第40話 群青システムの真意
僕は怖かったが、先ほどから言葉を発しない何者かについて行くことにした。
普通校舎四階から渡り廊下を歩いて、特別校舎四階につく。そこから一つ下に降りて、僕達の秘密基地がある特別校舎三階の教室に行った。
何者かはいつから置いてあったかわからない鞄から、新しいカラーコンタクトレンズを出して、僕に背を向けながらそれをつけた。
「いやあ、悪い。しんどかっただろう?」
不自然な黒色の瞳。声に変なものは混じっていない。彼女は、イフだ。
「しんどいとかそういう話じゃないよ……」
「相性が悪いことはわかっていたんだが……、こちらにもいろいろ事情があってだな」
「まぁいいよ。全部説明してくれるならこれからも許すよ」
僕はイフの持つこの力が、これからも〈不確定要素〉として付き合うときにまた使うんだろうと予想していた。その度に僕は耐えたりしないといけないが、理由さえ知ればどうでもいいとまで思えていた。
「まぁ……そうだな。順を追って話そう」
イフは僕に椅子を渡してくれた。彼女も周辺にあった椅子に座った。
「まず、ボクの本名は戸輪翡翠っていう名前だ。でもできるだけ、この名前でボクのことを呼ばないでほしい」
きっと何か事情がある。僕は黙ってうなずいた。
「実を言うと、イフもライも翡翠も、同じこの身体の人物だ。切り替え自体はいつでもできるが、周辺にもわかるようにカラコンで違いをつけている。イフが黒、ライが金、翡翠は裸眼の翡翠色」
「双子じゃなかったんだ……」
「まぁそう考えてもおかしくないよ。というより、そう思うように振舞っていたんだ」
イフは目線を僕から逸らして、どこか違うところを見てこう言った。
「イフはプログラミングやハッキングが得意、ライは身体を動かすことが得意で、護身術とかが一番上手。翡翠は……まぁ、あの力だ」
「凄く不快だったよ……」
「だろうなぁ。言葉に込められた本質が分かるような人にとって、翡翠の言葉はノイズと精神干渉の塊みたいなものだ。翡翠はな、言葉で他人の精神に干渉して過去のトラウマを見たり、これからの行動を操ったりすることができるんだ」
どうやら、〈不確定要素〉は僕が思った以上に普通の人間の集まりじゃなかったようだ。今となっては、その特殊な力も特に驚かないものとなっている。
第一、ずっと自分がこうだったんだ。むしろ、仲間が増えて嬉しいとまで思えている。
「それは……シオリの洗脳とはまた違うの?」
それでも、その力に対して疑問は持つ。
「シオリの言葉に毒は無いだろ? シオリはそれとなくシオリが思った行動をさせることができる。……が翡翠は違う。翡翠は無理やり入り込んで、無理やり思ったことをさせる。それなのに、翡翠は無自覚で入り込んでやらせたなんてこともある。より厄介なのは翡翠だ」
ただ言葉に込められたものを読み取る僕とは、非常に相性が悪い。その意味がようやく分かった気がした。
「そうなんだ……。そういえば、さっき一ノ瀬さんには何をしたの?」
「ああ、一ノ瀬の過去と感情と行動を覗き込んだだけだ」
「ええ⁉」
翡翠の予想外な力に思わず大きな声を出して驚いてしまった。
「悪用はしないさ。本来、〈群青システム〉は本人の行動などを引き出して、増幅させて、欲望のままに動かす、そんな後押し的な役割なんだ。だからボクは一ノ瀬を覗いて記録しようとしたんだ」
これでようやく、〈群青システム〉の本意が知れた。
これでようやく、〈不確定要素〉の真の姿が知れた。
これでようやく、僕は彼らの本当の仲間となった気がした。いや、本当の仲間になったのだ。
「じゃあ一ノ瀬さんの〈役〉は何だったの?」
「〈十界〉の〈餓鬼界〉というものだ。〈餓鬼界〉っていうのは、欲望が満たされずに苦しむ生涯という記述が多々ある。どれも諸説あるが、大方纏めるとこんな感じの記述だ。古代インドにおける餓鬼のもともとの意味は「死者」のことらしい。死者が常に飢えて食物を欲しているとされていて、激しい欲望の火に、身も心も焼かれている生命状態のことを餓鬼界と呼ぶそうだ」
「……」
たくさんの情報に、なんとか理解しようとするがすぐには理解できなかった。
「悪い、一気に説明しすぎた。要約すると、一ノ瀬は愛に飢えていたから、父親の愛を求めて自殺しようとしたっていうのが今回の件の結末だ」
「そうなんだ……」
わかりやすく伝えてくれたおかげで僕でも理解できた。
するとイフは僕に目線を合わせてきた。
「それにしても、よく校舎の壁を上ろうとしたな」
そこには優しい温度が含まれていた。濁りも何もない、純粋な温かさが。
「なんか……居ても立っても居られなくなっちゃって。絶対に誰も死なせないって、強く想っていたから」
自分で言うと照れる。恥ずかしさを噛み殺して言うと、イフは突然立ち上がり僕を見下ろしてこう言った。
「命がかかっても他人の命なら人間は容易に動かない。でもどうだ? アルトはすぐに動いた」
間を置いて、イフは続けて言った。
「「ボクはアルトのその正義感、好きだぞ」」
その声には二つの声が重なっているように聞こえた。
純粋な温かさと、悪意無き干渉。
「今のは……」
「翡翠だ。そこまで不快じゃなかっただろ? こういう風に使うのがきっと正しいんじゃないかとボクは思ってる。だって、自分自身の気持ちが何よりストレートに相手に伝わるからね」
そう言ってイフはニコッと笑みを浮かべる。その表情に一瞬心臓がドキッとする。
「……確かに。通常時はその使い方の方が良いと思う」
「通常は出さないよ。危険だ」
「また喋れるかな」
「喋れるさ。死なない限り」
「縁起でもないこと言わないでよ……」
それから僕たちは学園を出て、お互い帰路についた。
気が付けばもう零時を過ぎていて、少し驚く。てっきり、僕はもう少し過ぎているものだと思っていた。
深夜の住宅街をただ一人、僕はゆっくり歩いて帰った。
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