……分けられる? 言い方が変だな。まぁいいか』
「それで、一ノ瀬陽菜はどの〈役〉なの?」
『気になる?』
「ここに来て言わないのは無いよ」
彼女の顔は知らないが、ライに似た顔でニヤニヤケラケラと笑っているのが容易に想像できた。ちょっと失礼かも、とか思いつつ実際は全く失礼だと思っていないのが今日の僕だった。
なんか、平凡に生きていた頃とは性格が変わったような気がする。
『それは確認しないとわからない。ボクだって全てを把握しているわけじゃないし』
「イフの家のパソコンからじゃわからないの?」
『盗聴のウイルスを仕込んだのは家だけど、ボク今出先なんだよね』
イフ、家じゃ全然見ないとか言われてたのに、結構長時間外出するんだなぁ。意外。
「肝心な時に使えない」
『なっ⁉ は⁉ おいちょっと待て。この非日常の黒幕側に招待してあげたのはこのボクだぞ⁉ 感謝の気持ちの一つくらいないの⁉』
「あるけど……」
どうしてもイフって黒幕のイメージが強く残っている。だからこういう風に感情的になられるとイメージが崩れて混乱する。黒幕っぽくあり続けろとは言わないけど、僕の中のイフのイメージを早く変えないといけないな、と思う。
変えるなら何だろう。……小悪魔?
『今何か失礼なこと考えただろ。こっちは一ノ瀬陽菜の情報を集めてるってのに』
「考えてないとは言えないけど……。情報を集めてるって何?」
『なんか質問に答えるばかりで飽きてきた。やめよ』
ブツッ。
通話が切れる音が耳元で鳴る。びっくりすることに、彼女は僕以上に自分勝手だ。
でもそれが嫌とは思わない。
同じクラスの陽キャ女子がこんな風だったら心の中でキレてることだろう。でも、イフにその感情が無いということは「友達だから」とか「秘密を共有しているから」とかいう特別な関係があるからだろう。
……多分。
「どうしようかな……」
ただ一人。取り残された僕。
ヒイラギはいない。シオリは帰った。イフは電話を切った。
〈不確定要素〉の皆と少しだけ離れて一人になる。
よくあることなのに、心の奥が寂しがっている。
もう〈不確定要素〉の温度になれてしまった。
「きっと……いつかは……」
この非日常の温度にもなれるのだろうか。慣れてしまったその先は?
僕の中に何が残って、この学校にどんな傷があって、他の主人公はどう受け止めるのだろう。
そんな先のことを考えていては暗くなるだけだ。やめておこう。
「そんな狭いところで暗い顔して、何してるの?」
僕はその声に聞き覚えがあった。今日も聞いたし、昨日も聞いた。
彼女がこの一晩で大きく変わったことは僕だってわかる。
同じクラスの副委員長、耳川ツナギ。
「別に」
素っ気ない態度をとる。出来るだけ、〈不確定要素〉のときの僕が抜けきっていない今の僕と、クラスメイトを関わらせたくない。
絶対にボロが出ちゃうから。
「陽菜ちゃん変わったよね~。陽菜ちゃんに限らないけどさ」
「……委員長?」
「うん。あはは~。私も世界が変わったような感覚なの。不思議だね。啓斗くんは変わった?」
俯いている僕の顔を覗き込む耳川。ウザい。
「僕帰るよ」
「答えてくれないの? えー?」
僕は立ち上がって、ズボンについた汚れを叩き落とす。
耳川を置いて先に進み、一瞬立ち止まる。
「変わったよ。結構ね」
「楽しそうじゃん。あはは」
一体何をしに来たのか全くわからないが、何となく自分の心が澄み切った気がする。
耳川も何か〈役〉が与えられているのだろうか。耳川も世界が変わったと言っているのだ。すぐに効果が出ているなら、彼女も〈十界〉の一人だろう。
今のところ害はなさそうだけど、十分警戒が必要だな。
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