第8話 可能性は泡を探す

 クローゼットにある服の中で比較的マシな服を探す。


 流行などというものはわからない。でもこんなだらしない服じゃないものであればいいと、くまなく探すのだが、そういったものが全くない。


 オーバーサイズのTシャツとズボンばかり。ボクもおかしいと思う。


 仕方なく、制服を着ることにした。


 灰色のスラックス、黒のベルト、白のブラウス。ワンタッチでつけられる青色のネクタイ。低身長なのが気がかりだが、これくらいの服を着ている奴なんていくらでもいるだろう。


 緑繊学園の制服を着るのは初めてだった。


 久しぶりの依頼っていうのもあるけど、基本は家でメールを受け取って、そのまま仕事をし、集めたデータを印刷して郵送する。それで終わりだったのだ。


 それなのに最近は、シオリがプログラミングに詳しい人を教えてくれ、と言いながら大金を積んできた、事件でも何でもない依頼が来るし、本当によくわからない世になったものだ。


 今回も家で出来る仕事だったらいいのだが、できるだけメールを介して依頼のやり取りをしない方がいいというか、しないで、と依頼人が言っているのだ。


 一応、頼まれた身ではあるのでそれに従っとく。


 多分、あんまり意味は無い。






 着替え終わって、自室を出て一階に降りる。

 キッチンにいる母親に声をかける。


「母さん、バイト行ってくる」


「いってらっしゃい」


 優しい笑みでボクを送り出してくれる。


 ちなみに、母親はボクが何のアルバイトをしているかは知らない。ただ「インターネットでできる在宅バイトで、不定期に外にもいかないといけない」と思っている。


 機械音痴な母にする説明はこれで十分だった。母自身も、自分が機械音痴であることをわかっているためそれ以上の説明を求めなかった。これが何とも、ボクにとって助かったことなのだ。


 姉妹には「在宅アルバイト」、兄にはそもそも話していない。というか、兄もバイトをしているはずなのだが、何のバイトか一向に教えてくれないのだ。だからボクも秘密。


 緑繊学園はバイトをしてもいい学校。ちゃんと入学前に確認した。


 何故わざわざこんなことを気にしているのか。

 単純に、現実だから。それ以外は何もない。後ろめたさも、罪悪感も、何もない。






 そんなことを考えながら家を出る。


 ボクの家は〈IFアイエフ ガーデン・アイランド〉の中、学園のある粋春地区の隣で、人工島の玄関口でもある晴夏せいか地区にある。


 ボクは最寄り駅からモノレールに乗って、〈IF ガーデン・アイランド〉の外へ行く。つまり本州だ。


 探偵事務所まで片道一時間。本州に行くまで乗り換えは必要ないが、複雑なのは本州から。電車を三回、バスを挟んで、また電車。


 晴夏地区から遠すぎるのが困りどころ。でも、本州に住んでいる人からしたら探偵事務所は割と利便性の良いところにあるみたいで、〈IF ガーデン・アイランド〉とは相性が悪いらしい。


 そんなことをブツブツ考えながら一時間ほどが経ち、稲橋探偵事務所に着いた。


 一階が探偵事務所で、二階は精神科らしきものが入っている。


 ボクは迷わず扉を開け、カランカランと、扉に着けられたベルが鳴る。


「稲橋さん、ボクが来たよ」



 艶のある短髪の黒。純粋な黒の瞳。三十代には見えない顔を隠すように、真っ白なマスクで顔の下半分が隠れている。


 それが稲橋いなばし陽成ようせいという男。


「ああ、ようやく来たか」


「それで? わざわざボクを現実に呼び寄せた訳は?」


 稲橋さんは自身の口の前で指を一本立てる。喋るなと言いたいのだろう。


 そして、手書きの紙を目の前に出される。そこには端的に「〈Bubbleバブル〉というハッカーを探してほしい」と書かれていた。これが依頼か。


「稲橋さん、別にこれくらいならメールで送ってくれても大丈夫な案件だし、喋っても構わないよ。依頼人……はどんな人だった?」


「本当の依頼人は知らない。だが、警察関係者から貰った仕事だ」


「んんん?」


 警察関係者から依頼が来ることは珍しくない。プライベートだとしても、警察としての依頼だったとしても、だ。


 でも警察は警察で情報に強い組織を独自に持っているはずで、こんな端くれの情報屋になんて頼まない。……多分。


「一応、警察関係者からと言ったが、あくまでこれはプライベートな案件だ」


 そうじゃなかったときの責任感が苦しいので本当に良かった。


「本来なら依頼人も、警察の方で頼みたかったようなんだが……。特殊なケースらしくてな」


「特殊なケース?」


 思わず聞き返す。


「ほら、インフォちゃんも知ってるんじゃないか? ええっと……」


 稲橋さんはボクのことをインフォちゃんと呼ぶ。


 初めて出会ったときにはハッカーとしての名前があったのだが、素顔を見せてる手前、教える訳にもいかなかった。


 そんな無言を貫いていたボクに対して、稲橋さんが睨みながら付けたあだ名が〈インフォちゃん〉だったのだ。



「ほら、ここ最近警察に……犯罪計画の証拠とかを送り付けて犯人逮捕に貢献している、謎のハッカー〈Lostロスト〉とかいう奴から送られてきた書面で……な」


 何か話してはいけないことがあるらしく、微妙なところで言葉を濁らせる。



 ボクだって知ってるさ。無所属、天才ホワイトハッカー〈Lost〉のことなんて。


 噂では、発生する前に犯人を捕らえた事件は数えきれないほど、かつ、実行されてしまったとしても事前情報によって被害が出る前に犯人確保に至った事件も数知れない。


 それなのにもかかわらず警察と手を組んでいるわけでもなく、完全なる善意を持ってのこと。


 初めのうちは半信半疑だったが、送られてきた書面通りに事件が発生するため警察も信用したようだ。


 稲橋さん情報では、警察側と〈Lost〉は面識があるらしい。

 ……ただ、面識はあるが協力関係にはない、という謎な関係。それ以前に、滅多に会えないようだが。



「だったら余計に読めないよ。〈Lost〉と警察はある程度面識あるでしょ? どうして自分の庭で調べないの?」


「〈Bubble〉というハッカーは〈Lost〉でも個人特定に至らなかった敵らしい。警察の情報班と〈Lost〉の実力は雲泥の差。猫の手も借りたいみたいだ」


 天才ホワイトハッカーが特定できなかった唯一の敵、〈Bubble〉。



「……ボクと〈Lost〉、どっちが上なんだろうね」


「情報にめっぽう弱い私に聞くか」


「独り言さ。得意不得意はあるだろうし、気軽に上とか言ったもんじゃないね」


 はぁ……と稲橋さんはため息をついてからこう言った。


「それで、受けてくれるか? ハッカー〈Bubble〉とやらを探すという依頼を」


 考えられる点はいくらでもある。

 今回の依頼は話せるところが少ない故に、プライベートな依頼ときた。


「報酬は、多めにしよう」


 絞り出すような声で稲橋さんは言った。


「無理しない程度でいいよ。ボク、人探し得意だから」






 ホワイトハッカー〈Ifイフ〉は、個人情報の収集を得意としていた。

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